白銀の騎士への思慕と、王女の懊悩
光が満ちる王城の奥深く。重厚な天蓋のついたベッドの上で、エイセフォール王国の第一王女レイア・フォン・エイセフォールは、長い睫毛を震わせて瞼を開いた。
「……ここは」
意識の濁りが少しずつ晴れていく。全身を包んでいた激痛は、王宮専属の最高位魔法治癒師による癒やしの術式によって、既に奇跡のように消え去っていた。レイアはゆっくりと上半身を起こす。シルクの寝間着が柔らかな肌を撫でるが、彼女の心はまだ先ほどの悪夢のような光景の中にあった。
「……あ……」
呆然と宙を見つめる瞳に、かつての凛々しい王女の面影はない。その時、寝室から応接室へつながるドアが勢いよく開かれた。
ふさふさとした灰色の髪の毛、そしてオオカミを思わせる鋭い耳。戦場では魔導士ハットに隠されていたその特徴的な耳が、今は不安げに大きく震えている。彼女の忠実な侍女であり、同時に唯一無二の理解者でもあるセシル・アルヴェンだった。
「……で、んか?」
セシルの声は震えていた。次の瞬間、彼女の表情が安堵に歪む。
「殿下! 目覚めたのですね。お、お体のほうは大丈夫ですか!」
セシルは慌ててレイアに駆け寄る。その動きは普段の冷静な侍女らしからぬ、必死な勢いだった。しかし、そんなセシルの気遣いに対し、レイアがまず口にしたのは、王国の現状でも、自身の体調でもなかった。
「民は……民たちはどうなりましたか? 避難は、間に合ったのですか?」
その問いに、セシルは一瞬驚き、そしてすぐに慈愛に満ちた諦めにも似た表情を浮かべた。彼女はそのままレイアの足元に膝をつき、その震える手を優しく握りしめた。
「はい、レイア様。民の避難は……奇跡的に、多くの者が王都の城壁内へと辿り着くことができました」
「よかった……本当に、よかった」
レイアは胸に手を当て、深く息を吐き出す。彼女がこれほどまでに民を案じる姿こそ、王国民が彼女を慕い、心から敬愛する理由であった。しかし、安堵と同時に、あの日あの場所で起きた光景が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
「それよりもレイア様、ご自身こそ大丈夫ですか? 魔力枯渇状態のまま前線で指揮を執ったのですよ。あの後眠るように意識を失ったので、皆……本当に心配しているのです」
セシルは臣でありながら、レイアを叱責するような強い口調で問いかけた。その声音には、主君への忠誠と、友としての深い情愛が入り混じっている。レイアは、そんなセシルの心配を真っ直ぐに受け止め、少しだけ負い目を感じながら答えた。
「私は大丈夫です。あの時、あなたがかばってくれたから……それより、あなたこそ大丈夫なのですか? 私をかばって、無理をしたのでしょう?」
「……私は、魔力が枯渇しただけですので」
戦場では顔を真っ青にして、今にも倒れそうになっていた二人。しかし今、顔を見合わせる互いの頬には、少しずつ血の気が戻り、赤みが差してきている。
「そうですか。……あなたが無事で、本当に良かった」
互いに無事だったことに安堵し、二人は小さく微笑み合った。ようやく極限の緊張から解放された瞬間だった。
「セシル、教えてください。あの大混乱の中、結局どうなったのですか? 私が意識を失う前に現れた……白銀の騎士様は」
セシルの表情が、緊張で引き締まる。
「あの方は、凄まじかったのです。群がるゴブリンの群れを、まるで紙屑のように切り伏せ……。私たちを逃がすために、たった一人で殿を務められました」
「たった一人で……」
「ええ。私たちも退避の途中で目撃しましたが、王都からでも地平線の彼方から神々しいまでの純白の光が天を突き抜けるのが見えたそうです。まるで、この世のものとは思えない光景でした」
セシルは一度言葉を切り、震える声で続けた。
「その後、斥候たちの報告によれば、あの周辺のゴブリンの群れは跡形もなく消滅していたそうです。……ですが、あの白銀の騎士様の行方は、未だに知れません」
レイアは、心臓の鼓動が早まるのを感じた。あの姿。重厚な装甲を纏いながらも、どこか浮世離れした美しさを放っていた騎士。
