ハムスター化の謎 5.まだまだ修行あるのみ(完)
「それで、魔法を使い慣れるためにも変身してここへ来たと。そういう事か?」
「ええ。まさに鍛えておくつもりで、こっそり来てみたのだけれど。一体いつ、私がいる事に気付いたの?」
「さて、どうかな――…と言いたいところだが、マティの嫁のためだ。ちゃんと言うか…」
本当はあまり言いたくないとばかり、ヒルベルトは残念そうにため息をついている。
はぐらかしてからかいたかったのかもしれないが、真面目に答えて頂きたい。ヴァルトルーデがそんな気持ちを込めて見つめていると、彼は肩をすくめた。
「正直、いつ来たのかは全く知らん。」
「えっ」
「はははは!敵陣で警戒中ならまだしもな、あのちまい足が出す微かな音など常人には聞こえないさ。音が立つような素材がそこにあるなら別だが。」
「では、いつ頃に……?」
「随分勝手をしたらしいな、と言ったあたりだ。何か白いのが視界の端にチラチラと。」
ほぼ序盤である。
最初からバレていたのとあまり変わりないようだ。ヴァルトルーデからヒルベルトの顔が見えたのもその辺りだったので、一応は納得はできた。
「けれど、はっきりとはこちらを見ていなかったわよね。」
「ああ。しかしあの小ささの白っぽい生き物で、マティが訪れている時間帯だ。」
「……私が浮かぶのも当然ね。」
「もしもを考えて、令嬢を帰らせた後はすぐ対応できる位置にいた。貴女でなかった場合は少々、尋問が必要だからな。」
事も無げに言って、ヒルベルトはちらりと執務机を見やった。
何か危ない物を隠し持っているのかもしれない――否、仮にも騎士である彼が、この部屋に武器を置いていないはずもないだろう。
すぐ降参して出て行ってよかったと、ヴァルトルーデは内心胸を撫でおろした。
「…私がルルだということ、貴方以外にも察している者がいるかしら。」
「変身魔法、特に動物系はそれ自体が希少だからな。今はいないだろうが、時間の問題だ。」
「ヴィンケル伯爵令嬢に会っておくようにという助言は、そこに関連する?」
「大いに――ちなみに、先程の令嬢がそれだ。」
グラスを手に取りながら扉を指したヒルベルトに、ヴァルトルーデはぱちりと瞬いて目を丸くする。
『なかなか面白い兄妹でね。貴女がアーレンツで生きていくにあたって、味方につけておいた方がいいのは確かだろうな。』
そう言ったのはヒルベルトだ。
ならばその時の「兄」とは、「ユリユリ」の事である。彼にもいずれ会う事になるのだろう。
「彼女は一体何を……詐欺罪だと言っていたけれど。」
「あくまで《厳密に言えば》だ。相手先にバレて訴訟されたとしても、状況を深堀りすれば情状酌量の余地はあるっちゃある。俺から訴える事はないし、本人はまぁ間違いなく許すだろう。」
そういう性格だからなと、ヒルベルトはグラスを傾ける。
先程さんざん脅していたのは罪の追求というより、令嬢に今後の協力を求めるためだったようだ。
「彼女は実に良いものを持ってる。貴女が接して問題なければ、俺を通じて使うといい。」
「貴方が恨まれはしない?」
「あそこはそういう家じゃない。それに、あの娘は己の罪もよく理解しているようだったろ?」
「確かに……少なくとも、開き直ってはいなかったわね。」
ヒルベルトはヴァルトルーデの事情も加味して、あの令嬢を今後使えるようにしておいた。
それは勿論ヴァルトルーデのためというより、彼女を婚約者に選んだマティアスのためなのだろう。
「ああそうだ、俺の魔法について教えておこうか。ルトルトのを知ったわけだからな」
「興味はあるけれど、聞いていいのかしら。」
