魂の残響、そして新たな命
瀬戸は人知れず泣いた。ステーションメンバーも何も言わない。ただ沈黙が場を支配していた。その間、スライムはずっと瀬戸の頬に寄り添っていた。瀬戸がようやく落ち着きを取り戻すと、スライムも自然と彼の肩から降りた。離れていくスライムに向かい、瀬戸は言う。
「なあ……俺と一緒に来ないか?」
知性があるとはいえ、この過酷なダンジョンに残れば、いつかは他の傭兵たちに「化け物」として討伐されてしまう。瀬戸には、それがどうにも我慢できなかった。
スライムはじっと瀬戸を見つめている。瀬戸は答えを急がせることのないよう、ただじっとしていた。しばらくして、スライムは近くにあった子供用の机へと向かった。ついてきてと瀬戸を促すような行動に、瀬戸は自然と後を追う。スライムは机の上に飾られた一枚の写真の前に止まった。
〈…………〉
「これは……」
そこには、先ほど店にあったバイクの傍らで、夫婦と5歳ほどの少女の笑顔の姿があった。写真の端には、拙い文字で『愛しのソフィア』と書かれていた。
「……君は、ソフィアっていうのか?」
瀬戸が問うと、スライムは小さく揺れた。肯定の意思表示だった。そしてスライムは再び瀬戸の肩に飛び乗る。それは、瀬戸と共にこの死の街から旅立つという決意に他ならなかった。
「ディアーナ、ミア。ソフィアにナノマシンを移植することはできないか?」
瀬戸の何気ない問いに、二人は言葉を詰まらせた。技術的な困難というより、前例のない未知の領域だからだ。最悪のケースを考えれば避けなければいけない事案だ。だが、答えは思いもよらぬ人物から返ってきた。
『……可能だ』
通信越しに響いたゼノの声に、エマとミアは驚いて艦長を見る。
『本当ですか?』
『ソフィアちゃん、助けられるの?』
『ああ、だがあくまでも可能性があるだけだ……』
ゼノは苦渋の決断をするような沈痛な面持ちでいう。だが、そこに待ったがかかる。
[ディアーナ:艦長、それは……禁止事項に抵触する恐れがあります。]
『分かっている。罰なら後でいくらでも受ける』
だがゼノはその可能性に賭けようとしていた。
『ディちゃん、どういうこと?』
[ディアーナ:おそらく艦長はかつて同胞が犯した『キャンサーでの実験』のデータをもとにナノマシンの移植を行おうとしています。]
ディアーナからその方法を聞き、ステーションの内部は凍りつく。それを行おうというのか……ステーションクルーを含め、瀬戸もその決断に躊躇してしまう。人道に悖る人体実験の数々。だが、ゼノは力強く言葉を継いだ。
『無論、非人道的な実験をするつもりはない。過去のデータ、その理論を応用し、彼女の魂のコアに合わせたナノマシンを精緻に構築する。頼む、みんな、俺は彼女を……ソフィアを助けてやりたい』
「……そうだな、俺も助けてやりたい……俺からも頼む」
いつもの冷静な艦長の、震えるような懇願。エマたちは困惑しながらも、その熱意に突き動かされた。
『そうですね。彼女が少しでも人らしくいられるのなら』
『だね、私とディちゃんがいれば何とかなるよ』
[ディアーナ:……]
エマ、ミアが解析と調整への協力を誓う。
「ディアーナ……」
[ディアーナ:……システムに重大なエラーが発生しました。記録データの一部が消失した恐れがあります。問題解決までデータ記録を中止します]
『ディちゃん……』
『みんな、ありがとう……』
「よし、ならダンジョンから出よう。ここじゃ安心できないしな。」
体制を立て直すため、瀬戸は一度ダンジョンを出る。危険を避けるため、ソフィアにはバックの中に隠れてもらい、一行は町へと帰還した。
翌朝、宿の部屋は緊張と期待に包まれていた。ミーティングの席で、ディアーナが静かに告げる。
[ディアーナ:キャンサーの過去の実験データをアーカイブ含めすべて閲覧、全解析しました。結果、ソフィアに最適化したナノマシンの再構築、可能です。]
『本当か!』
メンバーから歓喜の声が上がる。特にゼノは、普段の威厳をかなぐり捨てて目元を拭っていた。昨夜、ディアーナから密かに聞かされていたのだ――ゼノにはかつて、幼くして亡くした娘がいたことを。彼にとってソフィアは、亡くなった娘を重ねてしまったのだろう。そして贖罪と喪失を埋めるため、かけがえのない存在になりつつあったのかもしれない。
『よーし、じゃあさっそく取り掛かるよ。お姉ちゃん、ディちゃん、サポートと解析、調整お願い。』
ミアが即座に調整に取り掛かる。物の数分で、結晶化した魂を保護するための特殊なナノマシンが完成した。
『完成!せと、いつでもいいよ』
「ああ、わかった。ソフィアちょっといいかい?」
瀬戸はカバンの中のソフィアに優しく語りかけると、ソフィアはゆっくりとカバンの中から出てきて、瀬戸の前で止まる。
「ソフィア、今から、君に魔法をかけるよ。大丈夫?」
瀬戸がそう尋ねると、ソフィアは肯定するように震えた。右手をかざし、調整されたナノマシンをソフィアに注ぐ。新緑の燐光がソフィアを包み込む。ディアーナによる極限の微調整が加わり、真っ青だったスライムの身体が、透き通るような白光へと変化していく。
「ソフィア、大丈夫かい?」
瀬戸が恐る恐る声をかけた、その時だった。
「……お兄ちゃん?」
インターフェイス越しに、幼い女の子の鈴を転がすような声が響いた。
「っ……そうだよ。俺の声が聞こえるかい。」
「う、ん……お兄ちゃん……私の声聞こえるの?」
「うん、聞こえるよ。みんなにも聞こえているよ。」
実験は成功した。ソフィアは自分の声が聞こえ、話せるようになったことに、くるくると回転して喜んでいる。
『よかった……本当によかった……っ』
エマが涙をこぼし、ミアはガッツポーズをして笑う。ゼノはモニター越しに、我が子を見るような眼差しでその光景を見つめていた。
スライムは涙を流せない。けれど、その白く輝く身体からは、命の喜びが溢れていた。瀬戸たちは、ただ愛おしそうに、新たな命の誕生を見つめていた。




