深淵の異物
オフィスビルの階段を、一段また一段と踏みしめるたびに、肌を刺すような重圧が強まっていく。50階層を超えたその先で、ついに空気が一変した。
[ディアーナ:この階の異星物質濃度が最高値を検知。この階層に「異星物」があると判断します]
瀬戸は足を止め、ディアーナの報告を噛みしめる。ついにたどり着いた。ここが目的地だ。壁には掠れた文字で「第○研修所」と書かれ、左右には「第1実験室」「第3研究室」といったルームプレートが掲げられている。無機質で、かつ何処か狂気じみた空気が廊下に漂っていた。
(どうやら、ここが目的地のようだな。)
『ええ、例にもれず研究施設のようですね。民間企業でしょうか?』
ステーション内ではエマが静かに分析を進めている。どこから手を付けるべきか――瀬戸が思案に暮れていると、背後にいた二人が肩を震わせ、緊張した面持ちで声を上げてきた。
「ここは残留魔力が濃いですね」
「うん, なんか気持ち悪い」
リズは眉をひそめ、ナオミもまた忌々しげに天井を見上げる。二人とも、敏感に異星物質の異常な濃さを感じ取っているようだ。
ナオミが、何も感じていないかのように平然と歩く瀬戸をジロジロと眺める。瀬戸自身が持つ抗体のおかげで異性物質, 彼女らの言う魔力は瀬戸には何ら影響は皆無だ。とはいえ, 真実を語るわけにはいかない。
「まあ……慣れ, だ」
瀬戸がぶっきらぼうにそう答えると, ナオミは「ふーん」と興味を失ったように視線を逸らした。
『彼女たちすごいですね』
(そうだな…さすが傭兵というか…)
『観察眼だね。せと, 迂闊な行動できないね』
ミアに茶化され苦笑しつつ, そのまま探索を再開する。リズやナオミもただ黙ってついてくるのではなく, 戦士の勘に従い, 警戒しながら周囲を調べ始めた。重厚な扉を開け, 散乱した書類に目を通していく。
「黒剣さんは何か目的のものがあるんですか?」
リズが, 慎重にデスクの引き出しを改めながら問いかけてくる。その瞳には, 純粋な疑問と, 瀬戸という謎の男への拭いきれない興味が宿っていた。
「どうしたんだ? 急に?」
「ずっと見ていましたが, すごく一生懸命だったので……趣味というには何と答えていいか……」
リズは戸惑うように言葉を濁した。瀬戸がこの不気味な場所で, 狂ったように何かを探し求めている姿は, 彼女の目には異様以外の何物でもなかったのだ。
「何の話」
瀬戸が言葉に詰まると, ナオミが図ったようなタイミングで割り込んでくる。瀬戸は内心で安堵しつつ, 話をそらした。
「何でもない。それより, そっちこそどうした?」
あえて突き放すような質問を投げる。リズは, それ以上追及することを避けたのか, あるいは気まずさを紛らわせたかったのか, すぐに視線を窓際へと向けた。
「あっちになんかいろんなものがある」
「いろんなもの?」
「うん, 人形とか」
その言葉を聞いた瞬間, 瀬戸の鼓動が早まった。
『紬!』
(ああ, 例の人形かもしれないな)
「そこに案内してくれ。」
「うん。」
ナオミに先導され, 二人は「第8研究室保管庫」と書かれた扉を押し開ける。室内は埃にまみれ, 無数の収納棚が並んでいる。その最深部に, それはあった。精巧に作られた二対の蛇の人形が, まるで何かを待つようにデスクの上に置かれている。
瀬戸は高揚を抑え, ゆっくりとその人形へと手を伸ばした。
[ディアーナ:敵反応あり。すぐ右です‼]
ディアーナの絶叫に近い警告が脳内に響く。だが, 警告よりも早く, 真横にあった観葉植物がその緑色の葉を巨大な触手へと変え, 鞭のようにしならせてきた。
「くっ!」
咄嗟に腕を交差させ, ガードを固める。だが衝撃は凄まじく, 瀬戸の身体はガラスを突き破って廊下へと吹き飛ばされる。
「ぐぅっ……!」
即座に受け身を取り, 黒剣を抜き放つ。しかし, 追撃は止まらない。今度は廊下の装飾として置かれていた別の観葉植物までもが, 床や壁へ根を這い出し, 牙を剥いて襲いかかってきた。
「トレント!?」
リズの悲鳴が保管庫から聞こえる。目の前のバケモノは, どうやらゲームとかで森の中に出てくる植物のモンスターのようだ。保管庫内ではナオミとリズが懸命に応戦しているのが気配で分かる。
『紬, 後ろ‼』
ステーションのエマの警告を受け, 瀬戸は振り返る。さらに別のトレントが巨大な幹を振り回して突進してきていた。ガードするが, 衝撃で右手の黒剣が弾かれ, 廊下の床を虚しく滑っていく。
「ちっ……!」
突進を止めようと蹴りを入れるが, 絡みつく無数の蔦が足首を拘束し, 身動きがとれない。もう1体のトレントが鞭のように蔦を振り上げ, 瀬戸の頸動脈を狙う。瀬戸は左手でそれを強引に受け止めた。掌から血が噴き出すが, 構わず蔦を握り締め, 力任せに引き寄せる。
そのまま, 2体のトレントを正面衝突させるべく力ずくで投げ飛ばそうとした, その時だった。
「――っ!?」
不意に鎧に衝撃が走る。鎧の中に隠れていたソフィアが, 衝撃で鎧の隙間から滑り落ちた。
「ソフィア!」
瀬戸は反射的に身体を反転させる。自分が吹き飛ばされることなどどうでもいい。左手で2体のトレントを払いのけ, ソフィアを隠すように抱き留める。だが, その反動で瀬戸の体勢は完全に崩れた。
右腕に絡みついた蔦を解く暇もないまま, 瀬戸は無防備な背中を晒し, 踊り場の縁から下層の暗闇へと真っ逆さまに落下していく。
「黒剣!」
ナオミの悲痛な叫び。リズが慌てて縁へと駆け寄るが, 既に瀬戸の姿は闇の中に消えていた。
「邪魔!」
ナオミは鬼神の形相で, 行く手を阻む残りのトレントを力任せに両断し, 蹴り倒す。
「リズ, 黒剣は⁉」
「わかりません……下の階に落ちてしまいました。」
「早く助けに行こう!」
「はい!」
二人が下の階へと駆け出そうとした瞬間だった。
「あ,ああ, マ, マリアたん……こんなところで会えるなんて……や, やっぱり, う, 運命な, なんだね」
薄暗い廊下の向こうから, ぬらりとその男は現れた。
黒いフードを深く被った小太りの男。その背後には, 人形のような六人の少女たちが, 一言も発さず, ただ死んだような目で立ち尽くしていた。
逃げ場のない廊下で, 最悪の邂逅が, 今まさに始まろうとしていた。




