第28話 「セインの記録」
カルロが戻ってきたのは、翌日の夕方だった。
鍛冶屋の跡の扉が開いたとき、俺とエリナとアルクの三人はすでにそこにいた。アルクが「老師が戻る頃だ」と言って、午後から集まっていたのだ。
カルロの外見は変わっていなかった。服が少し汚れている。歩き方も、いつもと同じだ。だが、目が違った。
何かを見つけてきた目だ。
「待っていたか」
カルロは木箱に座った。
「はい」
「光が見えたと、アルクから聞いた」
「今朝の修行で。アルクさんに言われた通り、それ以降は何もしていません」
「よかった」
カルロは頷いた。
「正しい判断だ」
「なぜ止める必要があったんですか」
「それも含めて、今日話す」
カルロは三人を見回した。
「全員に話す。隠している場合ではなくなった」
アルクが少し姿勢を正した。エリナも黙った。
俺はカルロを見た。
老魔法師は懐から、小さな本を取り出した。
革装丁の、手のひらサイズの本だ。表紙に何も書かれていない。年季が入っていて、角が擦り切れている。
「セインの研究記録だ」
カルロは言った。
「十五年前、セインが私のもとを去るときに置いていったものだ。当時は意味がわからなかった。だが今回、セインの足取りを辿って古い家を確認したとき、これが関係していると気づいた」
「セインが置いていった、ということは」
俺は言った。
「意図的に残したんですか」
「そう思う」
カルロは本を開いた。
「セインは頭がいい。何かを伝えたかったのか、それとも別の理由があるのか、今もわからない。だが、この記録の中に、重要なことが書かれている」
カルロは特定のページを開いて、テーブルに置いた。
文字が細かく書き込まれている。読めるが、内容が複雑だ。魔法の術式らしき記号と、文章が混在している。
「読み上げる」
カルロは言った。
老魔法師が静かに読み始めた。
*「成長上限解放の術式について。この術式は、個人の魔力の蓋を根本から取り除くものである。通常、人間の魔力は生まれながらに上限が定められている。器の大きさは変えられない、というのが現在の魔法学の常識だ。だが私は、その常識が誤りであることを証明した。**
*蓋は、外から取り除くことはできない。内側から、本人が自力で開けるしかない。ただし、開ける鍵は一つではない。成長、経験、そして魔力を意識的に扱うことの三つが揃ったとき、蓋は完全に開く。**
*問題は、この術式を持つ人間が極めて稀であることだ。私が調べた限り、この術式を備えた人間は、この大陸に一人しか存在しない。そしてその人間が完全に覚醒したとき、成長の上限が消える。どこまでも、際限なく強くなれる。**
*だからこそ、その人間は危険だ。完全に覚醒する前に、私がその力を理解し、制御する必要がある。」*
カルロが本を閉じた。
沈黙があった。
アルクが口を開いた。
「成長上限解放。それが、ゼロの備考欄に書かれているものですか」
「そうだ」
カルロは俺を見た。
「備考欄に書かれている六文字は、『成長上限解放』ではない。だが、その意味を表している」
俺は少し考えた。
「セインは十五年前に、この術式を持つ人間が一人いると書いている。それが俺だということですか」
「そうだ」
「だが、俺がこの世界に来たのは二ヶ月前です。十五年前にセインが調べていた人間が俺だということは、どういう意味ですか」
カルロはしばらく黙った。
それから、慎重に言葉を選ぶように言った。
「この世界では、魂は循環する、という考え方がある」
「転生、ということですか」
「それに近い」
カルロは続けた。
「セインが十五年前に調べていた記録の中に、この術式を持つ魂は消えず、形を変えて再び現れる、という記述がある。セインはその魂を追い続けていた」
俺は頭の中で整理した。
十五年前、セインがこの術式を持つ人間を見つけた。その人間は死んだか、あるいは別の形になった。セインはその魂を追い続け、再び現れるのを待っていた。
そして二ヶ月前、俺がこの世界に現れた。
「セインは最初から、俺が来ることを知っていたんですか」
