第11話 「商会の朝」
ベルナルド商会の扉を叩いたのは、昼を少し過ぎた時間だった。
前回来たときと同じ使用人が出てきた。俺たちの顔を見て、すぐに中に通してくれた。今回は警戒する様子もなく、応接室ではなく少し奥まった部屋に案内された。前回より小さい部屋だが、調度品は同じくらい立派だ。テーブルを挟んで椅子が向かい合わせに並んでいる。
しばらく待つと、ベルナルドが入ってきた。
前回より顔色がよかった。目の赤みも消えている。俺たちを見て、柔らかく笑った。
「来てくれたか。座りなさい」
腰を下ろすと、使用人が茶を運んできた。温かい液体で、甘い香りがした。この世界の茶葉だろうか。口をつけると、花に似た風味がある。悪くない。
「ルカの様子はどうですか」
俺は聞いた。
「おかげさまで、すっかり元気になった」
ベルナルドは言った。
「昨日から食欲も戻って、今朝は走り回っていたよ。医師は、後遺症の心配はないと言っている」
「よかった」
エリナが言った。
「会いたがっていたんだが、今日は友人の家に遊びに行っている。元気になった証拠だ。改めて礼を言わせてほしいと言っていたよ」
俺は頷いた。
ベルナルドは茶を一口飲んで、テーブルに置いた。表情が少し変わった。柔らかさが残りつつも、商人の顔になった。
「礼を言いたかったのは本当だ。だが、今日呼んだのはそれだけじゃない」
「依頼ですか」
「察しが早いな」
ベルナルドは苦笑した。
「そうだ。一つ、頼みたいことがある」
俺はテーブルの上で手を組んだ。
「聞きます」
「単刀直入に言う」
ベルナルドは前のめりになった。
「三日後、うちの商会の荷馬車がランドルを出発する。行き先は東の街、カルセナだ。距離にして二日の道のり。荷物は薬草と布地と、少量の貴金属だ」
「護衛ですか」
「そうだ。本来はCランク以上の冒険者に頼む案件だが、今回は少し事情がある」
ベルナルドは声を落とした。
「最近、この街道で荷馬車が二件、何者かに襲われている。Cランクの冒険者を護衛につけた荷馬車も、一件やられた」
エリナが眉をひそめた。
「Cランクがやられたんですか」
「護衛の冒険者は逃げ延びたが、荷物は全部奪われた。死者は出なかった」
ベルナルドは続けた。
「問題は、相手がどこの誰かわからないことだ。盗賊団なのか、それとも別の何かなのか。調べているが、まだわからない」
「わからないのに、荷馬車を出すんですか」
「出さざるを得ない事情がある」
ベルナルドは少し疲れた顔をした。
「カルセナの取引先との約束がある。この荷が届かないと、長年の信用が崩れる。商売というのはそういうものだ」
俺は考えた。
Cランクの護衛がやられた街道。俺たちはFランクだ。戦力差で言えば、話にならない。
だが、ベルナルドがFランクの俺たちに頼む理由がある。
「なぜ俺たちに」
「二つ理由がある」
ベルナルドは指を一本立てた。
「一つ目。相手はCランクの護衛がいると知っている可能性がある。だから今回は、目立たない護衛をつけた方がいいと考えた。Fランクの若者二人なら、護衛に見えないかもしれない」
「おとり、ということですか」
「護衛だ。ただし、目立たない護衛だ」
ベルナルドは二本目の指を立てた。
「二つ目。坑道の件で、君たちの判断力と対応力は確認した。ランクは最低だが、実力はそれ以上だと判断している」
エリナが俺を見た。決めるのは俺だという目だ。
俺はベルナルドを見た。
「報酬は」
「銀貨五枚。無事に届けば、さらに銀貨三枚を帰還後に支払う」
銀貨は銅貨と金貨の間の通貨だ。銅貨十枚が銀貨一枚、銀貨十枚が金貨一枚という換算だったはずだ。銀貨五枚は銅貨五十枚相当。悪くない。
「カルロさんを同行させることはできますか」
ベルナルドが少し目を細めた。
「カルロ殿を、か」
「俺たちだけでは、Cランクがやられた相手には対処できない可能性がある」
「正直だな」
ベルナルドは苦笑した。
「カルロ殿が承諾するかどうかは、君たちが交渉してくれるなら構わない。ただ、報酬は君たちへの分しか出せない」
「それで構いません」
ベルナルドはしばらく俺を見た。それから、深く頷いた。
