第42話 「封印の安定」
レイの部下が術式を書き写している間、俺たちは広間の端で待った。
アルクが俺の隣に座った。壁に背中をつけて、腕を組んでいる。視線はレイと部下に向いているが、攻撃する気配はない。
「判断は正しかったと思う」
アルクが小声で言った。
「そうですか」
「今戦っても得るものがない。封印が崩れれば、シェルナの住民に被害が出る。レイの言葉が本当なら、術式を写し取られるデメリットより、封印を安定させるメリットの方が大きい」
「ただし、レイが約束を守れば、ですが」
「守らなかった場合は、そのときに対処する」
アルクは続けた。
「お前は、どう思っている」
「守ると思います」
俺は答えた。
「嘘をつかない人間だと思います」
「感覚か、それとも根拠があるか」
「両方です。カルロさんの証言と、今日のレイの目と口調。感情ではなく、信念で動いている人間の話し方だった」
アルクは少し頷いた。
セルマが反対側からやってきた。
「老魔法師が、術式を見ている」
セルマは小声で言った。
「何か読み取れるものが、あるらしい」
広間の中央付近で、カルロが壁に近づいて術式を眺めていた。杖の先の光を近づけて、細部を確認している。エリナがその隣で、同じく壁を見ていた。
「カルロさんが、術式を読めるんですか」
「全部は読めないと言っていた」
セルマは続けた。
「ただ、構造はわかると。全体がどういう目的で作られたのか、大まかには判断できるらしい」
俺はカルロの方を見た。老魔法師の背中が、いつもと少し違う緊張感を帯びているように見えた。
三十分ほどして、レイの部下が立ち上がった。
「終わりました」
部下が言った。
レイが確認した。書き写した紙の束を受け取り、中身を確かめた。それから、紙を革の筒に入れて封をした。
「約束通り、封印の安定化を行います」
レイはカルロに向かって言った。
カルロが俺たちの方に来た。
「少し下がっていなさい」
老魔法師は言った。
「レイと私で作業をする。魔力の操作を行うので、近くにいない方がいい」
「手伝えることはありますか」
俺は聞いた。
「ある」
カルロは俺を見た。
「お前に、やって欲しいがある」
「何ですか」
「作業中、お前は胸の温もりを意識し続けてくれ。それだけでいい」
「温もりを意識するだけで、いいんですか」
「そうだ」
カルロは続けた。
「詳しくは後で説明する。今は信じてやってくれ」
俺は頷いた。
カルロとレイが、広間の中央に向かった。
二人は向かい合って立った。カルロが杖を構えた。レイは杖を持っていないが、両手を前に出した。
レイが目を閉じた。カルロも目を閉じた。
しばらく、何も起きなかった。
だが、空気が変わった。
広間の温度が、わずかに上がった気がした。壁の術式が、かすかに光り始めた。一つ一つの文字が、青白く輝いている。
俺は胸の温もりを意識した。
カルロに言われた通り、ただ意識し続けた。
すると、温もりが反応した。
壁の術式の光と、俺の胸の温もりが、何かで繋がっているような感覚があった。引き合っている、とも言えるかもしれない。
カルロの杖から光が伸びた。壁に向かって、細い光の糸が伸びていく。レイの両手からも、別の光が伸びた。二つの光が交差して、術式の一点に触れた。
術式の光が強くなった。
広間全体が青白く輝いた。一瞬、目が眩んだ。
そして、静かになった。
壁の光が落ち着いた。一定の明るさで、安定して輝いている。点滅していない。先ほどまでの不安定さが消えていた。
カルロが目を開けた。
レイも目を開けた。
「封印は安定した」
カルロは言った。
「はい」
レイは両手を下ろした。
「当面は持つと思います。ただし、永久ではありません。定期的な確認が必要です」
「わかった」
カルロは続けた。
「ご苦労だった」
レイはカルロを見た。
「師匠の師匠に、そう言われるとは思いませんでした」
「私とお前は、そういう関係になる」
カルロは静かに言った。
「セインを通じて、繋がっている」
レイは少し黙った。
広間の端で、全員が集まった。
カルロがレイに向かって言った。
「話がある。聞いてもらえるか」
「はい」
「セインのことだ」
カルロは続けた。
「お前はセインが、研究をやめようとしていることを、受け入れられないと言っていた」
「そうです」
「なぜだ」
レイは少し考えた。表情が、いつもより少しだけ動いた。
「師匠の研究は、正しいと思っているからです」