(神々しい光の剣……。王族である私ですら、伝承でしか見たことのない『光の魔法』を、いとも容易く使いこなすなんて)
レイアの脳裏に、騎士が戦場を舞う姿が焼き付いている。その気高さ、強さ、そしてどこか哀愁を帯びた佇まい。絵物語から抜け出してきた英雄そのものだった。王族としての誇り高い彼女であっても、その姿を思い出すだけで、思わず頬が熱くなり、膝が折れてしまいそうになる。
「レイア様、実は城門へ戻る際、別の部隊からも報告が入っているのです。避難の陣頭指揮を執っていた兵士たちが、異口同音に言っていました。『白銀の勇者に救われた』と。戦場にいたすべての者の証言から皆、同じ騎士様に救われたのです」
「……同じ人、なのですね」
レイアは呟く。その時、一つの名前が彼女の記憶の霧の中から浮かび上がった。
「そういえば……ガレス! ガレス・フォン・ヴァレリアはどうなりました?」
「ガレス様? ヴァレリア家の次男でしたか……そう言えば彼はレイア様の従兄弟になるのでしたね。ご安心ください。ガレス様も無事です。私たちより先に無事帰還したとの報告がありました」
「それはよかった! ガレスも無事で……!」
レイアは心の底から安堵した。しかし、セシルはそのまま容赦のない爆弾発言を投下した。
「実は……ガレス様の指揮する部隊が騎士様に助けていただいたそうです」
「えっ……」
レイアの表情が硬直する。しかし、セシルは主君の複雑な胸中になど気づくはずもなく、淡々と報告を続ける。
「騎士様と直接お言葉を交わされたそうです」
レイアの胸の中で、小さな炎のような感情が激しく燃え上がった。
(ずるい……!)
言葉には出さなかったが、彼女の心は激しく揺れていた。あの騎士様と、会話を? 私も、騎士様と話がしたかったのに……。
そんな様子に気付くわけもなく、セシルはさらに追い打ちをかける。
「そういえば……第3親衛隊隊長のバルト様も、騎士様とお言葉を交わしたと……。しかも、騎士様ご本人から、直接お名前まで教えていただいたそうなのです」
「…………っ!」
今度は、言葉が喉まで出かかっていた。
(バルトまで……!? それは、あまりに、ずるい……っ!!)
王女としての品位も、淑女の嗜みも、この際関係なかった。レイアは、自分でも制御できないほどの嫉妬心と羨望に突き動かされていた。
「……ずるい」
小さく漏れた声に、セシルが「え?」と聞き返す。
レイアはもう、止められなかった。抑えきれない、純粋な乙女としての叫び。
「ずるい! ずるいですよ、セシル!! 私も……私も白銀の騎士様と直接お話ししたかったんです!!」
王女の寝室に、響き渡る絶叫。
あまりに大きすぎる声は、廊下で控えていたメイドたちの耳にもはっきりと届いた。
「えっ!? 王女様!?」
「何事ですか!?」
慌てた様子で、扉の外からメイドたちが雪崩れ込んでくる。
セシルは真っ青になり、右往左往して
「レイア様、落ち着いて! メイドの皆さんが……!」
と取り繕おうとするが、レイアはもうベッドの上で枕を抱きしめ、子供のようにジタバタと足を動かしている。
「騎士様のお名前を聞けたのはバルトだけなんて……ッ! 私だって、騎士様を直接見て、言葉を交わして、あわよくば……あわよくば……っ!!」
「あわよくば、とは何ですかレイア様!? おやめください、お体にさわります!」
部屋の中は、高貴な王女の取り乱した姿と、困り果てた侍女、そして状況を把握できずに固まるメイドたちで、かつてない大混乱に陥っていた。
しかし、そんな騒動の最中であっても、レイアの頭の中は、あの戦場で見た『白銀の騎士』の残像と、彼と語らう夢の続きで溢れかえっていたのだった。
その光景を、遠く離れた軌道上から冷徹に解析し続ける影があった。
[王都のデータ収集は完了しましたが、なぜだかこのデータはエマには見せない方がいいと判断します]
あの戦闘の中でも実は目にも見えぬ細胞単位のナノマシンがデータ収集のために自分達についているとは知らずに宇宙規模の失態をさらしているとは誰も思うことはないだろう。




