灰の真実と血の誓い
ステーション・ラビットの司令室。無機質な音が響く中、瀬戸は艦長ゼノ・ヴァルカスの前で背筋を伸ばしていた。
「……地球降下作戦に参加する。俺を行かせてくれ」
その言葉を聞いたゼノは、すぐには答えなかった。彼は神妙な面持ちで、複雑な感情を隠すようにゆっくりと目を閉じる。沈黙が重く部屋を支配した。
「瀬戸……無理をすることはない。君はこれまで通り、ここで静かに暮らす選択だってできるんだ」
ゼノの声には、艦長としての立場を越えた、一人の人間としての優しさが混じっていた。彼にとって瀬戸は、使い捨てるべき兵器ではなく、守るべき「かつての人間」そのものだからだ。
[ディアーナ:艦長、その答えはラビットの民間人の存続にかかわる逸脱した行為に当たります]
冷徹な忠告が司令室に響き、ゼノはわずかに眉をひそめた。瀬戸を気遣う一人の男としての願いと、350万人の命を預かる艦長としての責任。その狭間で、ゼノは深く息を吐き出す。
だが、瀬戸の瞳に揺らぎはなかった。保管庫で見た、眠れる母娘の姿が脳裏に焼き付いている。
「俺は、自分が何者かを知りたいんだ。この腕を奪われ、明日を奪われた理由を。……それに、あんたたちが俺を救い、ここまで繋いでくれた命だ。無駄にはしたくない」
瀬戸の決意の強さを悟ったのか、ゼノは小さく息を吐き出し、一度だけ力なく笑った。
「……そうか。短い付き合いだがお前らしいな……ディアーナ、機密防衛システム2段階上昇。監視システムシャットダウン、外部からの接続をすべてブロックせよ。」
[ディアーナ:了解しました。クルーからの接続についてはどういたしますか?]
「すべて同様だ」
[ディアーナ:了解しました。実行します。]
ゼノは席を立ち、そして、低い声で言葉を紡ぎ始めた。
「これより話すことは、歴代の艦長にのみ閲覧が可能な極秘情報だ。だが君が知るべき、人類史の『原罪』についてだ」
ゼノはホログラムを操作し、2000年前の地図を投影した。
[ディアーナ: 歴史アーカイブ、ファイル:レッド000シークエンスを再生します。]
「最初にパンデミックが起きたのは、君が住んでいたその街だ。箱舟の遺産が暴走し、人が亜人へ、動植物が変異種へと強制的に姿を変えられた。……君を襲ったあのドラゴンも、かつては人間であり、被害者だったのかもしれない」
瀬戸は拳を握りしめた。自分の日常を壊した怪物の正体が、自分と同じ人間だったかもしれないという事実に、胸が締め付けられる。
「各国は原因もわからぬままパニックに陥った。人ならざる者へ変わってゆくのだ、次は自分かもしれないと不安を抱えていたようだ。国外へ逃げようにも疑心暗鬼になり追い返したり、ひどいときには暴力行為もあったそうだ。そして……最も恐ろしい選択をした国があった。自衛のため、街ごと焼き払うために、核を投下したんだ」
ゼノの指が地図をなぞる。そこにはかつて日本があった場所が映し出されていた。
「……2000年前にはもう、日本大陸は存在していない。君が愛したその場所も、家族も、記憶も、すべては最初の核の火で灰になった」
瀬戸の身体が硬直する。頭の中では理解していた。2000年という月日が流れている以上、全ては失われていると。しかし、「もう存在しない」と突きつけられる現実は、あまりにも重かった。
そんな瀬戸の強い眼差しを見て、ゼノは満足げに、そしてどこか切なげに笑みをこぼした。
「……驚いた。お前は強いな。最後に、もう一つだけ教えてやろう。ディアーナ、ファイル:レッド001を再生。」
[ディアーナ:了解、歴史アーカイブ、ファイル:レッド001を再生します。]
