眠れる恩人
「ディアーナ、現在のステーション内で活動している人間は自分以外に誰がいるんだ?」
瀬戸は居住区の静寂に耐えきれず、ふと空中に問いかけた。この巨大な閉鎖空間で、自分と同じように呼吸をし、心臓を動かしているのは一体誰なのかを知りたかったのだ。
[ディアーナ:お答えします。現在、このステーションで活動中のクルーは、ゼノ・ヴァルカス艦長、エマ・ユーテリアス、ミア・ユーテリアス、そして瀬戸紬様。計4名です。]
「……ユーテリアス!もしかしてエマに子供がいるのか」
瀬戸は思わず声を漏らした。自分を献身的に支えてくれる彼女に、もしや子供がいるのかという考えが脳裏をよぎり、動揺が走る。
[ディアーナ:いいえ、違います。ミア・ユーテリアス。年齢15歳。女性。エマの妹になります。]
「……妹? エマに妹がいたのか」
瀬戸は一つ息を吐き、安堵と驚きが混答したような溜息をついた。自分を献身的に支えてくれる彼女の背後に、血の繋がった家族が存在していたという事実は、彼にとって意外な驚きだった。しかも、まだ15歳という若さの少女が、この過酷な閉鎖環境で育っていたのだ。子供がこの世界で生きているという事実に、瀬戸は胸が締め付けられる思いがした。
「3人か。この人数で、350万人もの眠りを維持しているのか」
瀬戸は唇を噛んだ。あまりにも少なすぎる。そして、あまりにも重すぎる責任を、彼らは背負っているのだ。
ステーション・ラビットで過ごす時間は、凪のように静かだった。 数週間が過ぎ、瀬戸の身体は少しずつ未来の環境に馴染み始めていた。ゼノ艦長も、エマやAIであるディアーナでさえも、彼に何かを強要することは一度もなかった。ただ、まるで壊れ物を扱うかのように丁寧に接し、必要なときにはそっと傍にいてくれた。
ある朝、瀬戸が居住区の回廊を歩いていると、ミア・ユーテリアスと鉢合わせた。彼女は壁の配線パネルに顔を近づけ、何かを言い聞かせるように作業をしている。
「……ほらほら、そこを繋げばいいんでしょ? 意地悪しないでってば!」
ミアはパネルをコンコンとノックし、まるでペットをあやすように話しかけている。気配に気づいて振り返ると、彼女はパッと花が咲くような笑顔を見せた。
「あ、せと!おはよう!」
「……おはよう、確かミアだったか?」
「そうだよ。ディちゃんに聞いた?はじめまして。ミアちゃんです!エマ姉の妹です。よろしくね」
「あ、ああ、よ、よろしく……。ところでディちゃんって?」
「ディアーナのことだよ。ね?ディちゃん」
[ディアーナ:はい。ミアが私を呼ぶときの名称はディちゃんです。ところでミア、修正箇所759番の回線が不調のままです]
ミアは「あちゃー」といった顔でパネルを叩くと、瀬戸に向き直った。
「修理か?」
「そうだよ。ラビットちゃんのメンテ! この区画の空調が少し不安定で、ストライキを起こしちゃって。お姉ちゃんが艦長と打ち合わせに行っている間に、私がこっそり直して驚かせてやろうと思ってます。……あ、でも、まだちょっとだけ調子悪いかも」
[ディアーナ:全体の93%が回復しています。現状のままでも問題はありません]
「それとこれとは別だよ。みんなが起きてきたときに問題がないようにしないと。それにラビットちゃんも完璧なほうが絶対にうれしいじゃん」
ミアは少し悔しそうに頬を膨らませ、愛おしそうに壁を撫でた。ミアは、自分なりのやり方でステーションを守ろうとする、お茶目で健気な姿がそこにはあった。
「ミアは、ずっとこのステーションに?」
「そうだよ! 生まれてからずっとです。ラビットちゃんの外の世界を見たことはないけれど、ここが私たちの家だよ!」
彼女はそう言うと、背伸びをして再びパネルに手を伸ばした。
「そっか。大事な家だもんな……」
「うん!じゃ、私行くね。ディちゃん、100%にするまで頑張るよ。次は何番?」
[ディアーナ:3番ゲート、西区画にある154番回路が良いかと提案します。]
「了解。せとまたね」
その背中を見送りながら、瀬戸は胸の奥が締め付けられるのを感じた。 その「優しさ」と「明るさ」こそが、瀬戸を苦しめていた。
(こんなに良くしてくれる人たちを、俺は見捨てて死ぬつもりなのか?)
