ケイス外伝 私のおかしな婚約者 2
「……参り、ました。」
正直、試合は見ていられなかった。
そこまでする必要があるのかと叫びたいくらい、ケイスは傷だらけになっていて。
飛び出して「もうやめてくれ」と言いたかった、でも、君が何度も立ち上がるから。
私がそれを台無しにはできないと思って。
「ぐすっ…うぅ、ひぐっ……」
「何で泣いてるんだ君は。痛いのは僕の方だろ。」
「だって……君が、そんな怪我っ…してたら、私は……私は、っぐす…」
「……そうだな。心配させて悪かった。シルフィア」
ハンカチをくれた手が大きくて、気付けば目線の高さも前より近くって。
いつの間に、ケイスはちゃんと男性になったんだろう。
私はまだリボンが似合わないまま、他の女の子より背が高いまま。女性らしくなんて…
「それよりもう帰らないか?今朝はモルモルだけ触れなかったんだ、機嫌が悪くて。早く触りたい。」
前言撤回だ。
何も変わってない、こいつ。
私は専門書だって読めるようになったのに。子供め。
「……ぐすっ。モルモルに触れなかったせいで負けたとか、言わないだろうね。」
「まさか。僕は全力を出したし、殿下はその全力にどれだけ隙があるか見抜いてみせた。……凄い人だよ、本当に。」
「…悔しくないの?」
「自分の未熟さは悔しいけど、殿下は認めてくれたし、発見や学びの方が多かった。……シルフィア。僕は――…いや、私はしばらく、あの人の近くに居てみようと思う。」
待ってよ。
「……《喋り方をどうした》んだよ、ケイス。」
「はは。慣れないけど……殿下の傍にいるつもりなら、少しくらい背伸びしないとな。大人のフリだって何だってするさ。」
私は
「……ケイスは、流石だな。」
「何がだよ。今のままじゃ全然足りないんだから、それくらい当たり前だろ。一番簡単に変えられるところだし」
私はどうしたら、そんな君の傍にいられるんだろう。
どうしたらいい?
なんにもかわいくないんだ、私は。
かっこいい君の隣にふさわしくない。
「……もう、私達は遊べないのか?」
「誰がいつそんな事言ったんだよ。いつだってうちに来たらいい。私がいない時は増えるかもしれないけど」
「じゃあ、行ったって意味ないじゃないか。」
「意味はあるだろ、ミミ達と会えるんだぞ!?」
「はいはい。」
だから何だ。私は君に会いたいんだ。
どんなにミミ達に夢中でも、その喜びを私に伝えてくれる君に、会いたいのに。
そんな事もわからないなんて、ケイスはやっぱりバカだ。
「ねぇ聞いた?ケイス様、最近は第一王子殿下の仕事を手伝われているんですって。」
「まぁ…将来は補佐官?次男とはいえ侯爵家だし」
「傍にいる女性と言ったら……ねぇ?ふふ、すぐに蹴落とせそうだわ」
私は君の「友達」で、「親友」で、「好きな女の子」じゃない。
ふわふわした可愛いドレスは似合わない。声だって低めで可愛くないし、縁談だって一つも来ない。私は女性としての魅力がないんだ。
君が好きになってくれる女の子には、きっとなれない。
女を捨てて剣を握るのもダメ。
前にやってみようとしたら、しばらく外出禁止になってしまった。数日程度だったから、ケイスには「軽い風邪をひいてた」なんて嘘をついたけど。
政治的な駆け引きなんてわからないし、数字を追うのは苦手だし、「二人で殿下を支えよう」と言える程の何かはないし、もちろん男同士の親友にだってなれやしない。
私はどうしたらいいんだろう。
「いや、参りましたゼンデン様!」
「攻撃にも防御にも活用できる、素晴らしい魔法ですな。」
「素敵でしたわ、とてもお強くて…!」
「いえ、殿下に比べれば私などはまだまだです。魔法に頼れない時もあるでしょうし……家の名に恥じぬよう、これからも研鑽を積まねばと思っています。」
目を悪くするほど、いつの間に勉強を重ねていたんだろう。
眼鏡をかけるようになって、誰とも敬語で話す君はなんだか……知らない人みたいになった。
話しかけていいのかわからなくて、私は君の家を訪ねなくなった。
君は私に何も聞かなかった。
逃げるみたいに、他の言語にも手を出した。
そうすれば時間が飛ぶように過ぎるから、会いに行く時間がなくなるから。
言い訳だった、自分への。