そこには変異種によって倒壊した町が映し出された。
[ディアーナ:ファーストパンデミック発生後、1日たった町の様子です。]
見覚えのある町が映し出される。しかし瀬戸が覚えている街並みとはかけ離れていた。地震や事故があったかのような悲惨な光景だった。それは瀬戸がドラゴンに襲われた、その後の町だった。
「当時、各国の救助隊や民間の救命隊によって当初は日本の救助も行われていたそうだ。だが実際町に訪れた時には人間としての生存者はだれ1人としていなかったそうだ。1人を残して。」
「……俺か?」
「そうだ。当時は奇跡の生存者として取り上げられていたそうだ。その後の検疫の結果、未知のウイルスへの抗体があることわかったそうだが、当時の技術でも抗体の解明には至るどころか世界規模のパンデミックだ。唯一の抗体保持者を安全圏に逃がすという建前のもと、お前さんを囲うために宇宙に隔離したっていうのが本当のところだろう。」
ゼノの話を聞きながら、当時の映像をただ眺めている。繰り返し流れる悲惨な映像の中に、気になるところを見つけた。エマに酷似した女性がいた。彼女は倒れている自分に声をかけ、必死に救助してくれていた。
「……エマ?」
口から疑問が出てしまった。
[ディアーナ:違います。遺伝子情報照合し90%が類似していますが、エマではありません。]
当然だ。2000年まえの日本にエマがいるはずもないのだ。ゼノは、エマとミアの母親が眠る保管庫の映像を映す。
「似ていて当然だ。君を核の炎から救い出し、宇宙へ逃がすための船を手配したのは、他ならぬエマたちの先祖だ。……君は2000年間、エマの一族に守られ、今に繋がれてきたんだよ」
瀬戸は息を呑んだ。あの慈愛に満ちた姉妹の先祖が、自分を救った?自分はただの偶然で生き残ったのではなく、意志によって未来へ運ばれたようにさえ感じた。
「エマも、ミアも……このことは知らない。彼女たちにとって母は『英雄』だが、まさか自分たちの祖先が目の前にいる男、『希望』を救いだしていたなんて夢にも思っていないだろうよ。」
ゼノは静かに椅子に座り直した。
「この話は、墓場まで持っていけ。……いいか、これはお前と俺だけの秘密だ。」
瀬戸は深く頷いた。その秘密は、彼とエマの間に新たな絆を生むことになるだろう。だが、今の瀬戸には、それさえも未来を切り開くための力に思えた。
「ああ。誓う。……必ず、未来を掴んでくる」
その誓いは、かつて失われた島国のサラリーマンの言葉ではなく、人類の運命を背負う、一人の男の決意だった。
瀬戸が決意を告げ艦長室を出て行ったあと、ゼノは重い溜息と共に、深く椅子に腰かけていた。彼の眼差しは、司令室の無機質な壁を突き抜け、果てしない星の海を見つめているようだった。
「……2000年の重荷を、あいつ一人に背負わせるのか。それが我々人類の、唯一の正解だというのなら……あまりにも残酷だな」
[ディアーナ:艦長。心拍数が正常値を超えています。その「残酷さ」は、論理的には生存確率を最大化するための帰結ですが……艦長個人にとっては、負荷が大きすぎるようです]
ゼノは力なく笑い、虚空を見つめた。
「お前に理解させるのは無理な話か。……そうだな、ただの古い人間の我が儘だ」
[ディアーナ:理解はできませんが、学習は可能です。艦長、その「苦痛」の定義を、記録ではなく……「感情の重み」として、私の深淵に保存しました]
司令室に流れる空気は、機械的な動作音だけではない、沈黙という名の重厚な旋律を奏でていた。ディアーナは静かに、艦長がその孤独を共有したことを理解し、ただ静かに、その「痛み」の欠片を保存し続けた。




