その3
「ふぁぁ……。おいメル、起きるぞ。さっさと……って、あれ?」
目を覚ました俺は、いつものごとくメルを引き剥がそうとする。だが、伸ばした手は空振りし、そのまま自分の腹を触ることになった。
「あれ?おい、メル?もう起きたのか」
目を開けてみれば、いつものごとくの金髪は見えない。普段は起こされるまで寝ているくせに、珍しいこともあるものだ。
昨日はバイトも無かったし、いつもより少し寝たのも早かった。まあ、単に早起きしてしまったのだろう。
だが、メルが先に起きたいうことは、全裸で動き回っているということだ。さすがに風邪をひくような季節ではないが、そんな姿を見られたら、姉貴や可憐が訪ねて来た場合に少々騒ぎになりそうだ。
「おいメル。とりあえず服着せてやるから来いよ」
しかし、俺の呼びかけにも反応はない。その時になって、俺はようやく気付く。部屋の中が妙に静かなことに。そしてそれは、最近の騒々しい日常で忘れかけていたが、メルがアパートに来る前の一人でいた時の静けさであることに。
「メル!?」
部屋中を、それこそ押入れの中まで探すが、やはり姿は見えない。そして俺は、メルの黒いドレスと靴が無くなっていることに気付く。
「まさか……」
ここ数日のメルの態度から、嫌な予感を覚えた俺は、慌てて扉を開け外へと飛び出す。だが、アパート周辺にも姿は見えない。妙な胸騒ぎを覚えた俺は、考えた末にメルが行く当てのありそうな人物へと電話をかけたのだった。
☆ ☆ ☆
「陽太!メルちゃんがいなくなったってホントなの!?」
可憐が駆けつけたのは、5分も経たない頃だった。
「ああ、やっぱりお前のとこにも行ってないんだな?」
「うん……。で、でも、メルちゃんは空間を伝って移動できるんだし、どこかにお出かけしただけじゃ……」
「お出かけ?あいつはこの一ヶ月、一人で外出した事も無かったし、自分じゃ服も着れないんだぞ!それが急になんて……。そうだ!」
俺は慌ててスマホの電話帳を開く。可憐が何かを言っているようだが、俺の耳には届かない。
「おっ、おい!もしもし。俺だ!今そこにローズはいるか!?」
「なんだい?藪から棒に」
「いいから!お前と話してる時間は無いんだよ。とにかくローズを出してくれ!」
「…………」
だが、切羽詰った俺の言葉を聞いているのかいないのか、総左衛門は返事をしない。その態度に、俺は確信する。
「いないんだな?やっぱり……。なあ、ローズは……いや、メルはどこに行っちまったんだよ!?」
わめき散らすような俺に対し、しばらく無言だった総左衛門だったが、やがて口を開く。
「やれやれ。君はこの前の話を聞いてなかったのかい?まったく、成長が無いと言うのか……。いいかい?愛とは信じることさ。君があの子を信じてやらなくてどうするんだい?」
「ぐっ……、わかってるよ!けど、実際にいなくなっちまったんだ。心配してやるのも、愛ってもんだろ!?」
我ながら馬鹿げてるとは思う。そもそも相手は人間じゃない。俺を利用するために、この世界に来た悪魔だ。けれど……。
「とにかく、このことで君と議論する気はないよ。それじゃあね」
「おっ、おい!もしもし……」
一方的に切られた電話は、その後何度かけても繋がることはなかった。
「ちくしょう。あいつ、出やがらねえ……。しかし、メルの行きそうなところなんて……。くそっ!」
「ちょっ、ちょっと陽太!どこ行くのよ。アタシも行くってば」
寝起きのまま顔も洗わず、パジャマ代わりのTシャツと短パンのまま、俺はアパートを飛び出したのだった。
☆ ☆ ☆
「ちくしょう、どこにもいねえ。あいつ、いったいどこに行ったんだよ……」
アパートを飛び出した俺は、メルと行ったことがある先を駆け回っていた。、初めて出会った公園や、ファミレスや銭湯、ライブハウスなんかだ。だが、メルの姿はどこにも見当たらない。もっとも、ライブハウスは当然のごとく閉まっており、中を確認することはできなかったが……。
「ねぇ、落ち着いて陽太。ほら、もうすぐお昼だし、もしかしたらもうアパートに帰ってきてるかもしれないじゃない。もしそうなら、きっとメルちゃんお腹空かせてるよ」
