第25話 「蓋の向こう」
翌朝、鍛冶屋の跡に向かった。
カルロはいつもの場所にいた。だが今日は、炉の前ではなく、部屋の中央に立っていた。初めてここに来たとき以来の立ち位置だ。何かが変わる日だと、その姿勢だけでわかった。
「来たか」
「はい」
エリナも来ていた。最近は毎朝一緒に来ている。カルロがエリナに何を教えているのかは、まだ俺には話していない。エリナ自身も多くを語らない。
「今日から次のステップに進む」
カルロは俺を見た。
「魔力を、体の外に出す練習だ」
エリナが少し目を丸くした。
「もう外に、出せるんですか」
「出せるかどうかは、やってみなければわからない」
カルロは続けた。
「ただ、体の中で流せるようになった。次は外に向けて押し出す。順番通りだ」
俺は炉の前に立った。
「いつも通り始めなさい。温もりを見つけて、腕に流す。流れたら、今度は指先に集める」
目を閉じた。
温もりを探した。すぐに見つかった。腕に向けて流す。スムーズに動いた。指先に向けて集めるイメージを持つ。
温もりが指先に集まってきた。
手のひらが、わずかに熱くなった。
「感じているか」
「指先が熱い」
「そのまま保て。次に、その熱を指先の外に、ほんの少しだけ押し出すイメージを持て。急がなくていい」
俺は集まった熱を、外に向けて押し出すイメージを持った。
最初は何も起きなかった。
熱は指先にある。だが、外には出ない。壁があるような感覚だ。
蓋だ。
カルロが言っていた蓋が、まだここにある。体の中では動けるようになったが、外への出口がまだ閉まっている。
俺は力を抜いた。
押すのではなく、滲み出るように。水が岩の隙間から染み出すように。カルロが最初に言っていた表現を思い出した。
三十秒。一分。
何も起きなかった。
だが、二分を過ぎたあたりで。
指先の熱が、ほんのわずかに、外に漏れた。
感覚としては、皮膚の表面がじんわりと温かくなった程度だ。目には見えない。だが確かに、外に出た。
「感じたか」
カルロの声がした。
「少し、外に出た気がします」
「気がするではない」
カルロが言った。
「目を開けろ」
目を開けた。
カルロが俺の右手を見ていた。老魔法師の目が、細くなっている。
「右手の人差し指の先を見なさい」
見た。
何も見えなかった。
「見えませんが」
「そうだろう」
カルロは続けた。
「最初は見えない。だが、私には見える。ごく僅かだが、魔力が指先から滲み出ている」
エリナが横から覗き込んだ。
「私には見えない」
「魔力が見えるのは、一定以上の術者だけだ」
カルロは言った。
「ただ、見えなくても感じることはできる。エリナ、ゼロの指先に手を近づけてみなさい」
エリナが俺の右手に自分の手を近づけた。指先の数センチ手前で止めた。
エリナが少し目を見開いた。
「……温かい」
「空気が温かいのか、それとも」
「空気じゃない。何か、じんわりしたものが触れてくる感じ」
エリナは手を引いた。
「不思議な感覚」
カルロが頷いた。
「それが魔力だ」
老魔法師は続けた。
「ゼロ、今日はここまでだ」
「もう少し続けてもいいですか」
「駄目だ」
カルロは首を振った。
「初めて外に出した日に無理をすると、蓋が歪む。歪んだ蓋は、まともに開かなくなる」
俺は従った。
カルロの言うことには、必ず理由がある。今まで一度も、根拠のないことを言わなかった。
「明日も来なさい。同じことを繰り返す」
「わかりました」
その日の午後、ギルドで依頼をこなした。
D級の依頼を初めて受けた。内容は街の南にある廃屋の調査だ。魔物が住み着いている可能性があるという報告があり、確認と駆除が必要だという。
エリナと二人で向かった。
廃屋に着くと、中から気配がした。複数いる。
