その4
「酷いっすよリリンさん。おかげで、パンツがガビガビで気持ち悪いし。いや、ぶっちゃけ、めっちゃ気持ち良かったんすけど……」
俺達はアパートへと向かい、三人で夜道を歩いていた。もちろんリリンさんは一緒に帰るわけではなく、途中まで送ってくれるというだけだ。
「ウフフ。やっぱり下着を汚さんように、手ぇやなくておクチで……のがよろしおしたか?、今夜は何もできまへんどしたけど、よければいつでも呼んでもろうて構いまへんえ」
「そ、それは嬉しいんですけど……。けど、やっぱり遠慮しておきますよ」
リリンさんの提案には、物凄く心惹かれる。手とはいえ、ズボンの中に入れられたそれはとても柔らかく、絡みつく動きはまるで本物の舌で舐められているようだった。そのうえ艶かしく唇を舐めながら、『おクチで……』なんて言われたら、本物の舌はどんな感触なのだろうと想像し、またしても前かがみになってしまう。
だが、俺は同時にリリンさんの言葉の意味も、何となくだが理解した。そう、魚が水の中を泳ぐように、鳥が空を飛ぶように、肉食獣が獲物を狩るように……。そんな当たり前の自然の摂理の様に、リリンさんは男の精を吸うのだろう。そういう『役割』を与えられた存在として。
しかし、そうなると心配な事もある。娘であるメルも、将来はそんなふうになるのだろうか。エッチなお姉さんは大好きだが、それはそれで何か複雑な気持ちになる。
母親に会えて嬉しいのか、元気に前を走るメルを見る。そんな俺の視線に気付いたのか、リリンさんは意味深に笑う。
「おやおや、やっぱり若いメルのがよろしおすか?心配せんとも、少ぉしくらいサイズが違ぉても、女いうんはだんだんと慣れて行くものどすから。それに、陽太はんのサイズなら格別心配せんとも、そのうち慣れますえ」
「ぐっ……、ち、違いますよ!」
遠回しに小さいと言われた気もするが、そこは聞き流しておこう。(おそらく)百戦錬磨のこの人の、悪魔基準のモノと比べられても仕方がない。
「たとえメルが成長してようが、そんなことはしませんよ。まあ、出会った当初にリリンさんみたいな姿だったら、間違いなくしようとしてたでしょうけど……」
「それは、メルのことが好きではないということどすか?」
その言葉に、前を走リ回るメルを再度見つめる。
「違いますよ。まあ、最初は腐れ縁で仕方なくってこともありましたけど、今は結構楽しいんですよ。俺にも5歳の姪っ子がいますけど、あいつに対する愛情っていうか、それとも違う、妹とか娘に対するものみたいな……。まあ、俺に娘はいないんで、こんな感じか?ってくらいですけど。強いていうなら、家族に対する感情みたいなもんでしょうか。だから、リリンさんとそういうことをするのも、やっぱりメルに悪い気がしますから」
「フフ、そうどすか」
誘ってくれる女性に対し失礼かとも思ったが、リリンさんはさして気にする様子もなく笑っている。おそらく彼女にとっては、俺など遊びの一つに過ぎないのだろう。
「それに、リリンさんだってお世辞を言ってくれてますけど、やっぱりもっと男前のほうがいいでしょう?」
「フフフ。それは、メルエムの娘と一緒におった子ぉのことどすか?」
「やっぱ見てたんすね。ええ、総左衛門のことですよ。やっぱ、ああいうタイプのがいいですよね」
「あらあら、ウチも舐められたものどすなぁ」
「え?い、いや、そんなつもりは……」
もしかしたら、気分を害してしまったのだろうか。だが、リリンさんは笑って言う。
「初めにゆうたと思いましたがなぁ?ウチは優しい男と、野望に燃える男が好きやと。あの男はローズちゃんに会って、すっかり腑抜けになってはります。優しいだけではウチの琴線には触れまへん。まあ、そこはさすがにローズちゃんやろか、優秀どすなぁ。その点、陽太はんは夢も野望も捨ててまへん。だからこそウチは濡れたんどすえ」
「は!?てことはなんすか?メルも俺を骨抜きにするために……?」
「さてさて、どないですやろなぁ。ただ一つ言えることは、ウチは悪魔どす。話ははぐらかしても、思うままに正直に、嘘は吐きまへん。この場合の真実は、陽太はんがウチをその気にさせたいうことどす」
「ぐっ……」
俺は慌ててリリンさんから目をそらし、目の前を走り回るメルを見る。このまま潤んだ瞳で見つめられては、再びパンツの中が大変なことになってしまいそうだったからだ。
だが、メルを見ているうちに、些細な事などどうでもいいような気がしてくる。もしかしたらこれが、悪魔に魂を奪われた状態なのかもと思いながら……。
「なになに?なんのおはなし?」
「なんでもあらしません。陽太はんに、メルがちゃんといい子にしてはるか、聞いていたのどす」
「う……、い、いい子にしてるもん!」
「へ~、この前俺がいない間に、お菓子盗み食いしてたのにな~」
「ダッ、ダメ!それ言っちゃダメ~!」
はしゃぐ俺達を、リリンさんは笑って見ている。その様子は、ごく普通の母親と変わらない。そんな当たり前の光景を目の当たりにし、彼女の言うとおり、悪魔とは人が勝手に、自分達の都合のために作り出した存在なのかもしれないと思う。
「気になる言葉はありましたけど、とりあえずは合格点どすか。なら、ご褒美にケルちゃんに合わせてあげましょうかねぇ」
