第7話 「坑道の底」
坑道の中は、外より五度は低かった。
カルロの杖が灯す光が、岩壁を照らしている。天井は低く、大人が背筋を伸ばして歩けるかどうかという高さだ。足元は砂利混じりの土で、歩くたびに小さな音がする。
俺は音を立てないように歩き方を変えた。体重を踵ではなく、つま先側にかける。歩幅を小さくする。エリナも自然にそれにならった。カルロは最初から音を立てていなかった。
坑道は一本道ではなかった。
十メートルほど進むと、左右に分岐する。さらに進むと、また分岐する。廃坑道というだけあって、掘りかけのまま放棄された横穴があちこちにある。
俺は足元を見ながら歩いた。
子供の足跡を追っている。土が柔らかい場所では足跡がはっきり残っている。固い岩盤の場所では消える。消えたら、次に土が現れる場所まで進んで再確認する。
「足跡、まだ続いてる?」
エリナが小声で聞いた。
「ある。右の分岐を選んでいる」
「子供が右を選ぶ理由は?」
俺は少し考えた。
「右利きの人間は、迷ったとき右に曲がる傾向がある。根拠は薄いが」
「他には?」
「右の通路の方が、わずかに空気の流れがある。光が届かない場所で、本能的に空気のある方を選んだかもしれない」
カルロが後ろから静かに言った。
「良い観察だ」
それだけ言って、また黙った。
分岐を三つ越えた。坑道の深さは、感覚的に五十メートルほどだろうか。入り口の光はとっくに見えなくなっている。カルロの灯す明かりだけが頼りだ。
そのとき、前方から音がした。
俺は立ち止まった。エリナも止まる。
音は低く、断続的だった。何かが地面を引っかくような音。それが一つではなく、複数聞こえる。
俺はステータス画面の索敵機能を試みた。スキルがないから使えるかどうかわからなかったが、意識を前方に向けて集中した。
うっすらと、気配がわかる気がした。
三つ。いや、四つか。
「前方に複数いる」
俺は小声で言った。
「四体前後」
「見えるの?」
エリナが聞いた。
「見えない。気配だ」
「スキルがないのに?」
「わからない。ただ、そう感じる」
カルロが俺の横に並んだ。老魔法師は目を細めて前方を見た。
「四体、正確だ。君は索敵系のスキルを持っていないはずだが」
「持っていません」
「ならば」
カルロは小さく呟いた。
「知力の応用か、あるいは」
そこで言葉を止めた。俺は続きを待ったが、カルロは何も言わなかった。
前方の音が大きくなっていた。こちらの気配に気づいたらしい。
角を曲がると、広い空間に出た。
坑道が途中で広く掘られた場所だ。天井が高くなり、カルロの明かりが広がって、全体が見渡せる。
そこに魔物がいた。
コウモリに似た形をしている。だが大きさが違う。翼を広げると一メートルを超える。体は黒く、目は赤い。四体が天井と壁に張り付いていた。こちらを向いている。
ダークバット Lv.4
HP:22/22
危険度:F+
F+。通常のF級より一段階上だ。スライムウルフやギルラットより強い。
だが、俺が気になったのは魔物ではなかった。
広間の奥に、岩の突起があった。その陰に、小さな影が見えた。
丸まっている。動いていない。
「いる」
エリナが息を飲んだ。
「子供」
俺も見えた。小さな体が岩陰に身を寄せ、膝を抱えている。三日間、あそこにいたのか。
ダークバットが動いた。一体が翼を広げて、こちらに向かって飛んでくる。
俺は横に跳んだ。翼の風圧が頬をかすめた。
「散れ」
エリナが反対側に走った。バットが旋回して戻ってくる。
俺は観察した。飛んでいる。速い。地上で罠を仕掛ける時間はない。石を投げても、飛行中の的には当たりにくい。
弱点はどこだ。
バットが再び突っ込んでくる。俺はぎりぎりまで引きつけて、真横に転がった。バットが通過する瞬間、翼の付け根が見えた。
そこだ。
翼を動かすための筋肉が集中している場所。そこを潰せば、飛べなくなる。飛べなければ、地上で対処できる。
問題は、届くかどうかだ。
「エリナ、石を持ってるか」
「三つ」
