ケイス外伝 私のおかしな婚約者 3(完)
何だって?
「………ずびっ。ん、……うん?…今なんて、言った?」
「だから、婚約者が泣いてたらこうするだろって。」
「こん、婚約者。」
「ああ。」
言ってる意味がわからない。
疑問符だらけになったのを泣き止みそうと思ったのか、私を離したケイスはハンカチを差し出してきた。
反射的に受け取って、呆然としながら顔を埋める。
ケイスの香りがする。どきどきして悔しい。
………で、何だって??
聞き間違いか?婚約者って何の話だ。
まさか私とケイスじゃないよな。
「落ち着いたか?」
落ち着くわけがないだろこのバカ。
涙が急に引っ込んで、全然意味がわからなくて、顔を上げた。
「誰が誰の婚約者だって?」
「君は私の婚約者だろうが。」
どういう事だ。本気か?夢か。
ケイスの嘘……なわけがない。こんな意味のわからないところで嘘をつく奴じゃない。
頭が混乱して熱が出そうだ。
「ケイス」
「何だよ」
「私はその話、知らないんだが。」
「はあ!?」
目を見開いて聞き返された。本当なのか。
え?本当??私がケイスの婚約者?嬉しい、嘘だろ、そんなわけない、いつから?
「何年も前に、両家当主の承認を得て成立してるぞ。」
「え……それじゃ、私に縁談が無かったのは…」
「婚約者がいたら、そりゃ来ないだろ。」
嘘だろ。
君に置いてかれるって、君の隣が盗られるって、私の不安は何だったんだ。
「……ケイスは、」
「ん?」
本当に、婚約が成立しているのなら。
何で、成立したんだ?親同士の決定なのか、それとも。
喉がからからだ。君の顔が上手く見れない。
「良かったのか?相手が私で……」
「父上に頼んだのは私だからな。結婚相手はシルフィアがいいと」
幸せ過ぎて死ぬかと思った。
顔が一気に熱くなって、今度はケイスから目が離せなくなって、私は今真っ赤になっているはずで。
「何で……私は…可愛くないし、背も近いし。言葉も女らしくない、から……ケイスのお嫁さんには、なれないと思ってた…」
「私がいつ未来の妻に条件をつけたんだ。全然覚えがないぞ」
「……うん。…ケイスは、そんな事言ってなかったな。」
不安な私が決めつけただけで、勝手な噂を信じただけだ。
好きって伝えなくていいように、逃げる言い訳を作ってた。
「婚約の事はいつシルフィアに言うと、日付を聞いてたから……態度の変わらない君を見て、今まで通りに過ごしたいんだと思ってた。」
「…何も知らなかったな……。」
もしかしたら、お母様かもしれない。
私が調子に乗らないようにとか、婚約したならもう淑女教育なんていいって言い出すんじゃないかとか。どうせそんな事だ。
「……シルフィア。私が相手なのは嫌だったか?」
「そんなわけないだろ、バカ!私はっ……私は君じゃなきゃ嫌だったんだ!」
君じゃない誰かに嫁ぐなんて考えたくもなかった。
君が他の人と結婚するなんて絶対に嫌だった、耐えられないと思った。
君は絶対絶対絶対に、私がどれだけ君の事を好きなのか、わかってなくて。
「まさか知らないとは…もう少しはっきり言葉にしておくべきだったな。」
「その通りだ……し、その。態度もじゃないか?君はいつも私を、親友、親友って。私は可愛くないし、女として見られた事なんかないと思ってた。」
「全然。シルフィアはかっこいい所も可愛い所もあって好きだと昔から思ってたし、君の手を引く時はいつも緊張してた。」
初耳過ぎる。す、好きって言った?本当に?
緊張してたって、いつ、誰が。私だけじゃなかったのか。
君はどこからどう見たって、そんな様子はなかったのに。
「大人気の殿下を差し置いて私のために泣かれた時は、もしかして君は私の事が好きなんじゃないかと考えて眠れなかった。笑顔を見ると愛しくて抱きしめたくなるし、さっき抱きしめた時はどさくさに紛れてキスしようか少し悩ん」
「もうやめろ!バカっ!!」
このままだと恥ずかしさと嬉しさで死ぬ。
ケイスに殺されてしまう。今のは何だ、いっそ、泣いてる私を励ますための渾身のネタか何かなのか?
