魂の結晶と、小さな守護者
瀬戸はただ、その場に立ち尽くすことしかできなかった。
失われたはずの景色が、そこに在る。その事実だけで、瀬戸の感情は激しく揺さぶられた。2000年の時を超えて現れた日常。壊れかけた決心が、懐かしさと痛みで溶けていく。
『紬、大丈夫ですか?』
エマの不安げな呼びかけに、瀬戸はハッと我に返った。揺らぎそうになった決心が、再び本来の形を取り戻す。
「……ああ、平気だ」
自分が大丈夫であることを告げ、瀬戸は再度、眼前に広がる街を見渡した。やはり、2000年前の街並みそのままだ。
「ディアーナ、ミア、もう一度詳しく状況を解析してくれないか」
『せと、何度解析しても結果は同じだよ。今現在の設備ではこれ以上の特定は不可能……。たとえ最高水準の設備があったとしても、この現象を完全に解き明かせるか断言できないよ…』
『ラビットの解析能力を超えるとは……だが……』
ミアの断りにも似た分析に、瀬戸はやるせない気持ちを飲み込むしかなかった。ゼノは何か考えもあるようだが、今ははっきりと答えが出ないようだった。その時、ディアーナが沈黙を破るように情報を提示した。
[ディアーナ:データ不足のため確証は定かではありませんが、過去の事例と照合しました。ノアの箱舟が発見された際、その内部は時間が完全に停止していたという記録があります。現在この空間で起きていることと一致します。つまり、この状況は――]
[ディアーナ:――方舟の動力源、あるいはオリジンのような未知の物質が原因ではないかと考えられます。]
その言葉に、瀬戸だけでなくステーションのメンバー全員の息が呑まれる音が聞こえた。ここにオリジンが……? もしそうなら、この空間の秘密が解ける。だが、ここで焦れば全てを失う。
『皆、落ち着け!まだそうと決まったわけではない。ここでしくじればすべて無に帰すぞ。』
「そうだな。まずは中心部の確認をしたからだ。」
ゼノの厳格な一声で、一同は気を引き締め直した。探査を継続する。今はそれを優先しなければならない。ディアーナの追跡によれば、異星物質の反応源はまだまだ先だ。瀬戸はゆっくりと、慎重に目的地へと足を進めた。
しばらく歩くと、真新しい戦闘があったと思われる場所に出た。地面は濡れ、周囲にはボール状の石が無数に散らばっている。
「どうやら誰かがここで戦ったようだな……」
『せと、せとデータ、データ早く送って頂戴!』
「待て待て、今送る……ほれ、送ったぞ」
ミアに促され、瀬戸はナノマシンの燐光を解き放った。
解析が終わるまで周囲を検索していると、ふと目の前の店舗の中に視線が止まる。そこには一台のバイクがある。
「まじか……やばい、かっこいいな……」
瀬戸は実はバイカーだった。思わず足を止め、近くで車体を眺める。それは一種の気のゆるみだった。その時、背後で微かな物音がした。
瀬戸は条件反射で振り向きざまに、腰の黒剣に手をかける。だが、そこにいたのはモンスターにしてはあまりに無力そうな、サッカーボール大のスライムだった。
「……スライムか」
切り伏せようと剣に力を込めたその時、通信機越しにミアから鋭い待ったがかかる。
『せと、ダメ! 攻撃しないで!』
ステーションメンバーも、瀬戸自身も戸惑う。ミアの様子が明らかに異様だ。エマが「ミア、どうしたの?」と尋ねるが、ミアはなかなか重い口を開こうとしない。ようやく紡がれた言葉は、過酷なものだった。
『そのスライム……人間の変異体よ』
その事実に、一同は絶句する。
『もう1度解析をやり直せ、ディアーナもだ!エマもサポートしろ‼』
ゼノの声が震えている。いつもの威厳が鳴りを潜めている。何度も結果の誤りを確認するが、何度解析しても答えは変わらない。ディアーナの分析も一致してしまった。
スライムのコアとなっているものは、かつて魂と呼ばれたものの情報結晶。そして周囲を覆うゲルは、生命の水そのものだという。
「俺は……危うく、人であったものを斬るところだったのか」
瀬戸は力なく剣から手を離した。
『紬……』
エマも瀬戸の痛みを理解してしまったのか、何も言えない。瀬戸が攻撃を止めたことを理解したのか、スライムはトボトボと、先ほどバイクのあった店の中へと入っていく。瀬戸はそれを、ただ見つめることしかできなかった。
地面に転がるボール状の石もまた、同じくスライムのコア――人間の魂の情報の結晶だった。瀬戸はやり場のない悲しみを抱えたまま、それらのコアを拾い集め始めた。救えなかった後悔か、自分だけが生き残っているという懺悔か。誰にも分からない。
『…紬、どうするつもりですか?』
「わからない……ただ、このままにはしておけない。このまま野ざらしで彼らがいていいわけないんだ」
『そう、ですね。紬のしたいようにしてあげてください。』
コアを全て集めると、瀬戸は近くの花壇へ向かい、それを丁寧に埋葬しようとした。その時、先ほどのスライムが瀬戸の横にやってきた。スライムは、瀬戸が拾い集めたコアを、不器用ながらも一生懸命に運び出そうとしている。
「お前どうするんだ?」
瀬戸は訳も分からず、その光景を静かに見守った。スライムは何度も、何度も一生懸命にコアを運び出す。決してスムーズではない。何度も落としていた。それでもスライムは運び続けている。スライムが最後のコアを運び終えた時、瀬戸はスライムのあとを初めて追うことにした。スライムも瀬戸についてきてほしいのか、何度も何度も待ちながら瀬戸を誘導していった。
スライムについてゆくとたどり着いたのは、先ほどのバイクがあった店だった。店の奥へ進むと、スライムがいた。そこには、数え切れないほどの仲間のコアが、子供用のおもちゃ箱に大事そうにしまわれていた。おもちゃは全て箱から出され、空いた空間がコアで埋め尽くされている。
「……みんなを守っているのか?」
瀬戸が問うと、スライムは自分に言葉が届いたことに驚いたように動き、うなずくように上下に揺れた。一同がその知性に驚く中、瀬戸は続ける。
「ごめんよ。助けてあげられなくて」
スライムは、強く横に震えた。そして次の瞬間、小さな身体で瀬戸の肩まで飛び乗ってくる。スライムは瀬戸を慰めるように、その柔らかな身体を頬に優しく寄り添わせた。
その温かさと切なさに、瀬戸は思わず涙をこぼすのだった。