気付けば、すでに昼近くになろうとしていた。わずかばかりに冷静になり可憐を見れば、俺に付き合って走り回ったのだろう。顔は紅潮し、全身汗だくとなっていた。
「ああ……。わかった、一旦戻ろうか……」
勝手についてきたとはいえ、無関係の可憐を引っ張りまわすのも少しばかり気が咎め、俺達はアパートへと引き返したのだった。
☆ ☆ ☆
「やっぱり帰ってねぇか……」
アパートに戻ってきたが、やはりメルの姿は無い。焦った俺が、再び意味もなく外へと駆け出そうとした時だった。
「ねえ陽太。台所借りるね」
「は?」
可憐の突然の言葉の意味を、俺は理解できないでいた。
「ほら、もうお昼だしさ、朝から何も食べてないんでしょ?それに、メルちゃんがお腹を空かせて帰ってきた時に、ご飯が無いんじゃ可哀想でしょ?それともなに?カップラーメンでも食べさせる気?」
「あ……、いや……」
「ほら、お腹が空いてると余計に苛々するしさ。とりあえずご飯にしようよ」
言うが早いか、可憐は冷蔵庫を開け中身を確認し始めた。
「へぇ~。ちゃんと野菜も揃えてるんだね、偉い偉い。ちゃんと子育てして、まるでホントのパパみたいじゃない。あ、それとも恋人に手料理を作ってあげる彼氏かな?」
そんなことを言いながら、可憐は炊いてあった米を使ったチャーハンと、冷蔵庫の中身で簡単な野菜サラダとスープを作り始めた。
そして20分も経った頃には、部屋中にチャーハンとスープのの良い香りが充満する。
「ほら、できたから一緒に食べよ。こう見えても、そこそこ自信あるんだからね。ちゃんとメルちゃんの分も取ってあるから大丈夫よ」
「あ、ああ……」
正直食欲は無かったが、目の前に出された料理は確かに旨そうだった。もしも俺が同じ物を作ろうと思ったら、おそらく倍の時間がかかったうえに、もっと不恰好なものが出来ていただろう。そう思えば、確かに可憐の料理の腕前はそこそこのものなのかもしれない。
そういえば、長い付き合いだが、こいつの手料理を食べるのは初めてだ。だが、そんなことを思った時、唐突に高校時代の記憶が蘇る。
あれは、2年生の時だっただろうか。母親の作ってくれた弁当を忘れた俺は、購買でパンでも買おうかと列に並んでいた。だが、いざ金を払おうと思った矢先、財布すらも忘れていることに気がついた。
慌てて周りを見るが、金を借りられそうなツレも見当たらない。教室に戻り金を借り、再び出直すのも面倒だ。そもそも購買では毎回順番争いが発生するように、販売している数が少ないのだ。出直している間に売り切れる可能性のほうが大きいだろう。
「しゃーねーか……」
教室に戻り、寝たふりをして空腹を紛らわせようとしていた俺を目ざとく見つけたのは可憐だった。
「あれ?陽太、お昼は」
「ああ、忘れた」
「なに?購買で買わなかったの」
「ああ、金も忘れた」
「アンタねぇ……」
呆れた顔をしていた可憐だったが、自分の席に戻ると、女子にしては少し大きめの弁当箱を持って再び俺の元へと戻ってくる。
「ほら、食べかけだけど、多めに持ってきてるから」
広げた弁当箱には、色取り取りのおかずが入っていた。
「いや、いいよ。お前放課後の部活とかあんだろ」
「いいから、ほら、食べなって」
「……。悪ぃな。ああ、けっこう旨いな」
「へへ~。でしょ?アタシ、けっこう料理は自信あるんだよね」
「お前が作ってんのか!?お袋さんじゃなくて」
外野からは愛妻弁当だの、『あ~ん』して食べさせてもらえだのさんざんからかわれたが、可憐の弁当が旨かったのも、助かったのも事実だった。
「そうだな。お前の料理が旨いのは知ってるさ。高2の時だっけか。あん時は助かったよ」
唐突な俺の言葉に、可憐は驚いたように目を見開く。
「陽太……。覚えてたんだ……」
「まあ……な。覚えてたっつーか、思い出したって言うか……」
「そっか……。えへへ……。ほ、ほら、冷めないうちに食べてよ」
顔を赤らめ、何かを誤魔化すように可憐は料理を勧めてくる。気が気でないのは間違いないが、たしかに腹が減っているのも事実だ。
少しばかり懐かしい味のする料理を食い終わると、俺達はひたすらにメルの帰りを待ったのだった。
だが、夕方近くになっても、メルが帰って来ることはなかった……。