「いいさ。使う機会が少ないだけで、特段秘匿はしちゃいない。見た奴らには物質を潰す魔法とか、生き物を苦しめる魔法とか、金縛りの魔法とか、色々予想されてきた。」
――すべて違うのでしょうね。
声には出さず、ヴァルトルーデはそう思った。
そしてきっと、知ったところで対処のしようがないものなのだろう。銀灰色の瞳がヴァルトルーデを見据える。
「たとえば俺は、ここから一歩も動かず君を拘束できるし、殺す事もできる。」
「色々言われているからには、応用が利くのね。とても」
「ああ。予想してみるか?」
「圧力とか、あるいは重力かしら。」
「惜しいな。空気を操る魔法だ」
ヒルベルトがさらりと明かした事実に、ヴァルトルーデは目を瞠った。
候補になかったわけではない。しかし「その魔法はない」と思っていた。
なぜなら、強過ぎるから。
そんな魔法が授けられて良いならば、世界はあまりに危険過ぎる。
「俺の脅威と価値を理解したな。いいね、早い。」
「…貴方が味方である事に、感謝しているわ。」
誰か、勝てる者はいるのだろうか。
発動範囲の広さによっては、ヒルベルトは魔法さえ使えれば、大量殺人だろうと城や街の破壊だろうとできてしまうのだ。
――私は今きっと、「裏切っても良い事はないぞ」と念押しされている。
ヒルベルトは満足げに微笑み、グラスの中身をくいと飲み干した。
気軽に笑えはしなかったが、ヴァルトルーデもそれに倣ってグラスを傾ける。
「そろそろマティの用事が終わり、こちらに着く頃だ。話せて楽しかったぞ。ルトルト」
「こちらこそ、貴重な時間をありがとう。」
ヒルベルトの言葉通り、すぐにマティアスが到着した。
ヴァルトルーデはハムスターの姿になって彼の胸ポケットに潜り、ヒルベルトはそんな彼女にひらりと手を振る。
廊下で待機していたケイスはルルを見て安堵の涙を流し、三人は城へ戻った。
「…と、そんな状況でした。」
それぞれのお勤めを終え、夕食後。
再びマティアスの執務室を訪れたヴァルトルーデは、ルルの正体がバレていた事も含めて全てを報告した。
二人掛けソファに並んで座りながら、王太子殿下は些か不服そうである。
「なんだ、君は俺以外でも惑わされるのか。」
「まっ、惑わされるというのは少し、語弊がありませんか?変身が解けたのは緊張のせいで、その、緊張にも種類が…!」
「悪かった、冗談だ。わかってる」
マティアスにときめいて焦ってしまうのと、ヒルベルトに対する緊張感はまったくの別枠だ。
焦るヴァルトルーデの頭を撫でてやり、マティアスは「そろそろ話しておくか」と前置きした。
「ヒルベルトの事だが……彼は正式な名を、ヒルベルト・レフィ・アーレンツという。俺の異母兄だ」
「……そう、でしたか。」
可能性として考えてはいた事だ。
ヒルベルトが持つマティアスへの情の深さに納得しながら、ヴァルトルーデは次の言葉を待った。
「相手は側妃だが、婚姻より前だった。どういう事情があったか知らないが……生まれた時点で私生児だったあいつは公表されず、当然、王子として育てられる事もなく……俺が王の第一子になった。」
幼いマティアスにとって、ヒルベルトは気の良い兄貴分だった。
「王子殿下」とへりくだる事もなく、媚びを売る事もない。周囲が「無礼だ」と囁き合う程に親しく、頼れる幼馴染だった。
彼が自分と血が繋がっている兄で、それも国王である父の血を引いているのだと知った時、マティアスは愕然とした。
『じゃあ、ヒルベルトが王太子になるべきじゃないか』
なぜだという疑問が頭を占める。
マティアスにとって、ヒルベルトは全てに優れる完璧な男だった。
記憶力が良く頭が切れて人を使うのも上手く、全体を見る目があり情報処理能力も高い。
