オフィスの邂逅と追跡者
集落で銅貨を支払い、地図屋から得た情報は単純なものだった。かつて「オフィス」と呼ばれたそのビルは、地上付近にあるフロアが中層階に相当し、正門と思われる入り口は遥か下層にしか存在しないという。
「……結局、階段を上るしかないってことか」
瀬戸は溜息を吐き、重厚な自動ドアに手を当てる。もちろん自動で開くことのない巨大なガラス扉を押し開けた。目の前に広がるのは、国は違えど瀬戸がかつて生きた世界の記憶と寸分違わぬオフィスフロアの光景だった。自分の勤めた会社はこんなに立派ではなかったが、営業のたび訪れては美人の受付嬢に首ったけだったことしか覚えていない。古びたパーティション、散乱する書類、そして無機質なデスクの列。
だが、決定的な違いがある。
[ディアーナ:索敵に反応。ゴブリンです]
フロアの奥から、歪な肉体に変異したゴブリンの群れが這い出してきた。かつてはサラリーマンやOLが働いていたであろうオフィスの面影はどこにもない。今では変異種の住みかと化している。彼らがデスクワークをするわけでもなく、ただただ侵入者に襲い掛かるだけだ。
「ゴブリンってやつは、どこにでも沸くな」
瀬戸は吐き捨てるように呟くと、突進してきた個体を鋭い蹴りで吹き飛ばした。壁に激突してへこんだ躯体を無視し、後続の個体に向けて漆黒の剣を薙ぎ払う。空気を裂く音と共に、黒剣は濁った汚泥のような血肉を撒き散らした後、蹴り転ばされたゴブリンを壁へと縫い付けた。
返り血を振り払い、瀬戸はゆっくり背後に視線をやる。
「……そんで。なんでお前らがついてきてるんだ?」
そこには、なぜかナオミとリズの姿があった。
リズはあきらめたような顔で、申し訳なさそうに肩をすくめる。
「申し訳ありません……ナオミが、勝手にダンジョンに入っていきまして……止めたんですが……」
「だって、気になるから」
ナオミは悪びれもせず、平然と言い放った。
その言葉を聞いた瞬間、リズの顔が真っ赤に染まる。
「えっ! な、ナオミ、それ、えっ、もしかして……!」
脳内のステーションでは、エマが「えぇぇぇぇ!? 今なんと言いました!?」と耳をつんざくような大声を上げていた。ミアがそれを面白がって揶揄っている様子が目に浮かび、瀬戸はたまらず頭痛を覚え、額を押さえた。
「おい、お前ら、ヴィラたちと合流しなくていいのか?」
「そ、そうですよ。早く団長たちと合流しないと。他のメンバーもきっとすぐに合流するはずです」
リズはすぐにでもヴィラたちのもとへ向かいたいようだが、その気持ちを裏切るようにナオミは平然としている。
「大丈夫」
ナオミはダンジョンの天井を見上げながら、他人事のように答えた。
「連絡鳥で団長には『遅れる』って伝えたから」
リズが絶句し、「いつの間に……」と呟く。彼女もナオミの行動を把握できていなかったらしい。
「どうでもいいが、ついてきてどうするつもりだ?」
瀬戸は子供に言い聞かせるようにナオミに尋ねる。ナオミは天井を見つめたまま考えをひねりだす。
「わからないのはモヤモヤするから」
首をかしげてみる。自分でもどうしたいのかわからないのか、その一点張りだ。
(はぁ、どうすりゃいいんだ……)
『多分、この子は言葉で説得できる子じゃないみたいですね……』
落ち着きを取り戻したエマが状況判断をする。それを聞き、瀬戸もその考えに納得し、天を仰いだ。
「……はぁ。わかったよ。ダンジョンを出たらちゃんと合流するんだぞ」
「うん」
ナオミは素直に頷いたが、その瞳には依然として瀬戸への好奇心が宿っている。瀬戸はため息を深く吐き出し、再びオフィスビルの中へと歩を進めた。
『……ディアーナ』
[ディアーナ:どうされましたか? 艦長?]
ゼノは神妙な面持ちで画面越しに状況を眺めている。
『皆には秘密で、やってもらいたいことがある』
[ディアーナ:それは艦長命令でしょうか?]
『……ああ、頼む』
開けてはいけない箱を開けるような気持ちで、ゼノはディアーナに指示を出す。AIに拒否する権限もなく、ディアーナはゼノの命令を実行していく。
『……杞憂に終わればいいが……』
自分の考えが間違えであることを願いつつ、ゼノは再びモニターに視線を落とした。
ダメもとでボタンを押してみる。自動ドア同様、電力などとうの昔に失われたであろうフロアのエレベーターは死んでいる。ただ虚しく黒い鏡面が瀬戸たちの顔を映し出すだけだ。階段を地道に上り、各階を調査するしかないことに、絶望を感じ始めている。
本来ならナノマシンを展開して全階層をスキャンすれば一瞬で終わる作業だが、同行者がいる以上はそうもいかない。瀬戸は半ばあきらめつつ散乱した古い資料を一枚一枚拾い上げ、かつての文明の痕跡を確かめながら、ゆっくりと階段を上がっていく。
「ねぇ、何やってるの?」
愛用のサーベルでゴブリンを倒しては、興味なさそうに立ち尽くすナオミが問いかけてくる。
「……ちょっとした調査だ。遺跡遺物に興味があってな」
瀬戸は適当な理由を並べた。本当のことを言っても、彼女たちが理解できるとは思えない。
「ふーん。変な趣味」
「ちょっとナオミ! 勝手についてきておいて、そんなこと言っちゃダメでしょ!」
同じく両手に握るガントレットでゴブリンを殴り倒したリズが慌てて割って入るが、その声にも力がない。彼女もまた、ナオミの奇行に振り回されすぎて、半ば諦めの境地に達しているようだった。
瀬戸は苦笑し、再び古ぼけた資料に目を落とす。
『せと、なんか上に行くほど異性物質の濃度が上がっていってるみたい』
(了解。ていうことは目的のもんは上のほうか)
『たぶんね。こっちでもお姉ちゃんともう少し解析してみる』
(頼んだ)
背後に漂うナオミの視線を感じながら、彼は重い足取りで次の階層へと向かう階段を探す。
(何かあってもフルパワーは出せないか……)
何事もなければいいなと思いつつ、瀬戸の背中を、この世界の住人たちが追いかけていた。それは、終わりの見えない調査の始まりに過ぎなかった。




