第55話 「天秤の代表者」
モリスから連絡があったのは、三日後だった。
街の入り口で、天秤の紋章を持った少年が待っていた。俺に紙を渡すと、何も言わずに去っていった。紙には、待ち合わせの場所と時間だけが書かれていた。
**明日の正午、鍛冶屋の跡にて。**
俺は少し驚いた。
「鍛冶屋の跡」
カルロに報告すると、老魔法師も驚いた顔をした。
「なぜ、あの場所を知っている」
カルロは言った。
「ほとんど、誰も知らないはずだ」
「モリスは、俺たちのことをよく調べているようです」
俺は続けた。
「行っても、大丈夫ですか」
「行こう」
カルロは頷いた。
「ただし、罠の可能性も考えて、慎重に動く」
---
翌日の正午、鍛冶屋の跡に向かった。
俺、エリナ、カルロ、アルク、セルマの五人だ。全員で扉を開けた。
中に、二人の人物がいた。
一人はモリス。もう一人はカルロにとって、見覚えのある人物だった。
白髪を後ろで束ね、深いしわの刻まれた顔。細い杖を持っている。年齢はカルロと同じくらいだろうか。
カルロが、その人物を見た瞬間、表情が固まった。
「まさか」
カルロが呟いた。
「久しぶりだね、カルロ」
その人物が言った。
「知り合いですか」
俺はカルロに聞いた。
カルロは、しばらく答えなかった。
それから、静かに言った。
「私の、兄弟子だ」
俺は驚いてその人物を見た。
「名前は、フェリクス」
フェリクスという名の老人は、穏やかに微笑んだ。
「久しぶりに会うのに、そんな驚いた顔をしないでくれ」
フェリクスは言った。
「もう五十年も前の話だ」
「五十年」
俺は繰り返した。
「私とカルロは、同じ師のもとで学んだ」
フェリクスは続けた。
「私の方が、少し年上でね。カルロが弟子入りしたとき、私が世話をしていた」
カルロが静かに言った。
「お前が、天秤の代表者だったのか」
「そうだ」
フェリクスは頷いた。
「聞いていなかったのか」
「聞いていない」
カルロは続けた。
「お前は、どこにいたんだ。五十年も、消息を絶って」
「均衡を守るために、静かに活動していた」
フェリクスは答えた。
「表に出る必要は、なかったからね」
俺はフェリクスを観察した。
カルロと同年代。穏やかな物腰。だがその目の奥に、何か揺るぎない意志を感じた。
「話を聞かせてください」
俺は言った。
「天秤とは、何のための組織ですか」
フェリクスは俺を見た。
「あなたが、今の始祖の器か」
フェリクスは静かに言った。
「初めまして。ゼロさん」
「初めまして」
「単刀直入に言おう」
フェリクスは続けた。
「天秤は始祖の力が、特定の誰かに独占されることを防ぐために、存在する」
「独占、というのは」
「歴史上何度か、器と鍵が揃いかけたことがある」
フェリクスは続けた。
「その度に、力を求める者たちが動いた。多くの場合、悲劇に終わった」
「悲劇とは」
「器や鍵となる人間が命を落とすか、あるいは力に飲まれて、人でなくなった」
フェリクスは静かに言った。
「我々天秤は、そうした悲劇を防ぐために、器と鍵の動向を見守り続けてきた」
俺は少し考えた。
「クレスタ村を焼いたのは、あなた方の仲間だという噂があります」
フェリクスの表情が、はっきりと変わった。
「その村を焼いたのは、天秤ではない」
フェリクスは、きっぱりと言った。
「我々の名を騙った者の仕業だ」
「なぜそう言い切れるんですか」
「天秤の全構成員の動向は、私が把握している」
フェリクスは静かに言った。
「あの日あの場所に、我々の者は誰一人いなかった。それに、我々は無差別に村を焼くような手段は取らない。均衡を守るために、無関係な命を奪うことは、我々の理念に反する」
「では、誰が天秤を騙ったんですか」
俺は聞いた。
「わからない」
フェリクスは険しい顔をした。
「だが、我々の名を利用してまで鍵を探している者がいるなら、それは看過できない」
「モリスさんからも、同じ話を聞きました」
俺は続けた。
「情報が漏れている可能性があると」
「その通りだ」
フェリクスは頷いた。
「天秤の存在を知る者は限られている。だが、完全に秘匿できているとは言い切れない。どこかから、名前だけが流出している可能性がある」
俺は少し考えた。
「心当たりはありますか」
「まだない」
フェリクスは正直に答えた。
「調べている最中だ」
カルロが口を開いた。
「フェリクス、お前自身は何を望んでいる」
フェリクスはカルロを見た。