おまけに固有魔法は他の追随を許さない程の制圧能力を有している。文句の付け所など、人をからかうのが好きな性格くらいで、それだって重箱の隅をつつくようなもの。
彼は自分より優れた兄である。
なぜ、兄は認められないのか。
『俺にはこれくらいの役が丁度いいんだよ、マティ。』
どうして、本人さえもそんな事を言う。
その笑顔の奥にある本心がわからない。
「……俺は恐らく、未だに納得していない。だからあの人については、少し複雑に思ってる」
「マティアス様は……ご自分が王になるのは、納得がいきませんか?」
「いや、俺は王になるべきだと思う。そう在るよう言われて育ったし、王になるために努力をしてきた自負がある。この国を背負って生きる覚悟もある。ただその事と、……ヒルベルトが正当な評価を受けない事は、別なんだ。」
ヴァルトルーデは自分の兄姉を思い浮かべた。
ちょうどカルラによる騒動の前から他国へ出ていて、しばらく会えていない。帰国したら一連の騒動を聞いてさぞ驚く事だろう。
妹である事が誇らしい、胸を張ってそう思えるような人達だ。
――もしもお兄様達が同じ状況で、私が王の第一子だと公表され、血の繋がりを言う事もできなかったら。
想像するだけで、ヴァルトルーデは眉尻が勝手に下がった。
あまり気分がいいものではない。
「…それは確かに、拗ねてしまいますね。」
しゅんとした声で彼女が言った途端、マティアスは固まった。
ぱちりと瞬いて、今何を言われたのか理解しようとするかのように、数秒の間を置く。
「……拗ねては、ない。」
「大好きな自慢のお兄様なのに、どうしてと苛立ちを覚えるのも当然です。」
「…そこまでは、言ってないが…」
「お父様を恨めしく思うかもしれませんし、家族だと言えないのは……寂しいことです。」
隣を見なくともその声色から、ヴァルトルーデにマティアスをからかうつもりなどなく、真剣に考えて言ってくれている事は明白だった。
マティアスの頬がじわじわと赤くなる。
――俺の中にある怒りは…客観的に見ると、そうなのか。……そう、なのか?
違う、と言いきる事はできなかった。
マティアスはヒルベルトを評価しているし、もっと高い位置へ行けると、玉座につくほどの能力があると知っている。
自分より先に生まれた王の子なら、本来それが正しい位置付けではないのかと思っている。
脳裏に遥か昔の記憶がよぎった。
勇気を出して「兄上」と呼び、拒否された日だ。ヒルベルトは笑っていた。
『おいおい、それは今更だろ、マティ。いいって気にしなくて。』
『…でも』
『俺は《兄上》なんてガラじゃないし、お前も呼び慣れないんだし――誰かに聞かれたらどうする。』
『……わかった。ヒルベルト』
『気の置けない臣下として扱えばいいんだよ、そんなもんいればいる程いいんだぞ。ふはは』
――あの日俺は、納得してやめたんじゃない。我慢する事にしたんだ。
本当は「兄上」と呼んでいたかったのに。
ふわりと良い香りがして、ヴァルトルーデの微笑みが見えた。
いつの間にか拳を作っていた手が彼女の両手に優しく包まれ、体温を分けられる。
「貴方が怒るのも、苦しく思うのも。当たり前の事です、マティアス様。何も間違ってません」
マティアスが少し力を緩めた事が伝わって、ヴァルトルーデはほっとした。
気負い過ぎている彼の心を僅かでもほぐせるならそれでいい。
――ハムスターの時は、ただ傍にいる事しかできなかったけれど……今はこうして言葉も伝えられるし、触れる事もできる。
もっとも、ハムスターだろうとマティアスに言葉は届いていたわけだが、当時のヴァルトルーデはそれを知らないのでそこは置いておく。
王太子である以前にマティアスは一人の人間であり、ヒルベルトという兄を持つ弟なのだ。
