英雄の仮面と、迫り来る影
「勇者様……?」
少女のその一言は、戦場の空気を一変させた。 泥と煤にまみれ、死の淵を彷徨っていた避難民たちが、希望を見つけたかのように目を輝かせ、兵士たちでさえも畏怖の念を抱きながら白銀の騎士――瀬戸を仰ぎ見ている。
(やばい!違う。そんなんじゃない。俺はただの、サラリーマンだってーの!)
瀬戸は内心で激しく首を振った。彼らの理想の騎士像とは程遠い、ただの現代日本から来たしがない元サラリーマンだ。今ここで「勇者」として祀り上げられてしまえば、後々面倒なことになるのは火を見るよりも明らかだった。
(ディアーナ! どうすればいいんだ!? 完全に状況がやばい方向に向かっているんだが!)
インターフェイスを通じて、瀬戸は半ばパニック状態で問いかける。
[ディアーナ:バイタルの上昇を確認。落ち着いてください、瀬戸。やはり越権行為は避けるべきでした。データは不足していますが、瀬戸は彼らの認識において、「絶望的な状況を覆す圧倒的な力を持つ存在」として認識されました]
『ディちゃんの言う通りだよ、せと! さっきのせとの動き、すっごく神々しかったもん。私だって見惚れるくらいだもんね~!』
ミアの弾むような声が、脳内に響く。本来なら軽いジョークとして受け流せたはずだが、今は状況が違う。
『紬、落ち着いて。無理に否定する必要はないわ。……でも、深入りしすぎるのは危険よ』
エマの少し掠れた、しかし確かな温もりを感じさせる声が、焦燥を鎮めようとしてくれる。
『いや、瀬戸、今はその「英雄」の仮面を被っておくのも悪くない』
ゼノ艦長の落ち着いた指示が飛ぶ。
『彼らは今、極限状態にある。そんな彼らに「ただの通りすがりだ」と言っても、納得しないだろうし混乱を招くだけだ。今は彼らの認識を利用しろ。ただし、深入りは禁物だ。あくまで、我々の目的は【オリジン】の捜索だということを忘れるな』
(わかってるよ、艦長。でも、どう切り抜ければいいんだ……)
「すまない……」
瀬戸がこの状況に窮していると、避難民の中で一際身なりの良い、しかし汚れを厭わぬ姿勢の男が前に出てきた。凛々しい顔立ちをした若き貴族であり、その瞳には避難民を守り抜くという強い責任感と正義感が宿っている。彼は剣を鞘に収め、優雅かつ恭しく一礼した。
「……名も知れぬ騎士殿。先ほどは、私たちの命を救っていただき、言葉もありません。私はこの避難民を率いるガレス・フォン・ヴァレリアン。……この度の恩義、何をもって報いるべきか」
ガレス・フォン・ヴァレリアンと呼ばれた男は、瀬戸の純白の装甲を直視できぬように目を細めた。その瞳には、感謝と同時に「何者なのか」という根源的な問いが渦巻いている。
「貴殿のその姿、その力……見たこともないものだ。どこの国から、どのような経緯で現れたのか。教えてもらいたいのだが?」
瀬戸は内心で舌打ちをした。「2000年前の日本です」とも、「宇宙から来ました」とも言えるわけもなく、ましてや「どこの国か」などと説明できるはずがない。ナノマシンによる翻訳は完璧だが、歴史的背景は今の段階では情報不足だ。
(ディアーナ、どうする!? 適当な設定を捏造できるか?)
[ディアーナ:……現在までの観測データに基づき、最適解を生成しますが……沈黙が長すぎます。なにか早く応答をしたほうがよろしいかと]
瀬戸が言葉を選ぼうとした、その時だった。
[ディアーナ:――瀬戸!索敵反応あり、敵が来ます!]
ディアーナの声色が、無機質ながらも鋭く変わる。
『紬、前方より、大規模な生命反応を検知! 種類は先ほどの変異体とほぼ同一、ただし規模が異常よ! 少なくとも百……いや、二百を超えている!』
「何だって!?」
瀬戸は思わず声を荒らげた。ガレスがいぶかしげな表情でこちらを見る。瀬戸は即座に悟った。悠長に会話をしている場合ではない。この数で来れば、この避難民たちは全滅する。
瀬戸は無言のまま、背後の森の奥――これから敵が押し寄せてくるであろう方角を指差した。
「……移動するなら、今すぐにしろ」
「なに……?」
「敵が来る。今の比じゃない。……この先、数百の化け物がここへ向かってくる」
瀬戸はビームサーベルを構え、その光の刃を唸らせた。
「お前たちが逃げられる時間を稼ぐ。……早く行け。その人たちを守れ!」
「しかし、貴殿一人で……!」
「早くしろ!」
瀬戸の叱咤に、ガレスは言葉を詰まらせた。だが、遠くから聞こえてきた――大地を揺らすような地鳴りと、耳をつんざくような金切り声が、瀬戸の言葉が真実であることを告げていた。
「……分かった。騎士殿、必ず生きて帰ってきてくれ! 貴殿の恩、必ずや報いよう!」
ガレスは部下に指示を出し、避難民たちを抱えて走り出した。瀬戸は背を向けた彼らの背中を背後に感じながら、光り輝く刃を握りしめ、来るべき嵐へと向かって一歩、また一歩と歩みを進める。
[ディアーナ:敵性生物まで残り300メートル]
『紬! 無理しないでね』
『せと、データは十分取れたし、 バックアップは任せて!』
『ナノマシンの全出力の使用を許可する。だが、無茶だけはするなよ』
脳内で響くステーションクルーの声援。しかし、瀬戸はただ口元をニヤリと歪めた。不思議と、恐怖はなかった。むしろ、右腕に宿る力と、かつて自分を救ってくれた人々の想いが、身体の中で静かに、しかし熱く燃え上がっているのを感じる。
「……勇者様、か」
瀬戸はサーベルを正眼に構え、迫り来る黒い波濤を睨みつけた。
「悪いが俺は、ただのしがないサラリーマンだ。……だが、今日だけは、この『勇者』という役を演じきってやる」
獣のような咆哮が森の木々を揺らす。 単身、白銀の騎士は地獄の入り口へと飛び込んだ。