笑うどころか死ぬぞ、ケイス。
私をなめるな、君の事が大好きなんだから。
「かっ、顔から火が出そうだ…!」
「…恥ずかしがってるのがすごく可愛いけど、こういうのは毎回伝えた方がいいか?」
「今は待ってくれ、頼むから!本当に死ぬ!!」
「何でだよ。死ぬわけないだろ」
ここまできて何でわかんないんだ、バカ!
ほんとにバカ、君ってやつは、もう!!
「私も君の事が大好きだからに決まってる!ずっと片思いしてたんだ、落ち着くまで待っ――抱きしめるな、バカーっ!!」
案の定というか、あれだけ騒いだら当然というか。
いつの間にか人が来て遠巻きに見られていたらしいし、城で痴話喧嘩するなと二人とも怒られたし、知り合いには生暖かい目で見られるようになった。恥ずかし過ぎる。
しかもケイスが戻ってきた理由は、私が泣いていたのをマティアス殿下が見かけたからだそうだ。
一体いつ見られてたんだ。わざわざ手を回してケイスを呼んでくださったなんて、畏れ多い。
そしてお母様はやっぱり、予想通りの理由で私に黙っていた。
私のためだと言われても納得できなくて、お父様にだけ断って家を出た。
「でも、本当によかったのか?ケイスの家に来ちゃって…」
「うちにとってシルフィアはもう家族みたいなものだからな。全然構わないし、本もいくらでも持ち込んでいい。」
「ありがとう……本当に、ケイスには貰ってばかりだ。どう返せばいいのか少し悩むよ。」
「長い人生の半分以上貰うんだ、こちらが貰い過ぎなくらいだろ。」
「っ……」
貰ってくれるんだ。
ケイスが、私を。
何度でも、思い返す度に「夢じゃないか」って確認してしまう。
私達は、婚約者なんだ。
ケイスのお嫁さんになれる……。
心臓がどきどきして、前を歩くケイスの手に触れていいかって。
腕を組んだりとか、……人目がなかったら、その。私から抱きついてみたりとか、していいものかな。
そろりと手を伸ばして、引っ込めて。
ああ、でも今は。
努力家な君の、剣だこだらけの大きなその手に、触れてみたい、なんて…
「ちなみにだ、シルフィア。」
「っ、うん。なんだ?」
「さっきシュミーとキャミーが寄り添ってるところにパパロが来て、それはもうフカフカのもちもちのかわかわで、心臓が破裂するかと思った。今日は少し涼しいからな……またその瞬間を見られる可能性がある。覚悟した方がいい」
「……うん。」
婚約者と二人で歩いてて何かこう、雰囲気とかないのかよ。バカ。
シュミーとキャミーとパパロって言われてすぐどれがどの子かわかるなんて、よそのお嬢さんじゃ他にいないぞ。
「まったく……君に付き合える女なんて私くらいなものだろ。ケイス」
出会えた事に感謝してくれたっていい。
おかしな君の事は私が一番わかってる。
「妻になる君さえいればいいんだから、別に問題ないだろ。シルフィア」
「うぐっ……!」
心臓が痛い。今日も君が好き過ぎて私は死にそうだ。
出会えた奇跡に感謝してるし、もし人生をやり直すなら絶対にまた君と出会いたい。
「……ケイス。あの、さ」
「うん?」
可愛くない私を可愛いって言う、バカな奴め。
後から逃げたくなったって知らないぞ、絶対逃がしてやらないんだから。
「……だ…大好きだよ。本当に…いずれ君と結婚できるなんて、夢みたいで――」
素直な気持ちを言いかけて、でもそれまでだった。
ケイスがこちらに近付いたと思ったら、私は…
《もう…もうやめて……シルフィア様……!》
ちちぃ、と可愛らしい鳴き声が目の前のテーブルから聞こえる。
ソファに座る私はそちらを見もせずただ、うっとり目を細めていた。幸せな記憶を辿っていたから。
「ああ…それこそが初めての口付けだった。私は一瞬何が起きたかわからなくて…」
《きゃーっ!聞こえません、聞こえません!ごめんなさい、聞いてしまって!》
「ふふ、結構鳴くんだなぁ、この子。」
《ここから出して…帰して……!》
職場で何かちょろちょろしているのを見つけた、珍しいネズミ。
やけに小綺麗で、王家の紋章が刺繍されたケープを着ていたから、私はこの子が「ルル」だと気付いた。
