第10話 「十日目の変化」
毎朝、鍛冶屋の跡に通った。
カルロはいつも先に来ていた。俺たちが扉を開けると、炉の前の木箱に座って目を閉じている。足音を立てずに入っても、必ず気づいた。どんな感覚を持っているのか、聞いたが答えなかった。
練習の内容は毎日同じだった。
目を閉じて、胸の奥の温もりを探す。見つけたら、意識を向け続ける。それだけだ。
最初の三日間は、毎回探すのに時間がかかった。どこにあるかわかっていても、意識を沈めていく過程で迷った。雑念が入る。体の痛みが気になる。音が聞こえる。
カルロは何も言わなかった。ただ、隣で同じように目を閉じていた。
四日目から、少し早く見つけられるようになった。
六日目には、探さなくても最初からそこにある感覚があった。
八日目。
温もりに触れながら、俺は初めて、それが脈打っていることを明確に感じた。心臓の鼓動とは別の、もう一つのリズム。小さくて、弱い。だが確かにそこにあって、生きていた。
その日の帰り道、カルロが初めて自分から話しかけてきた。
「少し変わってきた」
「何がですか」
「君の気配が」
カルロは前を向いたまま言った。
「魔力を意識し始めた人間は、少し変わる。外側からではわからないが、同じ魔法師なら感じる」
「良い変化ですか」
「方向は正しい」
それだけ言って、カルロは路地に消えた。
十日目の朝だった。
鍛冶屋の跡に着くと、カルロがいつもと違う場所に立っていた。炉の前ではなく、部屋の中央に立ち、俺たちを待っていた。
「今日は少し変える」
俺とエリナは顔を見合わせた。
「いつもと違うことをするんですか」
カルロに聞いた。
「確認をする」
カルロは俺を見た。
「目を閉じて、いつも通り始めなさい。だが今日は、見つけたあとで止まるな。そのまま続けろ」
「続ける、というのは」
「触れたまま、離すな。それだけだ」
俺は炉の前に立った。目を閉じる。
意識を沈めていく。今では迷わない。まっすぐに、胸の奥の温もりに届く。
触れた。
いつもならここで、ただ確認して終わる。だが今日はそのまま続けた。
温もりに意識を当て続けた。
三十秒。一分。
何も起きなかった。
だが、二分を過ぎたあたりで、何かが変わった。
温もりが、わずかに大きくなった気がした。針の先だったものが、針の頭ほどになった。ほんのわずかな変化だ。気のせいかもしれない。だが確かに、大きくなった。
そして、温もりが熱くなった。
痛みではない。ただ、熱い。体の内側から温められるような感覚。それが胸から広がって、腕に、指先に、足の先まで流れていく。
俺は目を開けた。
カルロが俺を見ていた。いつもの無表情ではなく、何かを確かめるような目だ。
「感じたか」
「何かが広がる感覚がありました」
「それが魔力の流れだ」
カルロは静かに言った。
「君の中の蓋が、わずかに緩んだ」
「開いたんですか」
「緩んだ。開いてはいない。だが、閉じたままではなくなった」
エリナが横から聞いた。
「どう違うの」
「蓋が完全に閉まっていれば、中のものは外に出られない。緩めば、少しずつ滲み出る」
カルロはエリナに向き直った。
「水が染み出すように、ゆっくりと」
俺はステータス画面を開いた。
ゼロ Lv.1
HP:12/12
MP:3/3
筋力:3 敏捷:4 魔力:1 耐久:2 知力:6
スキル:なし
数値は変わっていない。魔力はまだ1だ。
「数値に変化はありません」
「当然だ」
カルロは言った。
「数値が変わるには時間がかかる。だが」
老魔法師は俺のステータス画面に目を向けた。
「備考欄を見なさい」
俺は備考欄を見た。
備考欄:◆◇◆◆◆◆(解読不能)
止まった。
二つ目の記号が変わっていた。黒い◆から、白い◇に。
たった一つだ。六つある記号のうち、一つだけ。だが確かに変わっていた。
「読めますか」
俺はカルロに聞いた。
「一文字だけな」
カルロは頷いた。
「だが、まだ教えない。六文字全部が読めるようになってから、意味がわかる」
「六文字、全部変わるんですか」
「君次第だ」
エリナが備考欄を覗き込もうとして、見えないことに気づいた。ステータス画面は本人にしか見えない。
「何か変わったの?」
「一文字、読めるようになった」
「どんな文字?」
「まだわからない」
エリナはカルロを見た。
「教えてくれないの?」
「今は教えない」
カルロは答えた。
「焦らせたくない。一文字わかると、残りが気になって集中できなくなる人間がいる」
「ゼロもそうなると思う?」
カルロは俺を見た。
「どうだ」
俺は少し考えた。
「気になります」
正直に答えた。
「わかっても使えない情報は、今は必要ない」
カルロが小さく笑った。
「そうだ」
その日の午後、俺とエリナはギルドに向かった。
毎朝カルロのもとに通う一方で、依頼はこなし続けていた。この十日間で、F級依頼を八つ完了している。薬草採取が三つ、害虫駆除が二つ、荷物運搬が二つ、ギルラット駆除が一つ。
戦闘を伴う依頼では、毎回少しずつ新しい発見があった。魔物の動き方の癖。地形の使い方。エリナとの連携の精度。数値では測れない部分が、確実に積み上がっている気がした。
ギルドに入ると、受付嬢が俺たちに気づいて手を上げた。
「ゼロさん、ちょうどよかった。ベルナルド会頭からメッセージが来ています」
封筒を受け取った。開けると、短い文章が書かれていた。
「先日の礼を改めて伝えたい。都合のよい日に商会まで。ルカも元気になった。 ベルナルド」
エリナが覗き込んだ。
「行く?」
「行く」
俺は封筒を折った。
「明日の午後にしよう」
依頼ボードを確認していると、後ろから声がかかった。
「おい、新入り」
振り返った。ロックスだった。登録初日に嘲笑してきたCランクの男だ。あのときと同じ、値踏みするような目をしている。だが、何かが少し違った。
「なんですか」
「この十日で依頼八つ、全部完了か」
ロックスは腕を組んだ。
「廃坑道の件も聞いた。金貨の依頼を、Fランクが片づけたってな」
俺は何も言わなかった。
「お前、何者だ」
「Fランクの冒険者です」
「そういう意味じゃない」
ロックスは少し前のめりになった。
「ステータスはどんくらいだ。あのときは答えなかったが」
「平均以下です。全部」
ロックスが眉をひそめた。
「嘘だろ」
「嘘をつく理由がない」
男はしばらく俺を見ていた。それから、ふっと息を吐いた。
「……まあいい。一つだけ言っておく」
ロックスは声を低くした。
「最近、お前のことを聞き回ってる奴がいる。ギルドの外から来た、見慣れない顔だ。気をつけろ」
それだけ言って、ロックスは去った。
エリナが俺の袖を引いた。
「聞いた?」
「聞いた」
「誰だろう。あなたのことを調べてる人」
俺にはわからなかった。この世界に来て十日。まだ何者でもない。調べられる理由が思い当たらない。
だが、一つだけ気になることがあった。
備考欄の、変わった一文字。
カルロが読んで、表情を変えた何か。
それと関係があるのか、ないのか。
今はわからない。
俺はステータス画面を静かに開いた。
備考欄:◆◇◆◆◆◆(解読不能)
白くなった一文字が、光の中で静かに光っていた。
次回・第11話「商会の朝」
ベルナルドのもとを訪れたゼロに、礼とともに新たな依頼が持ち込まれる。そして謎の人物の影が、じわりと近づいてくる。




