第8話 「金貨の重さ」
ランドルの北門をくぐると、門番が俺たちを見て目を丸くした。
子供を抱えているからだろう。それとも、Fランクの冒険者が廃坑道から戻ってきたからか。どちらにしても、俺には関係ない。
子供、ルカは意識があった。声は出なかったが、目は開いていた。俺の胸に顔を押しつけたまま、時々小さく震えた。三日間の恐怖が、まだ体の中に残っているのだろう。
「商会はどこですか」
俺は門番に聞いた。
門番は一瞬躊躇してから、街の中心部の方角を指さした。
「大通りを真っすぐ行って、噴水広場の手前を右です。でかい建物があります」
「ありがとう」
歩き始めると、エリナが隣に並んだ。
「ルカ、大丈夫そう?」
「衰弱している。早く水と食事が必要だ」
「急ごう」
大通りを歩くと、通行人の視線を感じた。子供を抱えた薄汚れた若者と、ボロ布の少女と、白髪の老魔法師という組み合わせは、確かに目立つ。
カルロは少し後ろを歩いていた。俺たちの会話に加わらず、ただついてくる。
噴水広場を右に曲がると、すぐにわかった。他の建物より一回り大きく、正面に商会の紋章が掲げられている。扉の前に使用人らしき男が二人立っていた。
俺が近づくと、使用人の一人が俺の腕の中を見た。
その顔が変わった。
「ル、ルカ様……!」
男は扉を開けて、中に向かって叫んだ。
「会頭! 会頭、ルカ様が!」
建物の中が騒がしくなった。足音が複数、こちらに向かってくる。
扉から飛び出してきたのは、五十代くらいの太った男だった。息が上がっている。目が赤い。泣いていたのか、それとも今泣きそうなのか。
男はルカを見た瞬間、声を失った。
俺はルカを男の方に差し出した。
「ベルナルド会頭ですか」
男は答えなかった。ルカを受け取り、強く抱きしめた。ルカが小さく声を上げた。生きている、という確認をするように、何度も背中を叩く。
しばらくして、男が顔を上げた。目が濡れていた。
「……君たちが、助けてくれたのか」
「依頼を受けました」
「坑道に、魔物がいたはずだ」
「いました」
男はまた黙った。ルカの頭を撫でている。子供は男の胸に顔を埋めたまま、今度は声を出して泣き始めた。
俺はその様子を見ていた。
何かが胸の中で動いた。感情に名前をつけるのが得意ではないが、悪い感覚ではなかった。
商会の中に通された。
応接室は広く、調度品が立派だった。柔らかい椅子に座るのは久しぶりな気がした。いや、この世界に来てから初めてかもしれない。
ルカはすぐに医師のいる部屋に連れて行かれた。使用人が俺たちに水と食事を運んできた。温かいスープと、柔らかいパンと、焼いた肉。昨日ギルドで食べたものより、明らかに質がいい。
エリナが目を輝かせた。俺も正直、腹が減っていた。
カルロだけが、食事に手をつけず椅子に座っていた。
しばらくして、ベルナルドが戻ってきた。椅子に座り、俺たちを見た。
「ルカは衰弱しているが、命に別状はないと医師が言っている」
「よかった」
エリナが言った。
「君たちのランクを確認してもいいか」
俺はギルドカードをテーブルに置いた。エリナも置く。
ベルナルドはカードを見た。Fランクの文字を見て、何かを言いかけた。だが言わなかった。代わりに、深く息を吐いた。
「Fランクが、坑道に入ったのか」
「はい」
「ダークバットがいたはずだ。死ななかったのか」
「なんとか」
ベルナルドはカルロを見た。カルロは静かに視線を返した。二人の間に、何か通じ合うものがあるような気がした。知り合いなのか、それとも互いの格を測っているのか。
「報酬の件だ」
ベルナルドが俺に向き直った。
「金貨一枚と提示したが、それでは足りない。倍にしよう」
「金貨二枚?」
エリナが声を上げた。
「三日間誰も動かなかった依頼だ。君たちがいなければ、ルカは死んでいた。金貨二枚でも安いくらいだ」
俺は少し考えた。
「金貨一枚で構いません」
エリナが俺を見た。ベルナルドも意外そうな顔をした。
「なぜだ」
「依頼の報酬は金貨一枚と決まっていた。それ以上受け取る理由がない」
「理由ならある。君たちはそれ以上の仕事をした」
「依頼の内容は、少年の捜索と救出でした。それを達成した。それだけです」
ベルナルドはしばらく俺を見ていた。それから、小さく笑った。
「変わった冒険者だな」
「そうかもしれません」
「わかった。金貨一枚だ」
ベルナルドはテーブルに金貨を置いた。
「ただし、もう一つ提案がある」
「何ですか」
「今後、うちの商会が出す依頼を優先的に回したい。君たちが適任と判断した案件だけでいいが、どうだ」
エリナが俺を見た。俺はベルナルドを見た。
商会との繋がりは、悪くない。安定した依頼は、安定した収入になる。この街で活動を続けるなら、信頼できる依頼主がいることは助かる。
「わかりました」
握手をした。ベルナルドの手は大きく、固かった。
商会を出ると、夕方になっていた。二つの太陽が西に傾き、空が橙と金の混ざった色になっている。
金貨一枚を二人で分けた。金貨を両替すると、銅貨換算で百枚以上になる。しばらくは食事と宿の心配をしなくていい。
「カルロさんには何も渡さなくていいの?」
エリナが聞いた。
「聞いた。断られた」
「いつの間に」
「商会を出る前に」
エリナが歩きながら言った。
「なんで断ったの。金貨二枚」
「言った通りだ」
「損したと思わない?」
「思わない」
俺は答えた。
「必要以上に受け取ると、次から相手の期待値が上がる。それが面倒だ」
エリナが少し考えた。
「……それ、打算?」
「半分はそうだ」
「半分は?」
俺は答えなかった。
残り半分は、うまく言葉にできなかった。ベルナルドがルカを抱きしめた顔を見たとき、胸の中で動いた何かと関係している気がしたが、それを言葉にする必要はないと思った。
カルロが俺の隣に並んだ。
三人でしばらく黙って歩いた。ギルドの方向に向かっている。
カルロが口を開いたのは、大通りに出たところだった。
「一つ、話がある」
俺とエリナが立ち止まった。
「明日の朝、街の東側に古い建物がある。鍛冶屋の跡だ。そこに来なさい」
「何のために」
俺は聞いた。
「教えることがある」
短い答えだった。だが、昨日一昨日と違う何かがあった。カルロが自分から俺を呼ぶのは、これが初めてだ。
「何を教えるんですか」
「備考欄に書かれたものを、君が自分で読めるようになるための、最初の一歩だ」
俺は息を止めた。
エリナも黙っていた。
カルロはそれ以上何も言わず、路地の方に曲がって消えた。足音もなく、あっという間に見えなくなった。
エリナが俺を見た。
「行くの?」
「行く」
即答だった。
「即答なのね」
「迷う理由がない」
エリナはため息をついてから、小さく笑った。
「まあ、私も行くけど」
俺たちはギルドに向かって歩き始めた。
手の中に、金貨の重さがあった。
小さくて、重い。銅貨とは違う重さだ。今日一日で起きたことの重さと、少し似ている気がした。
明日、カルロが何かを教えてくれる。
備考欄に近づく、最初の一歩。
俺はそれを、ずっと待っていた。
次回・第9話「鍛冶屋の跡で」
廃屋に現れたカルロが最初に言ったのは、「魔法の話をする前に、お前自身の話をしろ」だった。ゼロが初めて、自分の内側と向き合う朝。




