第30話 「最後の一文字」
形を作る練習を続けて、五日が経った。
毎朝、鍛冶屋の跡でカルロと向き合った。砂時計の時間は、十分から十五分、二十分と少しずつ伸びていった。光の球の形が、日を追うごとに安定してきた。最初は歪んでいたものが、今では比較的きれいな球になっている。
五日目の朝、形を作り終えてステータス画面を開いた。
備考欄:◆◇◇◇◇◇
六文字目が、白くなっていた。
カルロに報告した。
「わかった」
カルロは短く言った。
「残り一文字だ。一番左だけが残っている」
「左端が変わる条件は、別の何かが必要だと言っていましたが」
「そうだ」
カルロは続けた。
「焦るな。条件が揃えば、自然に変わる」
「いつ揃いますか」
「わからない」
カルロは俺を見た。
「ただ、近い」
その日の午後、ギルドで依頼をこなした帰り道、エリナが言った。
「最近、セインの部下の動きはどうなってるの」
「アルクによると、ランドルから離れていないらしい」
俺は答えた。
「ただ、ギルドには来ていない。街の外で動いている」
「何をしているんだろう」
「わからない。ただ、右端の六文字目が変わったことを、感じ取っている可能性がある」
エリナが少し表情を曇らせた。
「動きが変わるかもしれないってこと?」
「そうかもしれない」
宿に戻る途中、路地に差し掛かったとき。
前方に人影があった。
細身で、背が高い。黒っぽい服を着ている。
俺は立ち止まった。
エリナも止まった。
人影が動いた。こちらに向かって歩いてくる。街灯の光に顔が照らされた。
廃村で見た男だった。セインの部下。計算し続けているような、冷たい目。
男は俺たちの前で止まった。
距離は五メートルほど。武器に手をかけていない。攻撃する姿勢ではない。
「ゼロ」
男が言った。
俺の名前を知っている。当然か。ずっと調べていたのだから。
「はい、何の用ですか」
「話がしたい」
男は静かに言った。
「セイン様からの伝言だ」
エリナが俺の袖を引いた。罠かもしれない、という意味だとわかった。
俺は男を観察した。
後ろに人影はない。周囲に気配もない。一人だ。それに、この男は戦闘要員ではないとアルクが言っていた。実際、今の姿勢も戦う気配がない。
「聞きます」
「ゼロ」
男は続けた。
「セイン様は、あなたに会いたいと言っている」
沈黙。
「会いたい、というのはどういう意味ですか」
「敵対したいわけではない、ということだ」
男は淡々と言った。
「セイン様はあなたの力に興味を持っている。ただそれだけだ」
「興味を持っているなら、なぜ街道で荷馬車を襲ったんですか。なぜ魔物を使役して人を傷つけるんですか」
男は少し間を置いた。
「あれはセイン様の指示ではない」
「どういう意味ですか」
「無冠の中には、様々な人間がいる。全員がセイン様の意図通りに動くわけではない」
男は続けた。
「街道の件は、セイン様も把握していなかった。詫びを入れるように、私が伝えた」
俺はその言葉を頭の中で分析した。
嘘かもしれない。だが、全部が嘘とも思えない。アルクが「管理役かもしれない」と言っていた。この男が無冠の中で一定の立場にいるなら、組織内の統制が取れていないことはあり得る。
「セインに会う理由が、俺にはありません」
「そうですか」
男は表情を変えなかった。
「ただ、一つだけ伝えておく。セイン様はあなたを傷つけるつもりはない。ただ、話がしたいだけだ」
「それがセインの言葉だとして、信用する根拠がない」
「そうですね」
男は頷いた。
「信用するかどうかは、あなたが決めることだ」
男が踵を返した。
「待ってください」
男が止まった。振り返らない。
「あなたの名前は何ですか」
少し間があった。
「レイと申します」
男は振り返らずに言った。
「セイン様の伝言は伝えた。判断はあなたに任せる」
レイは路地の暗がりに消えた。
エリナが俺を見た。
「今の、信用できると思う?」
「わからない」
俺は正直に答えた。
「ただ、レイという人物は嘘をついていない気がした」
「根拠は?」
「根拠はない。ただの感覚だ」
「感覚で判断するの?」
「今は、それしかない」
すぐにアルクとカルロに報告した。
四人で鍛冶屋の跡に集まった。俺は会話の内容を、省略せずに全部伝えた。