ステータスを確認した。
コボルト Lv.5
HP:24/24
危険度:E
コボルトだ。犬に似た顔を持つ、二足歩行の魔物。知性が低くはないが、集団行動を好む。個体としての強さはEランク相当だが、群れると厄介だ。
「何匹いる?」
エリナが小声で聞いた。
「五匹。全部、廃屋の中にいる」
「外に引き出せる?」
「扉が一つしかない。引き出す」
作戦を立てた。エリナが扉の脇に隠れ、俺が中に石を投げ込んで引き寄せる。出てきたところをエリナの石で牽制し、俺が仕留める。ギルラットのときと同じ手順だ。
だが、コボルトはギルラットより頭がいい。罠に気づく可能性がある。
「音で引き寄せた後、俺が少し離れた場所に立つ。コボルトはそちらに気を取られる。その隙にエリナが後ろから牽制する」
「挟み撃ち」
「そう」
エリナが頷いた。
石を投げ込んだ。中が騒がしくなった。扉が開いて、コボルトが出てきた。一匹、二匹、三匹と続けて出る。残り二匹は中にいるらしい。
コボルトが俺を見た。低くうなった。
俺は少し後退した。コボルトが追ってくる。エリナが背後から石を投げた。先頭の一匹の頭に命中した。
そこからは手順通りだった。
五匹を片付けるのに、二十分かかった。
終わったとき、俺の腕に浅い爪傷が二本あった。コボルトの爪は鋭い。
「また怪我」
エリナが呆れた顔をした。
「浅い」
「毎回そう言う」
「毎回浅いから」
エリナはため息をついて、水筒の水を傷口にかけた。布を巻いてくれる。手慣れた動作だ。
「ありがとう」
「お礼は、毎回ちゃんと言うのね」
エリナは少し笑った。
夜、宿に戻った。
ベッドに横になって、天井を見た。今日、魔力が指先から滲み出た。エリナが感じた。目には見えなかったが、確かに外に出た。
胸の温もりを確認した。
腕に流した。指先に集めた。
外に押し出すイメージを持った。
カルロに今日はここまでと言われた。だが、これは無理をしているわけではない。ただ確認しているだけだ。
指先が、じんわりと熱くなった。
外に、少し漏れた。
今日の朝より、少し自然に出た気がした。
そのとき、視界の端に青白い光が浮かんだ。
ステータス画面だ。自動的に表示されることは滅多にない。何かが変化したとき、システムが知らせてくれる場合がある。
俺は画面を見た。
ゼロ Lv.1
HP:12/12
MP:3/3
筋力:3 敏捷:4 魔力:1 耐久:2 知力:6
スキル:なし
備考欄:◆◇◇◇◆◆
止まった。
四文字目が、白くなっていた。
◆◇◇◇◆◆
三文字連続で白い。
俺はしばらく画面を見つめた。
残り二文字。
カルロが「もう少し」と言った。
もう少し、というのは、こういう意味だったのか。
手のひらを見た。指先がまだわずかに熱い。
今日、魔力が外に出た。それと同時に、四文字目が変わった。
偶然ではないと思った。
魔力の蓋が開くことと、備考欄が読めるようになることが、繋がっている。
俺はステータス画面を閉じた。
天井を見上げた。
残り二文字。
全部が白くなったとき、カルロが話してくれる。
セインがこの近くで、何を求めているのか。
備考欄に何が、書かれているのか。
俺が何者なのか。
答えが、近づいている。
確かに、近づいている。
**次回・第26話「動き出す影」**
> 備考欄が◆◇◇◇◆◆になった翌日、ロックスが血相を変えてゼロを探していた。謎の人物が、ギルドの中に入ってきた。
魔力を外に出すことに成功した回。備考欄も4文字目が変化。◆◇◇◇◆◆になりました。残り2文字、何が書かれているのか。もう少しだけ待ってください。
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