「え!?ケルちゃんきてるの。やったぁ!」
ケルちゃん?ああ、そういや前に、こいつペットがどうのとか言ってたな。
「ここに出すわけにはいきませんし、少ぉし向こうで会っておいで」
そう言うとリリンさんは、大人が通れるほどの大きさの空間を波立たせる。そしてメルは、躊躇せずそれに飛び込む。メルがいつも出す空間は、子供一人が頭から入り込んで、ようやく通れる程度の物だ。そう考えれば、これもそれなりに訓練が必要な能力なのだろうか。
「あはは、くすぐったいよケルちゃん。そんなになめちゃダメだったら」
空間の向こうからは、メルのはしゃぐ声が聞こえてくる。
「そういやケルちゃんって、魔界の犬かなんかですか?」
「そうどすなぁ。種類でいえば、こっちの世界と変わらず犬どすなぁ」
「へ~。魔界の犬ってなんかおっかなそうですけど、メルの声を聞くかぎりじゃ、そうでもなさそうですね」
「ええ、ケルちゃんは大人しくてええ子どすえ。陽太はんも会うてみますか?」
「え?それって俺が魔界に行くってことなんですよね?い、いいんですか?」
魔界の犬を見てみたいとは思うが、さすがにあちらに行くのは少しばかり躊躇する。
「心配はいりまへんえ。ケルちゃんはメルの大事な人を傷付けたりはしませんし、なかなかに強おすからなぁ。悪さしよう思うんがおっても、ちゃんと守ってくれます」
「ペットの犬がですか?まあ、話半分としても、それなら……」
そんな時、メルが空間から帰ってきた。
「ねぇねぇ。ケルちゃんにヨータのはなししたら、とっても会いたそうだったよ」
「ハハ、ケルちゃんは言葉もわかるのか。随分とお利口だな」
「うん、そうだよ!」
嬉しそうに話すメルを見ると、本当に自慢のペットなんだと感じる。
「わかったよ。んじゃ、ちょっくら挨拶してくるよ」
そして俺は、空間へと足を踏み入れたのだったが……。
「ん?なんだ?なんにもいねーじゃねえか」
踏み込んだ先には、何も無かった。いや、何も無いというと語弊があるか。視線の先には、以前に見た空間ではなく、黒い壁があるばかりだった。
ペットの犬ということもあり、俺の視線は足元からせいぜい腰のあたりを見ていたくらいだが、そこにあるのは黒い壁のようなもの。
「なんだよ。どこにいんだよ。おーい、ケルちゃん?」
しかし、俺は頭上から音が聞こえることに気付いた。同時に、頭に降り注ぐ生暖かい水……。
「んだよ。雨か……?」
だが、俺は妙なことに気付く。なんだこの雨?妙に暖かく、おまけに生臭いぞ?それにこの音、なんだか動物の息遣いみたいだし……。
そして、ふと顔を上げた俺が見た物とは……。
「うおぉぉぉぉっ!?」
そこにあったのは、爛々と光る真っ赤な瞳だった。だが、その瞳の大きさは俺の頭ほどはあるだろうか。おまけにそれが六つ。良く見れば、俺の身長ほどの大きさの顔が三つ並んでいる。
「な、な、な……」
そこにいたのは、三つの首を持つ巨大な犬だった。そしてそいつ等は、大きな口を開けると、嬉しそうに俺の全身をひと舐めしたのだった……。
「ひいぃぃぃぃぃっ!!」
慌てて空間から転げ出た俺の前に、悪戯っぽく笑うリリンさんがいた。
「あら、お早いお帰りどすなぁ。ケルちゃんと遊ぶ機会なんてめったに無いんどすから、もっと楽しんできはったらよかったんに」
「ケ、ケケ、ケルちゃんって……。あれケルベロスですよね!?いくら俺でもゲームとかで見たことありますもん!」
「そうどすえ。ケルベロスのケルちゃん。犬やし、なんも嘘は吐いてまへんえ」
悪戯っぽく笑うリリンさんだが、絶対これワザとだろ!
「ねーねー、ケルちゃんかわいかったでしょ!」
「…………。ああ、まーな。しかし……」
メルの全身を見れば、散々に嘗め回されたのであろう。涎でベトベトになっている。
「俺もそうだが、お前も臭せーな……。しゃーねー。予定変更だ。帰ったら銭湯に出直しだ。パンツも替えてーし……」
「おふろいくの?やったー」
「あらあら、なんどしたら、そこのホテルにでも行きましょうか?ウチもついて行きますえ」
「それはとっても魅力的な提案ですが……。お断りしますよ。さすがにリリンさんを前にして、いつまでも耐える自信は無いんで」
そんな俺の答えをわかっていたのだろう。リリンさんは可笑しそうに笑う。
「冗談どすえ。陽太はんのお人柄は、十分にわかりましたからなぁ。メルを預けても大丈夫な人やいうんも。ほな、ウチはこれで帰りますわ」
「えー、ママもうかえっちゃうの?」
「言うたやろ、今日は特別やって。ああ、そうそう、この子が陽太はんを選んだのも、ウチが気に入ったのも、なまじ偶然というわけでもあらしまへんのえ」
「は?リリンさん、いったい何の……」
「ほならメル、修行頑張るんやで」
「うん!」
言うが早いか、リリンさんは空間の中へと消えて行った。もしかしたらメルが泣くかも……。一瞬そんなことを思ったが、メルは元気に言った。
「はやくかえって、おふろいこ!」
「ああ。そうだな」
俺の手をそっと握ってきたメルの手を、強く握り返してやる。あれは、いつの頃だったろうか。幼い時、こうして両親と手を繋いで歩いた日のことを思い出しながら……。




