ささやかな日常を守り抜いた英雄たちの祝杯
ベッツの宿に戻り、瀬戸はそのままベッドに倒れ込んだ。重力に身を預け、瞼を閉じる。連戦の疲労で肉体は悲鳴を上げているはずなのに、頭の中は奇妙なほど冴え渡り、次々と思考が駆け巡る。怒涛の出来事が、瀬戸の心を安息から遠ざけていた。
体と頭の不一致。ナノマシンのセルフチェックをするも、心ここに非ずの状態でエラーコードが何度も明滅していた。その歪みを容赦なく可視化すように視界の端にまたもや映りだす。
『紬、こっちでチェックをやるわ…今はゆっくり休んで』
エマの消え入りそうな声が響く。だが、瀬戸はただ「大丈夫だ」と短く呟くだけで、彼女の懸念を跳ね除けてしまった。自分の内側で渦巻く感情の濁流を、誰かに見せるのを拒むかのように。伝わらないという事実が、エマの存在をさらに揺らしているように思えた。
部屋の隅では、ソフィアがつまらなそうにしている。いつもなら誰かが相手をしてくれるが、ディアーナとミアはデータの山を解析し続けている。だが、それもむなしく、瀬戸が喉から手が出るほど求めている「彼らの正体」や「目的」に直結する情報は、一片たりとも出てこない。
ふと、ドアの外に微かな気配がした。コン、コンとノックの音がする。瀬戸が返事をする前にドアが開き、ベッツの娘が顔を出す。
「おじちゃん、お客さんが来てるよ」
自分に客? 疑問を抱きながら、重い体を起こし、瀬戸は階段を降りた。
一階の食堂。そこには、場違いな貴族衣を身にまとったガレスとバレリアン、そして見慣れぬ男がいた。男は瀬戸を見やると「貴様が黒剣か?」と脈絡もなく声をかけてくる。瀬戸もあまりの行動に面食らってしまう。
「アレックス! お前というやつは……いきなりそれはないだろうが」
ガレスが男の行動を咎めると、男は何がという顔をしてから瀬戸に向き直る。
「何のことだ? この男が黒剣なのだろ?」
「そうだが、順番というものが……」
「……? ……私はアレックス・バーレン。この町で領主代行をしている」
ガレスの制止をかまわず話を続けていく。仕事はできるのだろうが、どうやら融通が利かないタイプのようだ。それを十分に理解しているのか、ガレスは後ろで大きなため息をついている。
アレックスは、挨拶もそこそこに瀬戸に対し深く頭を下げた。
「黒剣。貴様が幾度も民を、そして未来ある研究員を救ってくれたことに、このアレックス・バーレン、衷心より感謝する。」
彼は礼儀正しく金貨百枚と最高級の酒を差し出し、すぐに用が終わったとばかりに背を向け店を出て行った。残されたガレスとバレリアンを見つめると、ガレスが何も聞かぬうちに口を開いた。
「すまん。黒剣殿……さぞかし驚いただろう? あいつはあれでいて、いいやつなのだ。今も領民のことを一番に考え行動しているが、どうも不器用でな……行動を誤解されやすいのだ」
「ガレス様……」
「様はいい……黒剣殿には幾度も助けられた……今更かしこまることもあるまい」
ガレスとしては、命を救われともに戦場を駆けた仲だ。他人行儀にされたくなかったのだろう。その気持ちを瀬戸も汲むことにする。
「わかりま……わかった。では俺も黒剣ではなく瀬戸と」
「セト? ……それが本名か……」
ガレスが瀬戸の名前を聞き一瞬いぶかしげな表情をしたが、そのまま何事もなく話を続ける。いつもの瀬戸ならばその表情に気づいたろうが、今は思考が鈍っている。気にせず首を縦に振る。
「それで二人は何でここに?」
「そうじゃのう。先ほど犠牲になった者たちの追悼を済ませてきた。あやつの遺骸も家族のもとへ送り届けた」
バレリアンから告げられた内容に、沈んでいた後悔と悔しさが浮き出してくる。
「アレックスがどうしてもセトに礼をしたいと言ってな……残された者たちの生活を再建するために、あいつも領主代行として必死に戦っているのもわかっているのだが、一番の功労者に礼をしなければと聞かなくてな」
瀬戸は「そうか」と短く返すしかなかった。その背後に、拭いきれない喪失を感じたからだ。だがバレリアンが、枯れた声で諭すように瀬戸に語り掛ける。
「亡くなった者を悼むこと、後悔すること。それは生きている者の特権だ。だが、セトよ……それに囚われすぎるな。貴殿が守り抜いた者たち、これから貴殿が守っていくであろう者たち……そこに目を向けよ」
バレリアンの言葉が、瀬戸の胸に鉛のようにずしりと重く覆いかぶさる。そうだ、自分のなすべきことは何だったか。守りたい日常とは何か。その問いが、ようやく輪郭を持ち始めた時、食堂の扉が勢いよく開いた。
「よお、旦那! いるかい?」
リキだった。肩には巨大な燻製肉の塊を抱えている。
「あれ、俺だけじゃねえのか。……おいベッツ! この肉を捌いてくれ! 旦那、いい肉が入ったんだ。たまには俺がおごるぜ!」
苦難を笑い飛ばすようなリキの豪快さに、瀬戸は思わず毒気を抜かれる。ガレスとバレリアンが用をなしたと帰ろうと身を翻したその時、瀬戸は二人を引き止めた。
「待て。せっかくいい酒をもらったんだ。飲んでいけよ」
困惑する二人を、瀬戸は強引に椅子に座らせた。ジョッキに酒が注がれ、四人の男が向き合う。瀬戸はジョッキを高く掲げた。
「……明日を守った英雄たちへ」
その言葉に、三人は息を呑んだ。しばしの沈黙のあと、彼らもまた、震える手でジョッキを高く掲げる。
「……英雄たちに」
瀬戸は小さくはにかみ、酒を口に運んだ。ぬるい。だが、喉を通るたびに心の棘が溶けていくような気がした。
「ぬるいな」
誰かが呟くと、四人から同時に苦笑が漏れた。
夜は更けていく。リキは酒がぬるいと瀬戸に冷やせとせがみ、ガレスは燻製肉の味に舌鼓を打ち、バレリアンはベッツの娘を孫のように可愛がり、平和な光景に目を細める。
宴が最高潮に達し、ガレスを探しに来た副隊長が、出来上がった隊長を見て激怒するまで、その宴は続いた。誰かが大笑いし、グラスを鳴らす音。瀬戸はそれを眺めながら、確信する。これこそが、自分が守りたい日常の断片なのだと。
瀬戸は空になったジョッキを見つめ、静かに目を閉じた。明日の朝、灰色の靄が晴れたなら、また彼は自分の足で荒野へと踏み出していくだろう。守るべきもののために。




