第26話 「動き出す影」
翌朝の修行を終えてギルドに向かうと、入り口の前にロックスが立っていた。
いつもと違う。
腕を組んで壁に背中を預けるのがロックスの癖だが、今日は立ったまま、入り口を見張るような姿勢だった。俺たちを見た瞬間、大股で近づいてきた。
「よかった。探していた」
「何がありましたか」
「今朝ギルドの中に、例の男が入ってきた」
俺は少し前のめりになった。
「細身の、背が高い男ですか」
「そうだ。今まで外から見ていたのに、今日は中に入ってきた」
ロックスは続けた。
「受付に何か聞いていた。赤髪のリナが対応していたが、後で聞いたら、お前のことを聞いていたらしい」
「何を聞いていたんですか」
「ゼロという冒険者のランクと、最近の依頼履歴を教えろと言ったそうだ」
エリナが俺を見た。
「ランクと依頼履歴」
俺は繰り返した。
「リナさんは答えましたか」
「答えていない。ギルドの規則で、冒険者の個人情報は本人の許可なく第三者に教えられない。それを理由に断ったそうだ」
ロックスは続けた。
「男は何も言わずに出ていった。それだけだ」
「顔は見ましたか」
「見た。初めてちゃんと見た」
ロックスは少し考えてから言った。
「二十代後半くらいだ。表情がない。目が、なんというか、計算しているような目だった」
廃村で見た男と一致する。
「ありがとうございます」
「礼はいい」
ロックスは腕を組んだ。
「ただ、一つだけ言っておく。あいつが中に入ってきたということは、外から観察するだけでは足りなくなったということだ。動きが変わっている」
「わかっています」
「わかっているなら、気をつけろ」
ロックスはそれだけ言って、ギルドの中に入っていった。
アルクに伝えた。
アルクは話を聞いて、少し目が鋭くなった。
「ランクと依頼履歴を聞きに来た」
アルクは繰り返した。
「ランクはカードを見ればわかる。依頼履歴を知りたかったということは、お前がどんな戦い方をするのかを把握しようとしている」
「戦力の確認ですか」
「そうだと思う」
アルクは続けた。
「外から観察していた段階では、お前の存在を確認するだけで十分だった。だが今は、お前の詳細を知ろうとしている。次のステップに移った」
「次のステップというのは」
「接触してくる可能性がある」
エリナが小声で言った。
「接触って、どういう意味で」
「勧誘か、あるいは排除か」
アルクは淡々と言った。
「どちらかはわからない。ただ、相手が動き始めたのは確かだ」
俺は考えた。
セインがこの近くで何かを求めている。俺の備考欄に関係している。そしてセインの部下が、俺の詳細を調べ始めた。
「カルロさんに報告します」
「俺も行く」
鍛冶屋の跡に向かった。
カルロに話した。ロックスから聞いた内容、アルクの分析、全部を伝えた。
カルロは黙って聞いていた。
話し終えると、老魔法師はしばらく炉を見つめた。
「セインが動いた、ということか」
カルロは静かに言った。
「セイン自身が動いているんですか。あの男がセイン本人だということですか」
「わからない」
カルロは首を振った。
「セインが直接動くとは思えない。ただ、セインの指示で動いている人間が、次のステップに進んだということだ」
「なぜ、今なんですか」
アルクが聞いた。
「今まで、外から観察するだけだったのに」
カルロは少し間を置いた。
「ゼロのランクが、上がったからかもしれない」
「Dランクに、飛び級したことですか」
「それだけではない」
カルロは俺を見た。
「備考欄の変化を、感じ取れる人間がいる。セインは魔法の才能が突出していた。ゼロの備考欄が変化していることを、遠くからでも察知できる可能性がある」
俺は少し考えた。
「備考欄が変化するほど、相手が動きやすくなるということですか」
「逆だ」
カルロは言った。
「備考欄が全部読めるようになったとき、お前は完全になる。セインはその前に動こうとしている」
完全になる。
その言葉が、頭の中に残った。
「完全になる、というのはどういう意味ですか」
カルロはまた黙った。
今日は答えてくれないかもしれない。そう思ったとき、カルロが口を開いた。
「備考欄があと二文字変わったら、話す」
今まで「全部変わったら」と言っていた。それが「あと二文字」という具体的な言葉になった。
距離が、また縮まった。
「わかりました」
「それまでの間、気をつけることがある」
カルロは続けた。
「一人で行動するな。必ずエリナかアルクと一緒にいろ。夜も、できれば宿の外に出るな」
「わかりました」
「それと」
カルロはアルクを見た。
「頼めるか」
アルクは少し驚いた顔をした。カルロが人に頼むのは珍しいのだろう。
「何をですか」
「ゼロの傍にいてくれ。私がいられない時間がある」
「老師がいられない時間、というのは」
「セインの件で、確認しなければならないことがある。少し動く必要がある」
カルロは続けた。
「その間、ゼロを頼む」
アルクは少し考えてから頷いた。
「わかりました」
カルロが扉に向かった。
「どこに行くんですか」
俺は聞いた。
「セインの足取りを辿る」
カルロは振り返らなかった。
「十五年、わからなかった。だが今、手がかりがある」
「危険では、ないですか」
カルロが止まった。
それから、小さく笑った。今まで見た中で、一番柔らかい笑いだった。
「お前に心配されるとは、思わなかった」
「事実を聞いただけです」
「危険かどうかは、行ってみなければわからない」
カルロは扉を開けた。
「だが、セインは私を排除しようとはしないだろう」
「なぜですか」
「師匠を傷つけるほど、あの子は変わっていないと思いたい」
老魔法師の声が、少しだけ違う色をしていた。
扉が閉まった。
三人で鍛冶屋の跡に残った。
エリナが小さく言った。
「あの子、って言った」
「聞こえていた」
俺も言った。
セインはカルロの弟子だった。カルロに責任の一端がある、と言っていた。
その言葉の意味が、少しわかった気がした。
師匠と弟子の関係は、単純な教える側と教わる側ではない。何かがあって、セインは無冠を作った。カルロはそれを自分のせいだと思っている。
十五年間、どこかでその重さを背負っていた。
アルクが立ち上がった。
「今日からしばらく、俺がお前たちと一緒にいる。老師が戻るまで」
「迷惑をかけます」
「迷惑ではない」
アルクは短く言った。
「俺も無冠を追っている。利害が一致している」
それから、少し間を置いて言った。
「それに、老師に頼まれた。それだけで十分だ」
俺は頷いた。
ギルドに向かった。
石畳の上に影が二本伸びている。三人分の影が、並んで前に進んだ。
残り二文字。
カルロが戻ってきたとき、何かが変わっているかもしれない。
それまでに、俺にできることをやる。
修行を続ける。依頼をこなす。仲間と一緒にいる。
ただ、それだけだ。
**次回・第27話「カルロのいない朝」**
> カルロが去って三日。修行の相手がいない朝、ゼロは初めて一人で魔力を外に出す練習をした。そして、想定外のことが起きた。
セインの部下が動き始めました。カルロがセインを探しに出発。「師匠を傷つけるほど、あの子は変わっていないと思いたい」、このセリフが頭から離れません。
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