灰色の朝
荒野を切り裂く排気音だけが、今の瀬戸の世界のすべてだった。
漆黒のバイクのエンジンが奏でる規則的な鼓動とは裏腹に、瀬戸の胸の内はひどく不規則に乱れている。あれほどまでに押し寄せていた変異種の群れが、まるで最初から存在しなかったかのように、黒いローブの人物が消えるとともにちりじりに元の場所へと散っていった。
あの戦闘後、ガレスやリキ、バレリアンたちと話し合いの場が持たれた。明らかな異常事態、そして黒ローブに都合がよすぎる展開に「彼らが裏で化け物を操っていたのではないか」と仮説を立てたが、確かな情報や目的も定かではなく、現状は可能性があるという結論に落ち着いた。
それでもガレスとバレリアンは責任を持ち、王国側に報告すると約束した。
だが、瀬戸は知っている。ステーションの面々も知っている。あの時持ち去られた「二対の人形」が、どれほど異常で、どれほど危険な存在だったかを。彼らの目的が、あの人形たちにあるのは疑いようのない事実だった。
その答えを胸の奥底に秘めたまま、瀬戸は荒野を疾走する。緊急依頼である避難民の移送。アクセルを握る手に力がこもる。もう、誰も死なせたくない。自分よりもずっと若く、未来があったはずの研究員のように。
瀬戸のバイクの横を、避難民を乗せた馬車が並走していた。馬車の中には、二度と目覚めることのないあの研究員と、深い傷を負った生存者たちが横たわっている。御者台には御者に混じって、バレリアン・ホーエンの姿があった。
その背中は、悲痛なほどにうつむいている。弟子であり、我が子のように大切にしていた教え子を失ったのだ。聞こえてくるのは、押し殺した嗚咽と、「わしより先に逝くことはないだろうに」という絞り出すような言葉。
瀬戸のナノマシンによって拡張された聴覚は、その痛切な言葉を容赦なく拾い上げてしまう。憤りが、冷たい刃となって瀬戸の心を削る。それだけではない。彼ら——黒いローブの者たちが放った言葉が、今も耳の奥で反響し、脳裏にこびりついて離れない。
『何しやがる! てめぇ!』
『いつまでも遊んでいるな! 目的は達した。ここに用はない。次に行く』
『っくしょうが!』
その声の冷たさ。命を命とも思わない傲慢さ。
次とはどこへ行くのか? 彼らの目的は何なのか? 瀬戸の頭の中では、答えの出ない堂々巡りの疑問が渦巻いていた。無言のまま、ただ前方だけを見つめる。それが、今の自分にできる唯一の抵抗だった。
「旦那……おっかねー顔してるぜ。そんなんじゃ、早死にしちまうぜ」
不意に背後から、低く、しかし穏やかな声がかかった。振り向くと、リキがバイクの荷台に、あろうことか背中合わせの状態でしゃがみ込んでいた。愛用のハルバートが、その肩に預けられている。
「……おめー、何でそんなとこに乗ってんだよ?」
重さを微塵も感じさせない身のこなしもそうだが、どう考えても落ちそうな状態だ。しかし、リキは荒野の揺れをものともせず、驚異的なバランスを保っていた。
[ディアーナ:瀬戸、先ほどから警告していましたが、上の空ですよ]
頭の中でディアーナが呆れたような声を出す。どうやら、自分の集中力がそれほどまでに散漫になっていたらしい。
「奴らにくらった魔法のダメージがでかくてね。あっちの馬車に乗せてもらうのも、なんか気が引けたんだよ。で、ここなら邪魔にならねぇかなと思ってな」
リキは軽口を叩きながらも、その瞳は瀬戸の背中を、まるで何かを確かめるように見つめていた。
「……そうか」
短く答えて、瀬戸はアクセルをわずかに緩める。リキはしばらく沈黙した後、再びボソリと呟いた。
「旦那、人死には初めてか?」
その言葉は、まるで刺のように瀬戸の心に突き刺さる。
「……いや。だが、割り切れないさ。自分より若い奴が逝くのは、いつだって胸にくる。特に、顔見知りはな」
言葉にすると、重い灰色の塊が喉元にせり上がってくるような感覚があった。人死には慣れたはずだった。降下直後の戦場でも、ダンジョンでも先の先の戦闘でも数えきれない死線を超えてきた。それでも、今回の喪失は、今までとは決定的に違っていた。それに追い打ちをかけるかのような同郷の言霊が、彼の何かが、自分の心の中で確実に音を立てて壊し始めているように感じた。
「そうだな……」
リキはそれ以上、何かを諭すようなことは言わなかった。リキなりに、瀬戸の表情を読み取り、励まそうとしてくれているのだろう。
東の空が、ゆっくりと白み始めていた。朝焼けが、この世の悲しみさえも平伏させるかのように、闇を切り裂いていく。リキはその光を見つめながら、遠い記憶をなぞるように呟いた。
「あいつも、こんな気持ちだったんだろうな」
あのダンジョンで倒れた男のことだろうか、それとも知らないだれか。だが瀬戸は、その言葉が誰を指しているのか問うつもりはなかった。あるいは、答えを知りたくなかったのかもしれない。ただ聞こえないふりをし、アクセルを少しだけ開けた。エンジンの排気音が荒野に響き、静寂をかき消していく。
『……リキさん、ありがとう……』
聞こえるはずもないのに、エマは静かに一人、リキに感謝の言葉を紡ぐ。
[ディアーナ:エマ、彼にはこちらの声が聞こえませんよ]
『いいの、これは私の自己満足だから……今の紬に寄り添ってくれたことにお礼が言いたかっただけ』
[ディアーナ:……そうですか]
『……おねいちゃん……』
その後、昇りきる前の太陽に追いかけられるようにして、一行は鉄錆の町に辿り着いた。町には、すでに知らせが届いていたようだ。
町を囲む高い壁の入り口では、門番のロイたちが慌ただしく指示を飛ばし、傭兵所のギーツたちも総出で救護班の受け入れ準備を整えていた。炊き出しの湯気が立ち上り、焦燥に駆られていた避難民たちの顔にも、ようやくかすかな安堵が浮かぶ。
瀬戸はバイクを止めると、重い身体をシートから降ろした。
まだ、闘いは終わっていない。答えは遠く、痛みは変わらずそこにある。それでも、人々が生きていくための朝が、この町には確かに訪れていた。
灰色の朝靄の中に立ち尽くしながら、瀬戸は拳を強く握りしめる。
自分ができることは何か。その問いに対する答えが、今この瞬間も、自分を駆り立てているようだった。




