鉄錆の町と、奇跡の迷い人
町の門番である青年、ロイは、限界を迎えていた。
視界を覆うのは、クモの粘着質な糸と、ヘビのようなぬめりを持つ巨大な変異種。町を囲む白色レンガの門は既に半分が破壊され、先の徴兵で主力兵を失った今、残されたのはロイのような若輩の警備兵ばかりだった。
「ひっ……! 来るぞ!」
ロイの叫びと同時に、変異種がそのおぞましい肢を動かした。ガチガチと鋭い節足が地面を叩き、強固なはずの石畳を粉々に砕く。
先の戦闘で戻らぬ兵士たちの穴を埋めるべく、町にいた数名の傭兵も防衛に加わっていたが、彼らもまた疲弊しきっていた。
「くそっ、何て硬い甲殻だ! 刃が通らねぇ!」
一人の傭兵が渾身の力で斧を叩きつけるが、火花が散るだけで傷一つ付かない。逆に、変異種がしなやかな尾を一振りすると、その重厚な一撃をまともに食らった傭兵は、布切れのように空を舞い、城壁の残骸に叩きつけられた。
「隊列を組め! 串刺しにされるぞ!」
門番たちが槍を突き出すが、変異種は蜘蛛のような複眼を妖しく光らせ、蛇の頭部を異常な速さで突き出した。狙われたのは、先ほど壁に叩きつけられた仲間を救おうとした若手の門番だ。
逃げ場はない。若者が恐怖に顔を歪め、面板を閉じて目を閉じたその時だった。
――ズドンッ!
戦場の空気が、暴力的なまでの重圧に震えた。
何かが、遥か彼方から弾丸のような速度で飛来したのだ。巨大なイノシシの頭部が、狙いを定めたかのような正確さで、蛇型の変異種の大きく開いた口に「スポッ」と見事に填まった。
「ギャ……ッ!? ギギッ!?」
変異種はあまりの衝撃と違和感に、混乱して頭を高く持ち上げる。空を仰いだ複眼の先に、黒い影が舞い降りた。
それは、革鎧を纏った一人の男だった。
シュンッ――!
迷いのない一撃。黒い刀身が、大気に残像を残すほどの速度で空を切り裂く。
変異種の巨大な胴体は、自身の重量に耐えきれず、まるで溶けるように真っ二つに分かたれた。汚泥のような体液が噴水のように吹き上がる。
「……は?」
ロイが呆然と口を開ける中、戦場に数秒の静寂が訪れ、続いて爆発的な歓声が上がった。
(……やっちまった。目立ちすぎるだろ)
瀬戸の脳内インターフェースが、ステーションクルーの会話が飛び交いカオスと化す。
『せと! さすがだね! 今の初速、私の計算を超えてたよ! この動き、傭兵としての適性はSランク以上だよ!』
ミアの嬉々とした声が響く一方で、ゼノ艦長からの冷徹な説教が重なる。
『瀬戸。あれほど「目立つな」「慎重に動け」と言ったはずだ。現地人との接触は穏便に行えとあれほど言っただろうが!きちんと指示しただろう!』
「……すまん。だが、あれを放置したら人が死んでたんだよ」
エマに助けを求めるも、彼女は通信越しに、ただ苦笑を浮かべる気配がした。
瀬戸が脳内の喧騒に頭を抱えていると、門番たちの隊長格である中年の男が、恐る恐る近づいてきた。
「すまない。少しいいだろうか。」
「ああ。」
瀬戸は返事をしつつ、威圧的にならないように剣を鞘にしまう。男は感謝と同時に、不審げな眼差しを向けている。
「……今回は助かった。正規兵が出払っていたところに襲われたからな。みんなの命を救ってくれたこと感謝するが……あんた一体、何者だ?」
瀬戸はふうと息を吐き、肩をすくめる。
「……通りすがりの傭兵だ。助けられたなら良かったよ」
その時、男の視線が瀬戸の背後に転がる巨大なイノシシ型の死骸に釘付けになった。
「おい、なんでそんな……まさか!さっきのバケモンの口に、飛んできた頭って、あんたが投げたのか?」
「ああ。金になるかと思って狩った奴が、運よく役に立ったようだな」
「あんた馬鹿力にもほどがあるぜ」