「ゼロさんが、危険にさらされないことを望んでいる」
フェリクスは静かに言った。
「そして、始祖の鍵となる人物も、同じように守りたい」
「鍵の情報を、教えてくれるんですか」
俺は聞いた。
「教える前に、一つ確認させてほしい」
フェリクスは言った。
「あなたは、鍵を探すつもりがあるのか」
俺は少し考えた。
「わかりません」
俺は正直に答えた。
「今は、それより優先すべきことがあります」
「何だ」
「天秤の名を騙ってまで鍵を狙う者を、これ以上放置しないことです」
俺は続けた。
「クレスタ村のような被害を、また増やすわけにはいきません」
フェリクスはしばらく俺を見た。
それから、静かに頷いた。
「あなたの考え方は、始祖の理念に近い」
フェリクスは言った。
「破壊ではなく、繋ぐこと」
「知っているんですか、始祖のメッセージを」
「オルディナの遺跡の内容は、天秤も把握している」
フェリクスは続けた。
「私も、若い頃に見たことがある」
俺はフェリクスを見た。
この老人が、どこまで信用できるのか、まだ判断がつかない。だが、少なくとも今日の話し方に、嘘は感じなかった。
「一つ、提案があります」
俺は言った。
「聞こう」
「天秤の名を騙る者について、何かわかったら、教えてもらえますか」
俺は続けた。
「それができるなら、俺も天秤との対話を続けます」
フェリクスは少し考えた。
「約束する」
フェリクスは静かに言った。
「こちらも、独自に調査を進める」
「わかりました」
俺は言った。
「今日は、これで」
「また会おう」
フェリクスは立ち上がった。
「カルロお前とも、少し話したいことがある」
「いつか、な」
カルロは短く言った。
フェリクスとモリスが、鍛冶屋の跡を出ていった。
残された五人で、しばらく沈黙が続いた。
エリナが口を開いた。
「信用できる人だと思う?」
「わからない」
俺は正直に答えた。
「ただ、今日の話は、嘘には聞こえなかった」
カルロが静かに言った。
「フェリクスは、昔から、そういう人間だった」
老魔法師は続けた。
「理想を語り、実際に行動する。ただ、理想の実現のために、時に手段を選ばないこともあった」
「危険な人物ですか」
「危険では、ない」
カルロは続けた。
「ただ、簡単に信用できる人間でもない」
俺は頷いた。
もし本当に天秤が無関係なら、誰かが天秤の名を利用して、始祖の鍵を探している。それは、無冠が解散に向かう今、新しい脅威が生まれつつあるということだ。
「これから、どうしますか」
アルクが聞いた。
「一つ、気になることがあります」
俺は言った。
「ラーダ団です」
エリナが俺を見た。
「ラーダ団が、天秤の名を使った可能性はありますか」
俺は続けた。
「クレスタ村の燃やし方が、ラーダ団のやり方と似ていると、エリナが言っていました」
カルロが頷いた。
「調べる価値はある」
カルロは言った。
「ラーダ団が、天秤の名を利用して、独自に鍵を探しているとしたら、辻褄が合う」
エリナが、少し表情を曇らせた。
「もしそうなら」
「エリナのせいじゃない」
俺はすぐに言った。
「エリナは、もう団を抜けた人間だ」
エリナは小さく頷いた。
「ロックスに、ラーダ団の現在の動向を調べてもらいましょう」
俺は続けた。
「これまでの情報とも、繋がるかもしれません」
全員が頷いた。
俺はステータス画面を確認した。
ゼロ Lv.9
HP:37/37
MP:20/20
筋力:12 敏捷:15 魔力:7 耐久:10 知力:17
スキル:なし
備考欄:◇◇◇◇◇◇
変化はない。
だが頭の中では、また新しい繋がりが生まれていた。
カルロの兄弟子フェリクス。天秤という組織。そして天秤の名を騙る何者か。ラーダ団の可能性。
この世界には、まだ知らない繋がりが、たくさんある。
橋になるという役目は、まだ始まったばかりだった。
次回・第56話「ラーダ団の影」
ロックスが持ち帰った情報は、予想以上に生々しいものだった。ラーダ団が、最近になって急激に活動範囲を広げている。そしてその中心に、聞き覚えのある地名があった。
天秤の代表者フェリクス、カルロの兄弟子でした。天秤自体は理念も統率もはっきりした組織として、無冠とは違う個性を持たせています。クレスタ村を焼いたのは天秤を騙った何者か——その正体に、ラーダ団の影が見え始めました。
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