第40話 「シェルナ」
シェルナが見えてきたのは、五日目の昼前だった。
山の麓に広がる街だ。ランドルより少し小さい。石造りの建物が多く、屋根の色が赤茶けている。街を囲む壁が低く、門番が二人立っていた。
だが、門に近づくにつれて、おかしいとわかった。
人が少ない。
昼前というのに、門の周辺に人影がない。市場が開いているはずの時間帯に、露店が出ていない。街の中からも、人の声がほとんど聞こえてこない。
「静かだ」
エリナが小声で言った。
「三週間前は、こんなではなかった」
セルマは馬を緩めた。
「様子がおかしい」
門番の一人が俺たちを見た。警戒した目だ。
「何の用だ」
「冒険者です。遺跡の件で来ました」
セルマが答えた。
門番の表情が変わった。警戒から、安堵に近いものに。
「ギルドへ行ってくれ。街長が待っている」
シェルナのギルドは、街の中心部にあった。
中に入ると、数人の冒険者が暗い顔をして座っていた。受付の女性が、俺たちを見て立ち上がった。
「セルマさん、戻ってきてくれたんですか」
「状況を教えてくれ」
セルマが言った。
「すぐに街長を呼びます」
しばらくして、五十代の男が現れた。白髪交じりの髪で、目の下にしわがある。ここ数日、眠れていないのだろう。
「来てくれて、助かります」
男は頭を下げた。
「私がシェルナの街長、ドルフです」
「状況を話してください」
俺は言った。
ドルフは深く息を吸った。
「三日前から、遺跡の封印の光が激しくなりました。夜になると、遺跡の方角の空が赤く染まります。昨夜は特に強かった」
ドルフは続けた。
「それだけなら、まだよかった。問題は、遺跡から魔物が出始めていることです」
「封印が、破れているんですか」
アルクが聞いた。
「完全には破れていません。ただ、隙間が生じているようで、小さな魔物が二体、遺跡の外に出てきました。昨日の朝のことです」
「対処しましたか」
セルマが聞いた。
「ギルドの冒険者が討伐しました。ただ、今後さらに強い魔物が出てきた場合、この街では対応できません」
ドルフは続けた。
「住民の一部は、すでに街を離れ始めています」
「もう一つ聞かせてください」
俺は言った。
「遺跡の中に、人が入っていくのを見た者がいると、聞きましたが」
ドルフが俺を見た。
「どこでそれを」
「シェルナに来る前に、情報を集めました」
「そうですか」
ドルフは少し間を置いた。
「三日前、遺跡に入っていく人影を、近くで薪を集めていた住民が目撃しました。二人組だったと言っています。顔はわからなかった。黒っぽい服装だったとだけ」
黒っぽい服装。
俺はアルクを見た。アルクが静かに頷いた。
「無冠の人間の可能性がある」
アルクが言った。
「私もそう思っています」
ドルフは続けた。
「ただ、確認できていません。遺跡の中に入ろうとした住民が、入り口付近の異常な魔力に押し返されて戻ってきました。それ以来、誰も近づいていません」
カルロが口を開いた。
「入り口の魔力を、私が確認する」
老魔法師はドルフに言った。
「今日の午後、遺跡まで案内してもらえるか」
「もちろんです」
ドルフは頷いた。
「ただ、危険が」
「承知している」
---
宿を確保してから、昼食を取った。
食堂は空いていた。料理を運んできた女性が、俺たちを見て安心したような顔をした。冒険者が来た、という安堵感が、その表情に出ていた。
食事をしながら、セルマが言った。
「黒い服の二人組が三日前に入った。それが封印の悪化と一致する」
「無冠が封印を壊しに来た、ということですか」
エリナが言った。
「壊すためではないかもしれない」
俺は言った。
「どういうこと?」
「始祖の時代の術式が刻まれた壁がある。壊すのが目的なら、封印ごと壊せばいい。だが、封印が完全には破れていない。中に入って、術式だけを手に入れようとしている可能性がある」
アルクが頷いた。
「術式を写し取って、封印を元に戻す。そういう行動なら、封印を完全に破ることはしない。だから今も、完全には崩壊していない」
「ただ、作業中に封印が不安定になっている」
セルマが続けた。
「それが今の状態だ」
カルロが静かに言った。
「そうだとすれば、急ぐ必要がある」
「術式を写し取られる前に、ということですか」
俺は聞いた。
「そうだ」
カルロは続けた。
「始祖の時代の術式が、セインの手に渡れば、研究が大きく進む可能性がある」
「それは、まずいんですか」
エリナが聞いた。
「まずい」
カルロははっきり言った。
「セインが変わりつつあると私は感じているが、無冠の全員がそうではない。術式が組織の手に渡った場合、誰がどう使うかわからない」
俺は食事を終えて、水を飲んだ。
午後、遺跡に向かう。
中に何が待っているかはわからない。無冠の人間がいる可能性がある。封印が不安定になった遺跡の中で、何が起きているかもわからない。
「一つ確認させてください」
俺はカルロに言った。
「何だ」
「遺跡の中に入る場合、俺が感じる何かがあると思いますか。始祖の器として」
カルロは少し間を置いた。
「あるかもしれない」
カルロは答えた。
「始祖の時代の術式は、始祖の魂が残したものだ。その器であるお前が近づいたとき、何らかの反応がある可能性は否定できない」
「それが助けになりますか。それとも邪魔になりますか」
「わからない」
カルロは正直に言った。
「だが、何か感じたときは、すぐに言いなさい。一人で判断するな」
「わかりました」
---
午後、ドルフの案内で遺跡に向かった。
シェルナから北へ、馬で半時ほど。山道を登ると、岩肌が露出した斜面に、石造りの入り口が見えた。
入り口は狭かった。セルマが言っていた通り、二人並んでぎりぎり通れる幅だ。
近づくにつれて、俺は何かを感じ始めた。
胸の温もりが、いつもと違う脈の打ち方をしていた。
強い、というわけではない。ただ、何かに呼ばれているような、引き寄せられるような感覚がある。
カルロが入り口の前に立った。杖を向けて、目を閉じた。数秒後、目を開けた。
「封印は、外側からは正常に見える」
カルロは言った。
「だが、内側が不安定だ。誰かが内側から干渉している」
「中に人がいる、ということですか」
アルクが確認した。
「おそらく」
「入れますか」
セルマが聞いた。
「入れる」
カルロは続けた。
「ただし、中で大きな魔力を使うと、封印に影響する可能性がある。できるだけ、力を使わない形で進む」
俺は入り口を見た。
暗い。三メートルほど入ると、暗闇になっている。
胸の温もりが、また脈打った。
「行きます」
俺は言った。
五人で入り口に向かった。
暗闇の中に、一歩踏み込んだ。
**次回・第41話「遺跡の内側」**
> 暗闇の中を進むと、壁に光が浮かんでいた。始祖の時代の術式だ。ゼロがそれに近づいた瞬間、胸の温もりが激しく脈打った。そして、奥から足音が聞こえた。
シェルナに到着。静まり返った街、封印が緩む遺跡、無冠の影。状況が揃ってきました。ゼロが遺跡の入り口で感じた「呼ばれるような感覚」、始祖の器ならではの伏線です。次回からいよいよ遺跡の内側に入ります。
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