私に女友達はいたけれど、派閥だなんだというのは興味がなくて、数は少なかった。
だから歳の近い令嬢のほとんどは友達じゃない、顔と名前を知っているだけの人。
「ねぇ。掲げる権威もないのに男みたいな喋り方をするご令嬢なんて、普通いないわよね?」
「なぁに、それ。」
「ケイス様はそういう人は苦手なんですって。淑女なら当然の事なのに……誰か、そんな人が近くにいるのかしら。」
「まさか。居たとしても平民だわ。貴族令嬢でそんな恥知らず、いるわけないでしょう。」
ああ、いやな話が聞こえてしまった。
くすくすと耳障りな笑い声が頭の中に響いてる。
楽にしていいと言ったのは君だった。
優しさに甘えていたのは私だった。
バカみたいだ、何も気付かないで。
もうあの頃みたいな子供じゃないのに。
とっくにもう、許される歳じゃなかったんだ。
「シルフィア、きちんとケイス様に会いに行っているのでしょうね?」
「もちろんです、お母様。」
「ならいいのだけれど……もちろん、ケイス様に変な口調で話しかけていないわよね。」
「いやだわ、何年前の話ですか?私はもうそんな歳ではありませんよ。」
「そう――そうよね。ならいいの。」
ああ、気持ちが悪い。
どうやったらお母様の趣味しかないこの部屋を、この屋敷を、出て行けるんだろう。
ケイスならどうしただろう――いっそ、語学留学したいとお父様に言ってみるか?
「……はは。」
馬鹿だな、私は。
お母様が許すわけないだろ。
「ケイス様、本当にわたくしとデートしてくださるの?」
勉強に没頭していた私の耳に、その声が聞こえた。
資料を借りに訪れた王城での事だった。廊下の窓を開けた誰かを、私は恨んだ。
その木陰で立ち止まる事を選んだ君を、知らない顔で微笑む君を、見てしまった。
「ええ、私でよろしければ。」
「嬉しいわ。でも、誰かさんに悪くないかしら。」
「誰の事でしょう。私が今見ているのは、貴女だけですよ。」
「まぁ…ふふふ。」
……何も知らずに笑って、バカなご令嬢だな。
そいつに付き合うとフン掃除に誘われるぞ。
なんでだろう、私は唇をぐっと閉じていて。
彼女は私に気付いてにやりと笑い、ケイスの腕に絡みついて「行きましょう」と引っ張っていった。
なんて性格が悪そうなんだ。
ケイスめ、あんなわかりやすい性悪に引っかかるなんて…
「……私の方が、君を好きだ。ばか。」
涙の止め方がわからない。
人通りがないのをいい事にその場にしゃがむ。
涙がぼたぼた零れてしまって、手で拭っても拭っても、ダメで。
ああ違う、淑女は手で拭ったりしないんだ。
やっとハンカチを取り出した私の背後から、にゃあと声がした。
こんな所に猫が?そんなわけはないと思って振り返れば、三つの尾を持つ猫型の魔物がいた。
そういえば、「王城には爵位を持った魔物の猫がいる」……いつだったか、ケイスが目を輝かせていた。魔物は王家の紋章まで入った黒いマントを身につけている。
まるで「どうしたの」と聞くように、彼は私の方へトコトコと歩いてきた。
ケイスがいたら可愛さに悶えるくらい喜んでただろうに。
顔が勝手に笑う。
「…こんにちは、三尾猫くん。確か、ええと……ぐすっ、リートベルク卿、だったかな?」
「にゃ!」
「合ってる?ふふ、ごめんね。幼馴染が教えてくれたんだけど、ちゃんと覚えてるか自信ないな……」
長く王城で飼われているだけあって、随分人慣れしているようだ。
大人しく座って私を見上げるその子を撫でて、ケイスと一緒に屋敷の動物達を見ていた頃を思って、余計に涙が溢れる。
「……どうしたらいいんだろう。私にはなんにもないんだ……あの子みたいな愛らしい顔も、可愛い服が似合う身体も、小さな背も、何も持ってない。」
「にゃ~う?」
「ケイスと一緒にいたいのに……ケイスの隣にいるのは、私じゃないとイヤなのに。私じゃ無理なんだ、だって男みたいだもんな……っう、でも……今更、あんな子に取られるのは、嫌だって……思うのも、ダメなのかな。」
「に、にゃ……」
私が普通の状態じゃない事だけはわかるんだろう。
リートベルク卿はおろおろぐるぐると私の周りを歩いて、前に戻ってきて、首を傾げた。
そりゃそうだ、魔物に言ったってわかるわけがない。
「あーあ……婚約おめでとうとか、結婚おめでとうとか……笑って言える自信、ないなぁ。」