レイは言った。
「人間の限界を超える。それは、誰もが望んでいることのはずです」
「お前がそれを望むのはなぜだ」
カルロが続けた。
「私は師匠に拾われる前、限界の中で死にかけていました」
レイは静かに言った。
「力がなかった。何もできなかった。師匠の研究は、そういう人間に力を与えるものだと信じています」
俺はレイを見た。
レイの過去が、少し見えた気がした。
カルロが頷いた。
「セインが、お前を拾ったのか」
「そうです。十四歳のとき」
「セインらしい」
カルロは続けた。
「私がセインを拾ったように、セインはお前を拾った」
レイは少し目を細めた。
「師匠は、そう言ったことがあります。自分がされたことを、次の者にしたと」
沈黙。
カルロが、静かに言った。
「レイ、一つだけ聞く。お前は、セインの研究が正しいと信じている。だが、セインが研究をやめると決めたとき、お前はセインの判断を否定した。師匠の判断を、弟子が否定することを、セインはどう思っていると思う」
レイはしばらく黙った。
長い沈黙だった。
それから、小さく言った。
「怒っていると思います」
「そうかもしれない」
カルロは続けた。
「怒るだけでは、ないかもしれない」
「どういう意味ですか」
「セインもかつて、私の判断を否定した」
カルロは言った。
「私はそのとき、怒った。だが同時に、セインが自分の信念を持っていることを、どこかで認めていた」
レイはカルロを見た。
「師匠も私のことを、そう思っているということですか」
「わからない」
カルロは正直に言った。
「セインに会ったとき、お前のことを聞いてみろ。それが一番の答えだ」
レイは少し間を置いた。
「……考えます」
遺跡を出ると、外はすでに夕方になっていた。
赤みがかったオレンジの光が、山の稜線に沿って広がっていた。だが、昨日見た異常な赤さはない。封印が安定したことで、漏れていた光が収まったのだろう。
ドルフが遺跡の入り口で待っていた。
「封印は安定しましたか」
「しばらくは持ちます」
カルロが答えた。
「ただし、定期的な確認を怠らないでください。ギルドに報告して、魔法師に定期巡回を、依頼することをお勧めします」
「ありがとうございます」
ドルフは深く頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます」
レイと部下は、いつの間にか姿を消していた。
セルマが周囲を見回した。
「消えたな」
「戦いになるかと思っていた」
アルクが言った。
「意外な展開だった」
「意外でしたか」
俺は聞いた。
「お前は、意外だと思わなかったのか」
「レイが嘘をつかないと聞いていた。約束した通りに動いた。それだけです」
アルクは少し笑った。
「お前の信頼の基準は、シンプルだな」
「複雑にする理由が、ありません」
エリナが俺の隣に来た。
「カルロさんが壁を読んでたじゃない。何かわかったの?」
「後で聞く」
全員でシェルナに戻りながら、俺はステータス画面を確認した。
ゼロ Lv.9
HP:37/37
MP:20/20
筋力:12 敏捷:15 魔力:7 耐久:10 知力:17
レベルが上がっていた。
Lv.8からLv.9。各ステータスが一段階ずつ上がっている。耐久がちょうど10になった。平均に届いた。
成長上限が外れた効果が、着実に出ている。
魔力はまだ7で、平均の10に届いていない。だが、上がっている。
俺はステータス画面を閉じた。
今日、レイと話した。封印を安定させた。壁の術式に「懐かしさ」を感じた。カルロが術式から何かを読み取った。
遺跡での一日は、戦いではなく、対話と選択の連続だった。
それが今の俺には、合っていると思った。
**次回・第43話「術式が示すもの」**
> シェルナの宿で、カルロが壁の術式から読み取ったことを語った。それは、始祖が遺跡に残した「意図」についてだった。そしてゼロは、自分がこの遺跡に来た理由を、別の角度から理解した。
封印の安定化回でした。レイというキャラクター、敵でも味方でもない存在として書いています。カルロがレイに語りかけた「師匠の判断を弟子が否定した」という話、カルロ自身の経験と重なっています。そしてレベルがLv.9に。耐久がついに平均に届きました。
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