「わかった。三日後の朝、この商会の裏口に来てくれ。荷馬車は二台だ。御者はうちの者が務める」
「わかりました」
握手をした。前回と同じ、大きくて固い手だった。
商会を出ると、エリナが口を開いた。
「カルロさんに頼むの?」
「頼んでみる」
「断られたら?」
「二人で行く」
エリナが少し考えた。
「Cランクがやられた相手に、Fランク二人で?」
「情報が足りない。相手がCランクに勝てた理由がわからない限り、戦力の話をしても意味がない」
「どういうこと?」
「Cランクが正面から戦って負けたのか、奇襲を受けたのか、数で圧倒されたのか。理由によって対処が全然違う」
俺は歩きながら言った。
「まず情報を集める。それから判断する」
エリナが少し黙った。
「……いつもそうやって考えてるの?」
「他に方法がない」
「普通の冒険者は、そこまで考えないと思う」
「普通の冒険者がどう考えるか、俺にはわからない」
エリナが小さく笑った。
鍛冶屋の跡に向かった。カルロが午後もそこにいるかどうかわからなかったが、他に居場所を知らない。
扉を開けると、カルロはいた。
炉の前の木箱に座り、目を閉じていた。俺たちが入ると、目を開けた。
「何か用かね」
「依頼の話があります」
俺はベルナルドから聞いた内容を、順番に話した。省略せず、わかっていることとわかっていないことを分けて伝えた。
カルロは黙って聞いていた。
話し終えると、老魔法師はしばらく沈黙した。
「報酬は出ないと言ったな」
「はい。ベルナルド会頭の話では」
「構わない」
カルロはあっさりと言った。
「どうせ暇だ」
エリナが目を丸くした。
「あっさり承諾するんですね」
「理由があるから断る。理由がなければ断らない」
カルロは立ち上がった。
「それより、街道で何が起きているか、私も少し気になっていた」
「知っていたんですか」
「噂は聞いていた」
カルロは杖を手に取った。
「Cランクを一方的にやれる相手となると、限られてくる。魔物か、それとも人間か」
「どちらだと思いますか」
「わからん」
カルロは俺を見た。
「だから行く価値がある」
その日の夕方、俺はギルドに寄った。
目的は情報だ。街道での襲撃について、ギルドに情報が入っていないか確認したかった。
受付嬢に聞くと、彼女は少し考えてから奥に引っ込み、一枚の紙を持って戻ってきた。
「ランドル東街道での被害報告です。ギルドにも二件届いています」
受け取って読んだ。
一件目。商会の荷馬車一台が東街道の三叉路付近で襲撃。護衛のCランク冒険者二名は撤退。荷物全損。被害者の証言によると、襲撃者は複数、動きが速かった。
二件目。別の商会の荷馬車。同じ場所付近で襲撃。こちらは護衛なし。御者一名が軽傷。荷物全損。襲撃者の顔は見えなかったという。
「三叉路付近、二件とも同じ場所ですね」
「そうなんです」
受付嬢が言った。
「ギルドでも警戒情報を出しているんですが、相手の正体がわからなくて」
「他に情報はありますか」
「一つだけ」
受付嬢は声を落とした。
「二件目の御者が言っていたことなんですが」
彼女は少し間を置いた。
「襲われたとき、魔物の鳴き声みたいなものが聞こえたって」
俺は受付嬢を見た。
「魔物の、鳴き声」
「でも、動いていたのは人間の影だったとも言っていて。混乱していたから正確かどうかわかりませんが」
俺は紙をテーブルに置いた。
人間の動き。魔物の鳴き声。
二つが同時にある状況。
それが何を意味するのか、今はまだわからない。だが、頭の中に引っかかりができた。
「ありがとうございます」
ギルドを出ると、夕暮れの空が橙に染まっていた。二つの太陽が重なり合い、影が一つになる時間帯だ。
三日後。
俺はまだFランクだ。備考欄の文字は一つしか変わっていない。魔力の蓋は緩んだだけで、開いていない。
それでも、立ち止まる理由にはならない。
人間の動きと魔物の鳴き声。
その答えを、街道で確かめる。
次回・第12話「出発の朝」
三日後の朝、荷馬車の前に集まった四人。御者のベルナルドの部下が、ゼロたちの顔を見て露骨に不安そうな顔をした。東街道に向けて、出発する。




