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ネオ・テラ:降下者セトの選択 ―あの日の残業、2000年後の誓い―  作者: totoさけ
長い残業の始まり ―2,000年後の地球と、白銀の騎士―

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二千年の欠落

[ディアーナ記録: 日時不詳]


[施設内管理プログラム: 稼働中]


[対象者: 瀬戸 紬 - 遺伝子サンプルID: 001]


[ステータス: 復帰プロトコル開始]


[ディアーナ: 被験者ID001、生理反応を確認。心拍数が……非常に高い。これが『パニック』という状態でしょうか。呼吸器系の稼働を補助します。瀬戸紬、呼吸のリズムを整えてください。]


氷のような冷たさが、全身を刺し貫く。 肺に強制的に空気がねじ込まれ、瀬戸は激しく咳き込んで目を覚ました。


「ごほっ、ごほっ……! う、あ……っ!」


喉が焼けるように痛い。視界は白く霞み、頭が割れるように重い。

(病院……なのか? いや、なんだこの匂いは。焦げたような、金属のような……)

必死に現状を把握しようと身体に力を込めた瞬間、右肩に走る焼き付くような痛みが思考を切り裂いた。


「痛い……っ! 誰か! 腕が……腕がっ!」


反射的に左手で右肩をかばおうとしたが、その手は空を切った。 恐る恐る右側へ視線を向ける。丁寧に折り目のついた真新しい袖だけが揺れていた。肩から先は、ただそこにあるはずのものが消え去っている。


「ひ……」


心臓が跳ね上がった。夢じゃない。あのドラゴンに食いちぎられたんだ。 猛烈な吐き気が込み上げ、瀬戸は上半身を起こそうとして激しく床に転げ落ちた。


「おい、ふざけるな……! 俺の腕は!? どうなってんだよ! 医者はどこだ!!」


その時、柔らかな温もりが瀬戸の身体を抱きとめた。 オゾンの香りを纏った女性だった。彼女は瀬戸の震える左手を両手でしっかりと握りしめる。


「……瀬戸さん、お願い、落ち着いて! 深呼吸をして!」


彼女の瞳は切実な哀しみに濡れていた。だが、今の瀬戸には、その温かささえも恐怖を煽るものにしか感じられなかった。


「離せ! 俺の腕を返せよ!」


[警告: 被験者のコルチゾール値が規定値を超過。……これが『絶望』というデータでしょうか。緊急鎮静プロトコルを実行します。瀬戸紬、入眠処理を開始します。]


脳内に直接響くような、どこか戸惑いを含んだディアーナの声。


「……やめろ、誰だ……! 離せ!」


女性が必死に彼を繋ぎ止めようとするも、全身を支配する鎮静剤の作用には抗えなかった。瀬戸の叫びは防音の壁に吸い込まれ、彼は再び暗い深淵へと落とされていった。



翌日。

激しい動悸と共に意識が浮上した瀬戸は、昨日の悪夢が現実であることを悟った。部屋には冷たい静寂だけが満ちている。

瀬戸は震える唇を動かし、天井に向けて叫んだ。


「……おい! 聞こえてるんだろ! 昨日聞こえたあの声、誰だ!」


[ディアーナ: 被験者の音声応答を確認しました。覚醒したのですね。……心拍数がまだ高い。なぜそこまで動揺するのか、まだ理解が追いついていませんが、これが『不安』という状態だと学習しています。]


瀬戸は戸惑いつつも、縋るように問いかける。


「被験者……? 何を言っているんだ! 俺は瀬戸紬だ! 閉じ込めて何をする気だ!」


[ディアーナ: 私は管理AIディアーナ。……詳細な説明は、現在のあなたの状態では推奨されません。心身の安定が最優先です。……これが『保護』という概念の正しい適用だと、学習しています。]