お母様はなんて言うだろう。
私を貰ってくれるのはケイスぐらいだろうとか、考えてるんじゃないかな。
それが無理だって知ったら……いっそ私を捨ててくれたらいいのに、なんて思うのは親不孝だろうか。
ケイスと居られないなら自由が欲しい。それこそ外国に移ったっていいかもしれない。
こちらを案じるように前足をちょいと出してくれたリートベルク卿に、少し励まされた。
爪を引っ込めた小さな手を握って、「ありがとう」と伝える。
心配そうに私を振り返りながら、彼はトコトコ走り去った。
借りた資料をすぐ読もうとしたけれど、全然身が入らない。
しばらく粘ったけどダメで、もう切り上げて帰る事にして。
ああ、私はなんて我儘なんだろうな。
可愛くなる努力とか、ケイスに女として見てもらう努力とか、したのかって話で。
嫌だ嫌だと駄々をこねるだけの子供だ。
「……ケイスめ、本性がバレて振られてしまえばいいんだ。」
君の動物好きに付き合える女性なんて、まずいないんだから。
動物を愛する君の心がどんなに綺麗かなんて、ちゃんと見てくれる奴は滅多にいないんだから。
空の色を映していても、目に涙が溜まる。
全然いなくても、殆どいなくても、ちょっとはいるだろってわかってる。
君はきっと、あんな性悪を奥さんにはしないけど。
でも、背が小さくて可愛くて賢明で、動物に夢中な君を笑って見てられるような、そんな素敵な人と出会って、結婚するんだ。
私なんかじゃなくて。
「…痛いなぁ」
心臓の辺りがズキズキする。
わかってるよ。気付かないフリをしてただけで、私はずっとケイスが好きだったし、失恋するってずっとわかってた。
女として好きになってもらえる要素なんて、微塵も無いもんな。
「痛い……」
それでも君の事が大好きなんだよ、ケイス。
なんにも、知らないだろうけどさ。
君の隣にいたかった。
親友と言われたって。
「シルフィア」
幻聴だ。
いっそ恥ずかしい、未練がましいにも程がないか?
ケイスが今ここにいるわけないだろ、あいつは今頃――
「シルフィア!」
腕を引かれて振り返る。
息を切らしたケイスが、目の前にいて。
びっくりした私の目から、堪えてた涙がぽろっと落ちた。
「……何、してるんだ、親友。デートだろ、君。」
「何で泣いてるんだ君は!誰に何をされた!?」
「それは、……ケイスには関係ない。」
「関係なくはないだろ。君が泣くのなんて、私が殿下に負けた時以来だ!」
覚えてるのかよ。
忘れてくれ、ぼろ泣きでぐちゃぐちゃの顔してたんだから。
「…あの可愛い子のとこに戻りなよ、ほっといたら可哀想だろ。」
眉に力が入る。
口が勝手に喋って、声はとげとげしくて、吐き出す言葉はひどいものだ。
ケイスは心配してくれてるのに。あの子の所になんて戻ってほしくないのに。
「デートでも何でも行けって!」
「泣いてる君を放ってまでやる仕事じゃない。」
胸がずきりと痛む。何だよそれ。
ふざけんなって怒る気持ちと、バカみたいに嬉しくて期待しようとして、「そんな期待意味ないだろ」って、ああ、もう。
足の力が抜けて、座り込みそうな私をケイスが抱き留めた。
「離せよ、バカ……触るな、へんたい。」
バカは私だ。可愛くない事しか言えないのか。
涙がまた滲んで落ちる。私はどうしてこんなに可愛くないんだ。
こんなだから、君に好きになってもらえない。
「っ…うぅ……」
「シルフィア…何か見たんなら、違う。あの令嬢には聞きたい事があって」
「知らないよ、そんなの!」
ほっとしたくせに、「なんだ、そうだったんだ」って思ったくせに。
感情が抑えられなくて、涙がどんどん溢れて、資料なんて取り落として、ケイスにしがみつく。
「私がっ…私が何で泣いてるかなんて、わかんないくせに!」
「わからないに決まってる。だから、どうしたんだよ。何か言われたのか?」
「っ……簡単に人を抱きしめてんなよ、バカ……」
今私がどんな気持ちでいるか、わかってないくせに。
親友が泣いてるからって、それだけで君は、私を抱きしめてくれたんだろ。
私がやましく喜んでるなんて思ってもなくて。
泣きわめいてるくせにドキドキしてるなんて、君はなんにもわかってな――
「そりゃ、婚約者が泣いてたらな。」