「知っていたとは思わない」
カルロは答えた。
「ただ、来る可能性を信じて、待っていた」
エリナが小さく言った。
「じゃあ、ゼロを調べていたのは、最初からその目的で」
「そうだ」
カルロは頷いた。
「セインはゼロが完全に覚醒する前に、その力を手に入れようとしている」
「手に入れる、というのは」
アルクが言った。
「力を奪うということですか」
「奪う、という表現が正しいかどうかはわからない」
カルロは続けた。
「ただ、セインの研究の方向性を考えると、人間と魔物の力を融合させる術式に、成長上限解放の力を組み合わせようとしている可能性がある」
俺は静かに聞いていた。
成長上限解放。際限なく強くなれる力。それをセインが利用しようとしている。
「光が見えたことを止めた理由は、それと関係していますか」
「関係している」
カルロは言った。
「魔力が目に見える形で外に出たとき、感知できる人間には感知される。セインが近くにいれば、お前の魔力が外に出たことがわかる」
「セインに知らせることになる、ということですか」
「そうだ」
カルロは続けた。
「セインはお前が覚醒に近づいていることを、おそらく感じ取っている。だからこそ、部下が動き始めた。光が外に出れば、さらに動きが加速する」
アルクが言った。
「では、ゼロの覚醒を急がせるべきではない。セインより先に動いてはいけない」
「そうだ」
カルロは頷いた。
「だが、止めることもできない。ゼロの成長は、ゼロ自身のものだ。止める権利は誰にもない」
俺はカルロを見た。
「残り二文字、ということでしたが」
「ああ」
「光が見えた今、あと何が起きれば読めるようになりますか」
カルロはしばらく俺を見た。
「魔力を、形にすること」
カルロは言った。
「ただ光として出すだけではなく、何らかの形を持たせること。それが最後の段階だ」
「形を持たせる、というのは」
「例えば」
カルロは杖を手に取った。
「私が最初にエリナに見せた、灰で作った鳥のようなものだ。魔力に意図を持たせて、形を作る。それができたとき、備考欄の最後の二文字が変わる」
俺は手のひらを見た。
今朝、光が見えた。次は、その光に形を持たせる。
「いつ練習しますか」
「今日は駄目だ」
カルロは言った。
「セインの部下がランドルにいる。今夜は何もしない。明日、状況を確認してから判断する」
「わかりました」
カルロが立ち上がった。
「もう一つ、話しておくことがある」
三人がカルロを見た。
「セインの記録の最後のページに、こう書かれていた」
カルロは本を開かずに言った。
「記憶している」
老魔法師は静かに、しかしはっきりと言った。
「『この術式を持つ者が完全に覚醒したとき、世界の魔法体系が変わる。それが私の目的であり、恐れでもある』」
沈黙。
「恐れ、と書いていた」
アルクが言った。
「そうだ」
「セインは、この術式を恐れているんですか」
「十五年前の時点では、そうだった」
カルロは続けた。
「今も同じかどうかはわからない。人間は変わる。恐れが目的に変わることもある」
エリナが小さく言った。
「世界の魔法体系が変わるって、どういうこと?」
カルロは答えなかった。
俺が答えた。
「まだわからない」
それが正直な答えだった。
自分の力が何をもたらすのか、まだ見えない。セインが求めているものが何なのか、まだわからない。
わかっていることは一つだけだ。
備考欄の残り二文字。
それが変わったとき、何かが始まる。
俺は手のひらを握った。
今夜は何もしない。
だが、明日は動く。
**次回・第29話「形を作る」**
> 状況を確認したカルロが、修行の再開を告げた。魔力に形を持たせる練習。ゼロが初めて、意図を持って魔力を操る。そして備考欄の五文字目が、白くなった。
セインの研究記録を読み上げた回。「成長上限解放」の正体がついに明かされました。「この術式を持つ者が完全に覚醒したとき、世界の魔法体系が変わる」、その意味とは。
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