「そんなの関係ないだろ! 説明する義務があるはずだ!」


[ディアーナ: ……申し訳ありません。説明を求める声の強さから、あなたが非常に怒っていることは推測できます。しかし、プロトコルにより……これ以上の対話は中止します。休息を推奨します。]


「待て! おい、ディアーナ!」


瀬戸の叫びは、悲しげな溜息のようなノイズと共に遮断された。情報の断片すら与えられない苛立ちと恐怖が、彼の胸を締め付ける。


「……そんなに怒らないで。ディアーナはまだ、あなたの複雑な感情を処理する方法を学んでいる最中なの」


背後から掛けられた柔らかな声に、瀬戸は弾かれたように振り返った。 昨日、彼を抱きとめてくれたあの女性だった。彼女は静かな足取りで瀬戸の傍らに歩み寄る。


「まだ混乱していると思いますけど……改めて自己紹介させて。私の名前は、エル・ユーテリアス。この場所で、あなたのケアを担当しているわ」


エルは瀬戸の震える左手を、優しく包み込むように握った。


「ディアーナも、あなたを傷つけたくなくて必死なのよ。……少なくとも、私たちは、あなたに危害を加えさせることはないわ」



その後、数日は地獄のような時間だった。

目覚めては絶望し、眠らされては悪夢を見る。その終わりのないループの中で、瀬戸はただただ消耗していった。


だが、意識の切れ間で、いつも確かな「温もり」を感じていた。 霞む視界の中で、エルが常に自分の左手を握りしめている。そして、AIであるはずのディアーナも、鎮静剤を投与するたびに、小さな電子音で「……次は、もう少し痛みを軽減する方法を試します」と、学ぼうとするような記録を残していた。


数日が経過し、ようやく身体が鎮静剤に慣れ、パニックを起こす気力すら削がれた頃。瀬戸は長く穏やかな目覚めを迎えた。


「……ここは、どこなんだ……?」


枯れた声で瀬戸が問いかけると、エルは困ったように眉を寄せ、手に取った専用の小型アプリケーターを、瀬戸の乾いた唇にそっと当てた。ひんやりとした感触とともに、潤いがゆっくりと染み渡っていく。


「……安全な場所です。今は、そうとしか言えません」


「……安全な場所? 俺は……事故に遭ったはずだ。あのドラゴンに、腕を……」


瀬戸は震える視線を、右側の袖に向けた。エルはその視線を優しく遮るように、彼の左手を握り返す。


「右腕のことは……今は無理に話さなくていいです。まずは生きることだけを考えて」


「どうして、助けた……? ただの、どこにでもいる人間なのに」


エルの瞳が、深い哀しみと、強い決意を湛えて瀬戸を射抜く。


「あなたが、必要だったから。とてつもなく長い間、待ち続けていたんです。未来を切り拓く、たった一つの希望を」


[ディアーナ: ……バイタルサインは安定しました。あなたの感情の起伏も……少し落ち着いたようですね。モニタリングを継続します。無理をしないでください、瀬戸紬さん。]


無機質なディアーナの声が、どこか瀬戸の安寧を気遣うような響きを含んで耳の奥に届く。 自分が一体何者で、なぜここにいるのか。その答えを知るために、彼はゆっくりと、しかし確実に「新しい世界」を受け入れようとしていた。


その時だった。 部屋の重厚な隔壁が、音もなく横にスライドした。


エルが即座に立ち上がり、姿勢を正す。瀬戸がその背後の影に目を向けると、そこには軍服に身を包んだ、鋭い眼光を持つ壮年の男が立っていた。


男は無言でエルを一瞥し、瀬戸のベッドサイドまで歩み寄る。その威圧感に、瀬戸は息を呑んだ。


「瀬戸紬。君に会うために、どれほどの時間を費やしたか……」


男は瀬戸を見下ろし、厳かに名乗る。

「私はこの施設――宇宙ステーション『ラビット』の艦長、ゼノ・ヴァルガスだ。ようこそ、未来へ」



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