「よく言われる」
「へっ、まあいいや、とりあえず詰め所に来てくれ。決まりなんで少し話を聞かせてくれ。」
男は呆れたように笑い、詰所へと案内を促した。
「了解。」
瀬戸はそれに応じ、戦場を後にする。
詰所に入ると、男は改めて腰を据え、瀬戸に向き直った。
「さて、簡単な身分証明を頼む。……名前とどこの出身だ?」
「あー、悪いが戦闘中に金と一緒に落としてしまってな。なんもないんだよ」
瀬戸は、異世界転生モノのラノベのような定番のセリフを、とりあえず口にしてみる。通じるかどうかは賭けだった。
「あんたそりゃないぜ」
「だよな……だが本当の話だから質が悪い」
瀬戸は開き直ったように肩をすくめる。門番の男は、呆れたように頭を抱えた。
「腕っぷしはよくてもそれじゃモテねえぜ。……じゃあとりあえず名前だけでも教えてくれ」
「ああ、瀬戸だ」
(あっ……)
反射的に答えてしまった瞬間、脳内でゼノの怒号が響く。
『瀬戸! あれほど言ったのに、またお前というやつは!!』
ゼノは大変ご立腹だ。瀬戸は冷や汗を流しながら、心中で苦笑する。
「セトねぇ。……んじゃ、出身はどこだ?」
(今度こそ大丈夫だ。ディアーナ、頼むぞ……!)
[ディアーナ:了解しました。傭兵セトの経歴を構築、送信します]
瀬戸は、ディアーナが事前に用意した「過去」を語り始めた。
「……ここから南に下ったとこにあったオベル村だ。前回のゴブリンの襲撃で滅んだ村だよ。ガキの頃に傭兵について飛び出して諸外国を旅していたんだが、戻ってきたら村が消えていたんで、様子を見に来たってところさ」
門番の男は、その言葉を聞いて表情を暗くした。
「オベル村か……。あれは酷い惨劇だった。……そうか、お前さんも大変だったな」
男は同情の色を隠さなかった。その後、瀬戸が「流れの傭兵として日銭を稼いできたが、稼いでは旅に出る生活で貯金も底をついた」と伝えると、さらに頭を抱え苦笑し、頷いた。
「それなら好都合だ。今日のバケモンを仕留めた分、討伐金が出るはずだぞ。門番として保証してやる」
「それはありがたいが……他の連中も一緒に戦っていたんだ。俺一人で総取りするのは気が引ける」
「へっ、あんた人が良すぎるぜ」
男は笑いながら言った。瀬戸は、ディアーナが索敵で他にも変異種と戦闘をしていたことも把握していたため、自分だけが報酬を受け取ることに抵抗があったのだ。
「上司……師匠からの受け売りだ。人に恨まれれば背中から刺されるってな」
瀬戸は笑って冗談っぽく話す。
だがこれは、サラリーマン時代に上司から本当に聞いた受け売りだった。
上司曰く、厳しめに指導した自覚があったそうだが、よほどの恨みを買ったのか、仕事帰りに部下に背中を刺されたという衝撃的な経験があったのだ。瀬戸は、見舞いに行った際にそのセリフを聞いてから、今でもずっと心に留めていた。
結局、自分が持ってきたイノシシ型の変異種の肉を炊き出しに使うことで、自分を納得することにしたのだった。
男は苦笑いしながら、瀬戸の肩を叩いた。
「あんた、傭兵として腕はいいし、人柄も良い。だが、一つ助言してやる」
「なんだ?」
「傭兵所に行き、登録することをお勧めするぜ。メリット? ……そうだな、あんたみたいな腕利きなら、まともな依頼が来るし、何より町での身分が保証される。詳しくは傭兵所で説明してもらいな」
「傭兵所、か。……分かった、寄ってみるよ」
瀬戸は男に礼を言い、鉄錆の匂いが漂う町の雑踏へと足を踏み入れた。
背中では、炊き出しの準備が始まったのか、肉の焼ける香ばしい匂いが漂い始めている。
2000年後の地球で、初めての「まともな」社会生活が、ここから始まろうとしていた。