笑顔で声を掛けたらすぐ近付いてきたものだから、捕らえるのは簡単だったな。
使ってない花瓶を出してホコリを取って、入れただけ。
最初はぴょんぴょんしてたけど、出られない高さと気付いて跳ぶのはやめたらしい。賢い子だ。
ケイスの、最近のお気に入り。
「まぁそんなわけでね、ルルちゃん。ケイスは私の大事な婚約者で、未来の旦那様なんだ。」
《はい…はい……っ!》
「確かに君は、どう見ても彼の好みだよ?小さくて可愛くて愛らしくて、私も君がとても可愛いと思ってるし、何ならもう持って帰りたいくらい好きだけど。殿下の物じゃそれはできないからさ。」
動物に言ったって何も通じるわけないんだけど、迎えが来るまでの暇潰しだ。
のろけなんてまず人には言えないしね。
「あんまり可愛い事をして、私から彼の時間を取らないでくれよ?…なーんて。あはは。」
《僅かたりとも取りません!ええそれはもう、まったくもって取る気はなく!》
「ふふ……きゅうきゅう言って可愛いな。大丈夫だよ~。食べたりしないぞ~?」
《もう来ません。もう忍び込みませんから…!うう、どうしましょう……私が相手だったら絶対言わなかったでしょう話を、こんなにも聞いてしまって……っ助けて……!》
ノックの音がしてどきんとする。
飽きそうなくらい会ったって、飽きる事なんて全然ないんだ。
逸る心を抑えて扉を開けると、愛しい私の婚約者が主君と共に入ってきた。
「ルルちゃまッ!!」
《貴方じゃなくてッ!!――あ、マティアス様!マティアス様ーっ!》
「っふ…ごほん。うちのが世話をかけたな。シルフィア嬢」
「いえ、殿下。保護できてよかったです」
ケイスが早速「ルル様!」と小さな皿に入った水やらナッツやらをテーブルに並べ、ゆっくり丁寧に花瓶を横にしてやっている。
出てきたルルちゃんが喜ぶどころか、ケイスの手から逃げているように見えるのは気のせいだろうか。
《貴方はシルフィア様をかまってください!こっちに来ないで!》
「ケイス、シルフィア嬢に礼を。」
「はい……また手に乗ってくれなかった…」
何をしゅんとしてるんだ、可愛いやつめ。
頭を撫でくり回してやりたいけど、殿下の御前でやる程バカじゃないし、二人きりだってそんな事できない。引かれたら嫌だし。
こっちに来て私と目を合わせた時にはもう、ケイスは普段と何も変わらない顔だった。
私も澄まし顔で微笑む。
「知らせてくれて助かった、シルフィア。」
「お役に立てたなら何よりでした。」
《マティアス様、はぁはぁ……よかった。あれ以上シルフィア様の思い出話が続いたら、どうしようかと……!》
「ルル。落ち着いて、まず水でも飲め。大丈夫か?」
《ごくごく…はぁ、ふぅ。なんとか。はぁ……》
ルルちゃんは殿下にすっかり懐いているらしい。
言う事をきちんと聞いている…のを、羨ましそうに見ているケイス。頬をつついてやろうか。今はやらないけど。
君という奴はいつだって動物が好きで、特に小さくて可愛いのには目がなくて。
それでも私の事は、すっ……好きでいてくれてるって、わかってる。
「…ルル様はお可愛らしいですね。」
「ああ、まったくその通りだ。吸いたい」
そう言う君を吸ってやろうか。
……いや、私がもたない。結婚した後で、もしやれたらやろう。
ちぴちぴと水を舐めるルル様を、こちらに背を向けた殿下が撫でてあげている。
そんな微笑ましい姿を眺めながら、隣にいるケイスの小指を自分の人差し指でちょんと触ってやった。
ちょっかいをかけただけのつもりが、きゅっと指を絡められる。
でもほんの一秒だけで、すぐ離れて。
何だ、それ。君の反射神経どうなってるんだ。
そんな事しちゃ駄目だってわからないのか。手を繋ぎたくなるし、もっと傍にいたくなる。
本当に君はわかってない。
《聞くつもりはなかったんです…!本当なんです、逃れようがなくて……!》
「大丈夫だ。気にしなくていい」
王太子殿下がなにやら、ペットを慰めている。迷子になった謝罪でも聞いてるんだろうか。
平和過ぎる部屋の中で、私の心臓だけが騒がしい。
ああ、くそ。
今日も君の事が大好きだ。




