第38話 「出発前夜」
出発の前日の夕方、鍛冶屋の跡に向かった。
扉を開けようとして、止まった。
中から声が聞こえた。
カルロの声と、エリナの声だ。
会話の内容は聞こえなかった。だが、二人が何か真剣な話をしているのは、声の低さでわかった。
俺は扉の前で少し待った。
一分ほどして、会話が止まった。
俺は扉を叩いた。
「入れ」カルロの声がした。
中に入った。
エリナが炉の前に座っていた。目が、少し赤かった。泣いていたのか、それとも泣きそうになっていたのか。どちらかはわからない。
カルロは木箱に座って、いつもの表情をしていた。
「邪魔でしたか」
俺は言った。
「邪魔ではない」
カルロは答えた。
「ちょうど終わったところだ」
エリナが俺を見た。少し目を逸らした。それから、また俺を見た。
「聞いてた?」
「何も聞こえなかった」
「本当に?」
「本当に」
エリナは少し息を吐いた。
「そう」
カルロが立ち上がった。
「明日の準備の話をしよう。それが本来の用件だろう」
三人で明日の段取りを確認した。
出発は夜明け前。セルマとアルクが北門で待っている。馬は五頭用意する。シェルナまで五日。途中で街に寄りながら進む。
話が一段落したとき、カルロが俺に言った。
「少し外で待っていてくれ」
「わかりました」
俺は外に出た。
夕方の空が、橙と紫が混ざった色になっていた。二つの太陽が重なって、影が一本になっている。
五分ほどして、エリナが出てきた。
目の赤みが少し引いていた。俺を見て、少し笑った。本物の笑いかどうか、判断しにくかった。
「歩かない?」
エリナが言った。
「どこへ」
「どこでもいい。少し歩きたい」
二人で街を歩いた。
夕方の石畳は、昼間より人が少ない。店じまいをする露店の音が遠くに聞こえる。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
エリナが先に口を開いた。
「ゼロは、私のこと心配する?」
「する」
「そんなすぐ答えるんだ」
エリナは少し驚いた顔をした。
「嘘をつく理由がない」
エリナは少し笑った。今度は、本物の笑いだとわかった。
「カルロさんに、魔法を教えてもらうことになった」
エリナは言った。
俺は少し驚いた。
「別の形で教えることがあると、言っていたね」
「うん」
エリナは続けた。
「今日、やっと教えてもらえた。私の魔力の使い方が、ゼロとは違うって」
「どう違うの」
「ゼロは自分の中から外に出す。私は外のものを引き寄せる」
エリナは手のひらを見た。
「マナを直接引き寄せる能力があるらしい。普通の魔法師に、はない使い方だって」
俺はエリナの手のひらを見た。
引き寄せる。それは、ゼロが体の中から外に向けて、魔力を押し出すのとは、真逆の方向だ。
「だから、石投げの精度が高いのか」
「カルロさんもそう言ってた」
エリナは続けた。
「石を投げるとき、無意識にマナを引き寄せて、石の軌道を安定させていたって」
「意識せずにやっていたんだ」
「ずっとそうだったみたい。自分では気づいていなかった」
エリナは少し遠い目をした。
「盗賊団にいたころから、石を投げるのだけは得意だった。なぜかとは思っていたけど、理由がわかったのは今日が初めて」
俺は頷いた。
「目が赤かったのは、そのせいですか」
エリナは少し黙った。
「半分は」
「残り半分は」
エリナはしばらく歩いてから、言った。
「盗賊団のことを、少し思い出した」
俺は何も言わなかった。
「マナを引き寄せる能力、盗賊団の誰かも持っていたかもしれないって、カルロさんが言った」
エリナは続けた。
「それで少し、思い出したくないことを思い出した」
「そう」
俺はそれ以上聞かなかった。
エリナが話せる範囲で話してくれている。それ以上を引き出すのは、今じゃない。
二人でしばらく歩いた。
石畳が途切れて、土の道になった。街の外れだ。遠くに北門が見える。明日、あの門を出ていく。
「ゼロ」
エリナが言った。
「何」
「遺跡、危ないと思う?」
「わからない」
俺は正直に答えた。
「情報が足りない。行ってみなければわからない部分が多い」
「それでも行くの?」
「行く」
「なんで」
俺は少し考えた。
「無冠が関係している可能性がある。始祖の時代の術式がある。俺が始祖の器である以上、関係のないことではないと、思っている」
「それだけ?」
「それだけです」
エリナは少し考えた。
「私も行く」
「わかっている」
「反対しないの?」
「反対する理由がない」
俺は続けた。
「エリナは、俺より経験がある。判断も速い。いた方がいい」
エリナは少し目を細めた。
「素直に言うね」
「嘘をつく理由がない」
「さっきも同じこと言ったね」
エリナが笑った。
空が暗くなってきた。二つの月が、東の空に出始めていた。
エリナが空を見上げた。
「ねえ、ゼロ」
「何」
「私、変わったと思う? ランドルに来てから」
俺は少し考えた。
「変った」
「どう変わった?」
「最初に会ったとき、エリナは一人で逃げていた」
俺は続けた。
「今は、一緒に向かっている」
エリナはしばらく黙った。
それから、小さく言った。
「そうかな」
「そう見える」
エリナは月を見たまま、少し息を吐いた。
「ゼロと会ってよかった」
俺は何も言わなかった。
言葉にする必要がないと思った。
二人で宿に向かって歩き始めた。
石畳の上に、月明かりが落ちている。影が二本、並んで前に伸びた。
宿の部屋に戻り、俺はステータス画面を開いた。
ゼロ Lv.8
HP:34/34
MP:18/18
筋力:11 敏捷:14 魔力:6 耐久:9 知力:16
スキル:なし
備考欄:◇◇◇◇◇◇
変化はない。
今日また少し、エリナのことを知った。
マナを引き寄せる能力。盗賊団との記憶。石投げの精度の理由。
エリナが「変わった」と言った。
俺も変わっていると思う。
最初にこの世界に来たとき、俺には何もなかった。名前も、記憶も、スキルも。
今は違う。
Cランク。Lv.8。カルロの修行。アルクとの共闘。エリナとの日々。
全部が、ゼロから積み上げてきたものだ。
明日、出発する。
新しい場所に向かう。新しい危険がある。
それでも、止まる理由はない。
俺は画面を閉じた。
**次回・第39話「五人の旅」**
> ランドルを出発して三日目。セルマが旅の中で、自分がBランクになった理由を話し始めた。そして四日目の夜、前方の空が、かすかに赤く染まっていた。
エリナ回でした。マナを引き寄せる能力、石投げの精度の理由がやっと明かされました。「一人で逃げていた」から「一緒に向かっている」というゼロの言葉、書いていて気に入っています。明日から旅が始まります。
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