黒剣の帰還、あるいは疑念の夜明け
地下都市の湿った闇を切り裂き、漆黒のバイクが疾走する。路面を叩くタイヤの音は、かつてないほど軽快に響いていた。だが、バイクに跨る瀬戸の頭の中は、一向に晴れない霧のようにモヤがかかっていた。
「……さて、どうしたものか」
バイクを操作しながら、瀬戸は思案する。今の悩みは目の前の敵のことではない。この「バイク」をどう地上へ持ち出すか、という極めて現実的な問題だった。
『せと、ソフィアの能力で分解して格納すれば、検問はやり過ごせるんじゃない?』
ミアの声が通信機から響く。だが、瀬戸は首を横に振った。
「ダメだ。分解して組み立てられるのはわかってるんだが、後々乗り回しているところを見つかれば、格好の疑念材料になる。それ以前に、すでにここの傭兵たちや研究員に目撃されてるんだ。今さら隠し通すのは不可能だろ。問題をこれ以上増やしたくないんだ」
『同感だ。バイクの件については、瀬戸の裁量に任せるが、地上では極力目立たないように動け』
ゼノの冷徹な助言にも、瀬戸は溜息を一つ吐くだけだった。地上に出れば、地下とは違う政治的な思惑や、個人の所有物に対する好奇の目が待っている。
そうこうしているうちに、ディアーナから緊迫した報告が入った。
[ディアーナ:瀬戸、前方1キロ先に傭兵部隊と正規軍の混合隊を確認。先ほどの傭兵たちが、町の兵士を連れて戻ってきたようです]
瀬戸はバイクの速度を落とし、覚悟を決めた。ここで逃げ回れば逆に怪しまれる。黒剣としての、正攻法で行くしかない。
バイクが兵士たちの視界に入った瞬間、辺りは騒然となった。兵士たちが一斉に槍を構え、威嚇的な声を上げる。
「止まれ! 化け物か!」
「待て! あれは味方だ!俺らを助けてくれた傭兵だ……」
先ほど命を救った傭兵が、隊長らしき人物に必死に説明しているのが見えた。瀬戸はバイクをゆっくりと減速させ、兵士たちの輪から数メートル離れた場所で停止させた。エンジン音を殺すと、周囲の緊張感が肌を刺すように伝わってくる。
兵士たちの中心から、一人の男が歩み出てきた。凛々しい顔立ちをした若き貴族風な男であり、強い責任感と正義感を持ち合わせているようだった。瀬戸はその顔に覚えがあった。避難民を護衛していた、あの指揮官だ。
「私はこの領で部隊長を任されているガレス・フォン・ヴァレリアンだ」
男は力強い声で名乗りを上げ、瀬戸を射抜くような鋭い視線で睨みつけた。
「貴殿が噂の『黒剣』か?」
瀬戸はバイクから降り、両手をゆっくりと上げて無害であることを示した。
「ああ、黒剣だ。なぜかそう呼ばれている。面倒ごとは御免なんだがな……一応、身分証明書は鎧の裏側にしまってある。取り出してもいいか?」
「……許可する。ゆっくりと動け」
瀬戸は傭兵所から支給された証明書を提示する。ガレスがそれを確認し、表情をわずかに緩めた隙を突いて、周囲の兵士や傭兵たちが一気に押し寄せてきた。
「おい、あのスライムはどうした!」
「お前、あんな怪物に乗ってたのか?」
矢継ぎ早の質問。瀬戸はディアーナと組み立てておいた「筋書き」を、淡々と口にした。
「モンスターの件なら、瓦礫の崩落に巻き込まれて自滅した。……確認に行けば、あのでか物であったであろう死骸の一部くらいは残っているはずだ」
その言葉に、兵士たちは半信半疑ながらも納得した表情を見せた一方で、城壁の戦いを目撃している傭兵たちは「すげーぜ!」「黒剣は強い」「まじかよ」と歓喜の声を上げている。だが、本当の問題はそこからだった。
「そうか、ではその『スライム』について聞かせてもらおうか」
ガレスが問いかけると、周囲からは「スライムを連れているのか?」という失笑が漏れた。瀬戸は深呼吸をしてから、ソフィアをバイクから降ろした。
「こいつは普通のスライムじゃなくてね。特殊な変異個体だ。その能力は、物質を格納することができる」
周囲の空気が変わる。懐疑的な目で見られるのは予想通りだ。
「……嘘をつくのは感心しないな。スライムにそんな能力があるわけがない」
傭兵の一人が嘲笑いながら歩み寄る。瀬戸は迷わず、足元に落ちていた石を手に取り、ソフィアの体内に滑り込ませた。ソフィアがぷにりと震えると、その石は消え、また次の瞬間には瀬戸の手元に現れた。
沈黙が広がる。実際に目の前で起きた現象に、誰も言葉を失った。これを確認してしまえば、スライムを闇雲に殺すという選択肢は消えるはずだ。
「見てもらった通りだ。しまえる大きさも決まっていて普通の鞄程度だがな。偶然見つけて手懐けることができたんでな。それ以上のことは俺にも分からん」
そう言い切りそれ以上は話すことはなかった。疑う者もいたが、もうこのダンジョンでスライムを見つけることはできないのだから、誰も確かめようがない。そのころにはまた別の対策も立てられているだろう。
「分かった。それは認めよう。……では、その『漆黒の化け物』についてだ」
ガレスの視線が、鈍く光る漆黒の車体に向けられた。瀬戸は、これに関しては真実を語るわけにはいかないと即座に判断した。
「それに関しては、俺にもよく分からないんだ。触ったら急に動き出し、俺の思う通りに動いてくれた。そのおかげ学者さんをはじめ何人かは助けられた……あと、どうやら俺に反応して動いているようで、俺以外が触ってもただの鉄塊になるらしい」
実際、ナノマシンが認証キーになっている以上、これは嘘ではない。ガレスはしばし考え込んだ後、学者と詳しく調査したいと告げた。
「今は地上まで持ち出すことを許可する。……その代わり、研究が終わるまでこの化け物から離れるなよ」
「ああ、それは願ってもない申し出だ」
地上へ向かう道すがら、瀬戸は背後の気配を感じた。ガレスの視線、兵士たちの疑念、そして何よりも、この地下の闇の奥底から迫りくるような大きななにか。
「……エマ、地上に出たらすぐメンテナンスをしなきゃな」
『そうね。人形や植物辺にキマイラ、問題は山積みね。』
バイクを走らせながら、瀬戸はふと、自分を見つめている「何者か」の影を感じた。それはディアーナのセンサーさえも容易くすり抜ける、底知れない恐怖を感じさせた。
地上へ戻る道は、出口への帰還路であると同時に、まだ見ぬ敵が待ち受ける、新たな迷路への入り口なのかもしれない。
瀬戸はアクセルを深く回した