カルロは黙って聞いていた。
アルクが先に口を開いた。
「セインが接触してきた。予想より早い」
「街道の件はセインの指示ではなかったと言っていました」
「真偽はわからない」
アルクは続けた。
「ただ、セインが直接会いたいと言ってきたのは、備考欄の変化と関係している可能性が高い」
「残り一文字だから、焦っているということですか」
「そうだと思う」
俺はカルロを見た。老魔法師はまだ黙っていた。
「カルロさん」
「聞いていた」
カルロはゆっくり言った。
「レイという名前に、聞き覚えがある」
「知っているんですか」
「セインの弟子だ」
カルロは続けた。
「セインが私のもとを去った後、自分で弟子を取ったと聞いていた。その弟子がレイだ」
「どんな人物ですか」
「優秀だ。セインに忠実で、感情を表に出さない」
カルロは少し間を置いた。
「嘘はつかない人間だ。少なくとも、私が聞いた話では」
エリナが言った。
「じゃあ、レイが言ったことは本当かもしれない」
「全部が本当とは限らない」
カルロは続けた。
「ただ、嘘をつかないという性格なら、伝言の内容は正確に伝えているだろう」
俺は考えた。
セインが会いたいと言っている。レイは嘘をつかない。だが、セインの意図がわからない。
「会うべきだと思いますか」
カルロはしばらく黙った。
それから、静かに言った。
「それは、お前が決めることだ」
「カルロさんの意見を聞かせてください」
「意見は言わない」
カルロは首を振った。
「これは、お前自身の問題だ。備考欄の最後の一文字も、お前自身が選択することで変わると言った。その選択が、これかもしれない」
俺は少し考えた。
最後の一文字。一番左。別の何かが必要だと、カルロが言っていた。
修行では変わらない。経験の積み重ねでもない。別の何か。
選択だ。
俺は立ち上がった。
「会います」
エリナが俺を見た。
「本当に?」
「はい」
俺はエリナを見た。
「ただし、一人では行かない。アルクさんとカルロさんに同行をお願いしたい」
「同行する」
アルクはすぐに答えた。
カルロも頷いた。
「私も行く」
「エリナは」
俺はエリナを見た。
「来なくていいと思っている」
エリナが少し眉をひそめた。
「なぜ」
「危険だから、ではない」
俺は続けた。
「エリナには、別のことをお願いしたい。もし俺たちが戻らなかったとき、ベルナルドさんとロックスに伝えてほしい。状況を全部」
エリナはしばらく俺を見た。
「約束して」
エリナが言った。
「必ず戻ってくるって」
「約束します」
「絶対に」
「絶対に」
エリナは少し目を閉じた。それから頷いた。
「わかった。任せて」
その夜、俺は一人で宿の部屋にいた。
ステータス画面を開いた。
ゼロ Lv.1
HP:12/12
MP:3/3
筋力:3 敏捷:4 魔力:1 耐久:2 知力:6
スキル:なし
備考欄:◆◇◇◇◇◇
一番左の◆だけが残っている。
セインに会う。それが最後の選択になるかもしれない。
カルロが「お前自身が決めること」と言った。
俺は決めた。
記憶がない。名前も、過去も持っていなかった。何もないところから始めて、ここまで来た。
セインが何を求めているのか。備考欄に何が書かれているのか。俺が何者なのか。
全部の答えが、そこにある気がした。
手のひらを見た。
光を出さなかった。
ただ、温もりを感じた。
胸の奥で、針の頭よりずっと大きくなった温もりが、静かに脈打っていた。
明日、答えを見つけに行く。
**(第30話 了)**
**次回・第31話「セインとの対面」**
> カルロとアルクを連れてゼロが向かった先に、セインがいた。十五年ぶりに師弟が対峙する。そしてゼロは、セインの目を見て、一つのことを確信した。
第1章、完結です。ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。備考欄は◆◇◇◇◇◇になりました。残るは一番左の一文字だけ。セインとの対面、第2章が始まります。引き続きよろしくお願いします!
ここまで読んでいただきありがとうございます!
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