「翼の付け根を狙え。飛んでいるときじゃなく、壁に張り付いた瞬間を狙う」
エリナが頷いた。
バットが天井に戻った。次の突撃を準備している。その一瞬、壁に張り付いた。
エリナが石を投げた。
命中した。バットが奇妙な声を上げた。翼の動きが乱れる。落下しかけて、なんとか態勢を立て直したが、動きが鈍くなった。
「もう一度」
エリナが二つ目の石を投げた。今度は同じ場所に当たらなかったが、バットがバランスを崩して地面に落ちた。
俺が走った。地面に落ちたバットに馬乗りになり、石で頭を叩く。二度、三度。動かなくなった。
残り三体。
一体が俺めがけて飛んできた。避けようとしたが、間に合わない。翼が肩を叩いた。強い衝撃。よろめく。
そのとき、カルロが杖を動かした。
光が細く伸びて、バットの前方に壁を作るように広がった。バットがそれに衝突して落下する。魔法だ。攻撃ではなく、障壁を作った。
「戦わない、と言ったが」
カルロが静かに言った。
「障壁は攻撃ではない」
俺は落ちたバットを仕留めた。
残り二体。
二体は天井で様子を見ていた。仲間が二体やられて、警戒しているらしい。
俺はゆっくりと広間の奥に向かった。バットを刺激しないように、壁際を歩く。岩の突起に近づいた。
子供がいた。
八歳くらいの男の子だ。膝を抱えて目を閉じている。意識があるかどうかわからない。顔が青白い。唇が乾いている。
「ルカ」
俺は小声で呼んだ。
反応がない。
「ルカ」
もう一度。
まつ毛が動いた。薄く目が開く。焦点が合っていない。だが、生きている。
「助けに来た」
子供がゆっくりまばたきをした。声が出ないのか、口が動くだけで音にならない。
俺は子供の状態を確認した。外傷はほとんどない。三日間、水も食事もなかったはずだ。衰弱している。自力では歩けないだろう。
天井のバットが動いた。
俺が子供に近づいたことで、縄張りを侵されたと判断したらしい。二体同時に飛んできた。
俺は子供を背中に庇って、立ち上がった。
二体同時は、さすがに厳しい。
エリナが広間の反対側から声を上げた。石を投げて一体の注意を引く。一体がエリナの方に向かった。
残り一体が俺に向かってくる。
俺は動けない。背中に子供がいる。
バットが翼を広げて急降下してくる。俺は子供を前に抱え、背中でバットを受ける体勢を取った。
衝撃が来る、と思った瞬間。
カルロの障壁が、俺とバットの間に現れた。バットが弾かれて落下する。
俺はすぐに動いた。落ちたバットに子供を抱えたまま近づき、足で頭を踏んだ。一度では足りない。二度。三度。動かなくなった。
エリナの方を見ると、最後の一体がすでに地面に落ちていた。石が三つ、頭に当たっている。
「終わった」
エリナが荒い息で言った。
俺は子供を抱え直した。軽い。恐ろしいほど軽かった。三日間、この暗闇の中で一人でいたのだ。
視界に光が浮かんだ。
戦闘勝利
獲得経験値:76
レベルアップ:なし
子供が俺の胸に顔を押しつけた。声もなく、泣いていた。
俺は何も言わなかった。言葉が必要な場面ではないと思った。ただ、落とさないようにしっかりと抱えて、出口に向かって歩き始めた。
カルロが先導して明かりを灯す。エリナが後ろを警戒しながらついてくる。
坑道を戻りながら、俺はカルロの背中を見た。
戦わない、と言った。障壁は攻撃ではないと言った。
二度、俺を助けた。
助けながら、手を出さなかった。
この老人が何を考えているのか、まだわからない。だが一つだけ確かなことがある。
カルロは俺に、自分で戦わせようとしている。
なぜかはわからない。
備考欄に書かれたものと、関係があるのかもしれない。
坑道の出口に光が見えてきた。二つの太陽の光が、暗闇の先に滲んでいる。
子供が小さく呟いた。
「……こわかった」
「もう大丈夫だ」
それだけ言った。
嘘ではないと思った。少なくとも今この瞬間は、大丈夫だ。
次回・第8話「金貨の重さ」
子供を連れて街に戻ったゼロたちを待っていたのは、商会会頭の涙と、予想外の申し出だった。そしてカルロが、初めて自分から口を開く。




