第47話 「レイの決断」
レイは、一人で草原を歩いていた。
オルディナの遺跡から戻って三日が経つ。写し取った術式は、まだ誰にも見せていない。革の筒に入れたまま、常に身につけていた。
目的地は、決めていなかった。
いや、正確には、決めたくなかった。
カルロの言葉が、頭から離れなかった。
『セインに会って、確かめてみろ』
確かめて、どうするというのか。
セインが自分を失望しているとわかったら、それがどうなるというのか。
レイは足を止めた。
草原の真ん中で、風が吹いていた。空は晴れていて、二つの太陽が並んでいる。
十四歳のとき、自分は死にかけていた。
貧しい村の出身で、家族は流行病で全員死んだ。一人で生きるすべを知らないまま、放浪していた。飢えと病気で、動けなくなっていたところを、セインに拾われた。
「お前には、才能がある」
セインが最初に言った言葉を、今でも覚えている。
自分には何もないと思っていた。だが、セインは違うと言った。魔力の感度が高い。鍛えれば、強くなれる。
その言葉が、生きる理由になった。
それから十年近く、セインのもとで学んだ。研究を手伝い、術式を覚え、少しずつ力をつけた。
セインは厳しかったが、丁寧だった。一つ一つ、きちんと教えてくれた。
その研究が、正しいと信じていた。
人間の限界を超える。力を持たない者に、力を与える。それは、かつての自分のような人間を、救う道だと信じていた。
だが、セインは変わった。
師匠を裏切るような形で、術式を写し取った。それでも、確かめずにはいられなかった。
レイは、歩みを再開した。
北に向かって。セインが今どこにいるのか、正確にはわからない。だが、心当たりがある場所があった。
半日ほど歩くと、小さな洞窟が見えてきた。
かつて、無冠の秘密の会合場所として使っていた場所の一つだ。廃村ほど大きくはないが、隠れるには十分な広さがある。セインが単独で身を潜めるなら、ここかもしれないと思った。
洞窟に近づくと、気配があった。
レイは足を止めた。
入り口の前に、人影があった。
セインだった。
黒い服ではなく、地味な旅装だ。焚き火の前に座って、何かの本を読んでいた。
レイに気づいて、顔を上げた。
「来たか」
セインは静かに言った。
「予想していた」
「なぜここがわかると」
「お前が知っている場所は、限られている」
セインは続けた。
「座れ」
レイは焚き火の反対側に座った。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
風が焚き火を揺らす音だけがした。
セインが先に口を開いた。
「術式を写し取ったな」
レイは驚かなかった。セインなら、当然気づくと思っていた。
「はい」
「なぜ」
「師匠が研究をやめると、決めたからです」
レイは静かに言った。
「誰かが続けなければならない。それが正しい道だと、思っています」
セインはしばらくレイを見た。
「怒っていると思っていたか」
セインは聞いた。
「思っていました」
「私は怒っていない」
セインは続けた。
「むしろ、お前らしいと思った」
レイは、少し驚いた。
「らしい、というのは」
「私も、かつて同じことをした」
セインは静かに言った。
「カルロ師匠の教えに反して、自分の研究を進めた。師匠が反対しても、止まらなかった」
「私も同じだと、いうことですか」
「そうだ」
セインは炎を見た。
「ただ、一つだけ違うことがある」
「何ですか」
「私はあの時、間違っていた」
セインは言った。
その言葉に、レイは何も言えなかった。
「私は力さえあれば、人間の限界を超えられると信じていた」
セインは続けた。
「だが遺跡の術式を見て、考えが変わった。始祖が残した言葉を、お前も知っているだろう」
「橋となれ、という言葉ですか」
「そうだ」
セインは頷いた。
「私は力で、人間の限界を壊そうとしていた。だが始祖が示していたのは、破壊ではなく、繋ぐことだった」
レイは黙って聞いていた。
「私がやろうとしていたことは、人間と魔物を融合させて、力を奪うことだった」
セインは続けた。
「それは繋ぐことではない。奪うことだ」
「では師匠の研究は、間違いだったということですか」
「間違いだったと思う」
セインは静かに言った。
「だがお前の言うことも、わかる。力を持たない者に、力を与えたいという思いは、間違いではない」
「では、どうすればいいんですか」
セインは少し考えた。
「奪うのではなく、育てる方法を探すべきだった」
セインは言った。
「魔物の力を融合させるのではなく、人間が本来持っている力を、正しく引き出す方法を」
レイはしばらく考えた。
「それはゼロが今、修行していることと似ていますね」
セインは少し驚いた顔をした。
「知っているのか」
「遺跡で聞きました」
レイは続けた。
「胸の温もりを感じて、それを少しずつ引き出す。ゼロは、そうやって自分の限界を超えている」
セインは静かに頷いた。
「そうだ」
セインは言った。
「私が本来目指すべきだったのは、あの修行のような方法だった。魔物の力を借りるのではなく、人間の中にある可能性を、正しく育てる」
「今からでも、遅くないですか」
「わからない」
セインは正直に言った。
「私が過去にやったことは、消えない。廃村を焼いても、私が犯した過ちが消えるわけではない」
「では何のために、無冠を解散させるんですか」
「償うためだ」
セインは続けた。
「完全に消せなくても、これ以上間違いを重ねないために」
レイは、写し取った術式が入った革の筒を見た。
「私は、これをどうすればいいですか」
セインはレイを見た。
「それは、お前が決めることだ」
セインは言った。
「私が言えることは、何もない」
レイはしばらく黙った。
それから革の筒を、焚き火の前に置いた。
「一つ、聞いてもいいですか」
「何だ」
「師匠は、私を失望させたと思っていますか」
セインは少し間を置いた。
「思っていない」
セインは静かに言った。
「お前が自分の意思で行動したことは、失望ではない。むしろお前が、自分で考えて動けるようになったことが、嬉しい」
レイは目を伏せた。
感情を表に出さない自分が、少し動揺しているのがわかった。
「師匠」
レイは言った。
「何だ」
「研究を一緒に、続けさせてもらえませんか」
レイは続けた。
「奪うためではなく、育てるための研究を」
セインはしばらくレイを見た。
それから、小さく笑った。
「もちろんだ」
焚き火の火が、静かに燃えていた。
二つの太陽が、西の空に傾き始めている。
レイは、革の筒を手に取った。
「これは、どうしますか」
「ゼロに返すべきだと思う」
セインは言った。
「あの術式は、彼のものだ。私たちのものではない」
「わかりました」
レイは立ち上がった。
「ランドルに戻ります」
「気をつけて、行け」
セインは続けた。
「ゼロに、私からも伝えてほしい」
「何をですか」
「無冠は、解散に向けて動いている。ただし、時間がかかる」
セインは言った。
「その間お前が代わりに、ゼロと連絡を取ってほしい」
「わかりました」
レイは洞窟を後にした。
草原を歩きながら胸の中が、以前とは少し違う感覚に包まれていた。
師匠との関係が、変わったわけではない。ただ初めて、本当の意味で対話ができた気がした。
ランドルに向かって、レイは歩き続けた。
**次回・第48話「レイの帰還」**
> ランドルに戻ったレイが、ギルドの前でゼロと再会する。革の筒を差し出しながら、レイは言った。「師匠から、伝言があります」
レイ視点の回でした。「私は、あの時、間違っていた」というセインの言葉、この物語で一番書きたかったセリフの一つです。師弟関係が、対立から対話に変わる瞬間を描きました。次回、レイがランドルに戻ってきます。
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