拒絶しきれない自分への苛立ちと、どうしようもない焦燥感が、彼の中で渦巻いていた。
「瀬戸さん。ちょっといいですか?」
振り返るとエマ・ユーテリアスがいた。
「ああ……どうせやることないしな」
少しそっけない態度をとってしまったことに、瀬戸はすぐに後悔した。 彼女は少しはにかみ、彼を小さなコンソールへ招いた。
「瀬戸さん、少しだけ……懐かしいものを見せたくて」
「ディアーナ、映像を映し出してもらえる?」
[ディアーナ:了解しました。ファイルナンバー20XX、XX-25-3を選出します]
瀬戸たちの目の前に映像が映し出される。画面に映し出されたのは、2000年前の地球の風景だった。懐かしさに胸が締め付けられる。あの頃の自分は、こんな些細な幸せすら「当たり前」として見過ごしていたのだ。
それに気づかないエマをよそにディアーナのメインデバイスが人知れず明滅し、瀬戸の微細な表情の変化を解析する。
(彼にとって、この映像は安らぎではなく、取り戻せない過去への断絶を突きつけるものなのですね……)
ディアーナはそう解釈すると、瀬戸の抱く痛みや焦燥感を、彼だけの「固有のノイズ」として静かに保存した。
エマに記録映像を見せてもらった夜。ひどい焦燥感が押し寄せ眠ることができない。ただ莫大な時間を持て余し、艦内を歩く。 ふと遠くにミアの姿を見かけた。いつもの軽やかさとは違い、どこか浮かない顔で、何かを確かめるようにステーションの深部へ向かっている。
「ディアーナ、聞こえるか?」
[ディアーナ:こんばんは、瀬戸。どうされましたか? 瀬戸の身体状況から判断して、まずは睡眠を推奨します]
「どうしても眠れないんだ。それより……今、ミアが入っていった場所はなんなんだ?」
ミアが入っていった重厚な扉を見つめ、瀬戸はディアーナに答えを求めた。
[ディアーナ:ラビット中央地区、階層0番、コールドスリープ保管庫となっております]
「ここに350万人が眠っているのか。……ディアーナ、俺も入っていいか」
彼女らが守ってきたものを自分の目で確かめてみたい。そんな気持ちを素直にAIに伝える。
[ディアーナ:入室許可は出来かねます。しかし管理ブースより中の様子を見ることはできます。ご案内いたしますか?]
「頼む」
ディアーナの案内で管理ブースに入室する。窓の前に立ち下を見下ろすと、そこには清潔な白い部屋に数えきれないほどのカプセルが並ぶ、静寂の墓標のような光景があった。
ふと中央付近で、ミアがエマとともに一台のカプセルを囲んでいるのが見えた。
「……彼女は?」
カプセルの中には一人の女性が眠っている。患者衣を身にまとってはいるものの、その首や腕等の見える範囲には痛々しいほどたくさんの傷跡が残っていた。
[ディアーナ:エミル・ユーテリアス、女性。コールドスリープ開始時35歳。エマとミアの母親です。]
「2人は自分の母親に会ったことがないのか?」
ディアナはAIのはずなのだが渋々といった様子で答える。
[ディアーナ:エマは20年前に、ミアは10年前に、ともに年齢5歳の時にコールドスリープより目覚めラビットで活動しています。エミル・ユーテリアスとは幼少期から直接会ったことはありません]
「……なんで」
子供と母親を、幼い時期に引き離す。そのあまりに残酷な事実に、瀬戸は吐き気を覚えるほど胸が締め付けられる。静かに怒りをにじませ、残った左手を白くなるほど強く握りしめた。
[ディアーナ:エミル・ユーテリアについて、艦長より以前説明があった『キャンサー』の乗組員であります]
「彼女が!?」
[ディアーナ:はい。彼女は人体実験や地球降下作戦を中止するべく決起したメンバーのリーダーです。彼女はラビットに情報提供をし、キャンサー内の民間人をこちらに搬送しています。その中には彼女の子にあたるエマやミアはもちろんのこと、瀬戸、あなたも含まれています。その際に重傷を負ったため、治療のためにコールドスリープについております。]
彼女が守りたかったのはステーションの存続ではない。彼女がその身を傷だらけにして戦ったのは、実験の犠牲となる未来を止めるため。そして、その意志は娘たち、エマとミアへと引き継がれていたのだ。
(俺は、彼女に救われた命なのか?)
瀬戸の右肩が、うずく。それは単なる喪失感ではなく、見えない絆が確かにそこに存在しているという証明のように感じられた。
姉妹は、まだ眠る母親に語りかけている。その姿は、かつて自分が「会社帰りに明日を憂う」ことしかしていなかった現代人とは比べ物にならないほど、強く、そして脆かった。
瀬戸は、その場から静かに立ち去った。 逃げるためではない。自分が今、何をなすべきかを、ようやく理解したからだった。 かつて自分を救い上げた彼女たちの願い。彼女たちが守りたい、このステーションの50年後の未来。
それを背負う覚悟を、瀬戸は自分の右肩の痛みとともに、静かに噛み締めていた。