だからヴァルトルーデは、その感情を否定しない。
「その辺りの事について、デルクス伯爵とはゆっくりお話できているのですか?何か我慢して、飲み込んで、伝えられなかった事などは。」
「……大いにある。聞きたい事も言いたい事も。」
そう答えるマティアスの表情は苦しげだった。
聞きたくても聞けないし、言いたくても言えない。
王になるための道に立つ事さえ許されなかった人に対して、「貴方が王になるべきだったのではないか」などと。
本当はそこに立っていられたのに、親の事情か何かでそれを許されなかった人に対して。
聞けるわけがない、言えるわけもない。
――本当は俺を、憎んでいるかもしれないのに。
「マティアス様」
名を呼ばれ、マティアスはハッとして瞬いた。
ヴァルトルーデが心配そうに自分を見つめている。
「先程の報告通り。デルクス伯は、マティアス様に知られて困る事はないと仰っていました。それに彼が私に優しいのは、当然、貴方様の婚約者だからこそなのですよ。貴方がたは互いを思いやっています」
「……そう直球で言われるのは少し、気恥ずかしいものがあるが。」
「ハムスター王女たる私が見るに、これは事実です。マティアス様」
ちょっとくらいわかりにくくても、不器用でも。
ヒルベルトはマティアスを大事にしているし、マティアスもヒルベルトを大事に思っている。
「だから、きっと大丈夫です。すぐにとは言いませんが、いつかもし機会があったら……聞いて、言ってみてもいいかと思います。もし少しでも不安なら、私も傍におりますから。」
ヴァルトルーデが父であるアンドレアス王と会った時、マティアスは隣にいてくれた。
彼の存在がどれほど心強かったか、ヴァルトルーデは覚えている。
――支えていこう、このお方を。マティアス様が私を支えてくれるのと同じくらい、いいえ、それ以上に返せるように。
「雇われハムスターとしても、精一杯お役に立ちますし……!」
「……ありがとう。ただ無茶をさせる気はないから、そこは覚えておいてくれ。」
「はい!」
やる気に満ち溢れるヴァルトルーデの燃える瞳を見て、マティアスは苦笑した。
これ以上格好悪いところを見られたくもないし、切り替え時だろう。
「ではまず、君を抱きしめさせてもらっても?」
「はい、もちろ――…も、もちろんです。」
漲っていたやる気はどこへいったのか。
マティアスが広げた腕を見て頬を染めたヴァルトルーデは、恥じらいに視線を泳がせてから、おずおずと身を寄せた。じれったくも可愛らしい反応が愛おしくなり、彼女の頬に唇を触れさせる。
温もりは一瞬で無くなって、ヴァルトルーデも消えていた。
ぱちりと瞬いたマティアスが視線を下げると、小さなハムスターが両手で顔を覆っている。
「ル…」
《わかってます!》
「そんなにだったか?」
《言わないでくださいっ!いえ、これはもうむしろ、マティアス様がずるい気がします!》
「何がだ」
わぁわぁ言い始めたヴァルトルーデを指で撫でてやりながら、いつの間にかマティアスは自然に微笑んでいた。
ハムスター王女が来たからには、眉間に皺を寄せて一人で考え込む夜などこないのだろう。
「修行あるのみだな。ルル」
《今は優しい声を出さないでください!》
「ふっ、ふふふ……まったく、可愛い婚約者様だ。」
《それも禁止です!》
悲鳴のように叫んで、ヴァルトルーデは頬袋をぎゅむっと押さえる。
王太子殿下はご自分の魅力を、それがどれほどのときめきをもたらすかをわかっていないのだ。
隠れる場所を求めてソファの隙間に顔を突っ込み、ぎゅむぎゅむと進んでふと止まる。
前にも後ろにも動けなくなって足をバタつかせるハムスター王女を、いつかのようにマティアスが引っ張り出してくれた。




