Empress Blues 女傑襲来! その1
「……痛てっ。んだよ……。おいメル、昨日はバイトで寝るの遅かったんだから、ちょっかい出すんじゃねえよ……」
翌日の朝、俺は顔面に感じる不快な感触で目を覚ました。毎度のことだがメルの寝相の悪さは折り紙つきだ。どんなにしっかり服を着せて寝かせようが、翌朝には全裸で器用に俺の上で眠っている。まあ、俺もすっかり慣れっこになり、まったく気にしなくなったのだが。
もっとも、体重の軽いメルに上に乗られたところで、少しばかり暑苦しいくらいである。俺も朝まで気付かず寝ているし、さして負担にもなっていないのだろう。
「おい、痛いって……。なにしてんだよ……」
だが、今日に限っては少しばかり妙だ。やたらに顔の上に集中して乗っかってくるし、感触が妙に硬い。なんていうか、顔面を棒でぐりぐりされているというか、もっと言えば、土足で踏みつけられている感覚だろうか。普段のこいつは、もっとプニプニスベスベしてるのに……。
さすがに、不快さに耐え切れずに目を開ける。
「っ!?」
目を覚ました俺が見た光景とは、例えるなら地獄というものがあるのなら、きっとこういうものではないかと思うもの……。それは視界の半分を覆う隙間から見える、俺に向けてスマホをかざした姉・伊吹のニッコリと微笑む顔だった。
ただし、その笑顔はけっして楽しいから笑っているのではない。姉貴が怒り心頭の時に見せる、子供の頃から見慣れた表情だった……。
「よう、朝っぱらから結構なご身分だな」
そう言いながら姉貴は、俺の顔面をぐりぐりろ踏みつける。ああ、なるほど。やっぱこれ、靴の感触だったんだ。しかもヒールだし……。尖った踵が容赦なく俺のほっぺたをえぐる。
「痛い痛い痛い痛い!ちょっとやめて!てか、なんで土足で入って来てんだよ。いや、それよりもどうやって部屋に入ったんだよ!?」
そう、いろいろ言いたいことはあるが、俺は確かに昨日鍵をかけて寝たはずだ。もしかして、知らぬ間にメルが鍵を開けたのか?
「ああ、大家に言ったら開けてくれたよ」
「あんの爺ぃ……」
この姉の恐ろしいところは、本性はともかく平気で猫を被れるところだ。加えて人並み以上の容姿であるうえに、夏だということで露出の多い、今日はちょっと薄着でセクシーな格好だ。たしかに大家のような、見るからに助平そうな爺など簡単にたぶらかすことが出来るだろう。
「そっ、それはわかったけど、何で土足で入ってきてんだよ!」
「あ!?お前は汚物に直に触れんのか?」
「…………」
いや、勢いで誤魔化そうとしてたけど、やっぱ気になるよね。弟の部屋に、全裸の幼女がいたら……。しかもその幼女は、絶賛俺にしがみつき中である。
「えっと……。とりあえず、靴を脱いでもらっていいですか……?」
「あ!?しょーがねえな、これでいか?それよりも、ほれ」
靴を脱ぎ終わった姉貴は、なぜかポケットから飴玉を一つ取り出し、俺に向かい放り投げる。おそらくは、雨蘭がぐずった時用のおやつなのだろう。だが、なぜ俺にそれを渡すのか。俺を幼児扱いしているわけでもないだろうに。
「あの……、何これ?」
「何って、卒業祝いと餞別に決まってんだろ。お前の童貞と、ついでに言えば社会的存在、つまりはしばらく娑婆の世界から卒業するな」
言うが早いか、姉貴は手にしていたスマホをいじりだす。
「なぁ陽太」
「なっ、なんだよ!?」
「ひゃくとーばんって何番だっけか」
「おいぃぃぃっ!ちょと待てぇぇぇ!!」
躊躇なく身内を売り飛ばそうとする姉貴を慌てて止める。
「ごっ、誤解すんなよ!俺は断じてやましいことなどしてないぞ。そもそも、ど、童貞だって卒業してないし……。それに、これからミュージシャンとして羽ばたいていく予定なんだよ。社会から卒業してたまるか!」
冗談じゃないぞ。今はこんなだけど、俺には前途洋々とした未来があるはず(たぶんだけど)だ。
だが、相変わらずメルは図太いというのか、この騒ぎにも関わらず全裸で俺にしがみついたままぐっすりと眠っている。つーか、いい加減起きろよ!
「こっ、これには深い事情があってだな。人助け……、悪魔助け……?い、いや、人助けなんだよ。とにかく、誤解なんだ。服を脱ぐのはコイツの癖で、やましいことなんか何一つないんだ」
「そうか、誤解か」
「そ、そうそう!そうなんだよ。俺が好きなのはもっと年上で、髪はロングでちょっとウエーブがかかってて、こう……、オッパイの大きいむっちりした、ナイスバディの女の人なんだよ」
姉の前で、俺はなぜ自分の性癖をカミングアウトしているのだろう。無性に悲しくなったが、背に腹は変えられない。とにかく今は誤解を解くことのほうが先だ。
「ああ、なるほどな。お前の部屋に隠してあったエロ本も、そういうのが多かったしな」
「ぐっ……。ま、まあ、わかってくれたか?」
「ああ、よくわかったよ」
姉貴の言葉に心底ホッとする。そうだ、何だかんだ言っても家族なのだ。エロ本の隠し場所がバレていたのはともかくとして、誠意を尽くした弟の言葉が届かないわけがない。
「お前が幼女から大人まで、見境のない変態だってことはよくわかった。とりあえず、今後雨蘭の半径100万キロ以内に近付くなよ」
「ちょっと待てぇぇぇぇ!!」
全くわかっていなかった……。いや、それより半径100万キロって……。日本どころか、地球上にも存在できねーんじゃねえのか!?
「なんにもわかってねーじゃねえか!って、雨欄!?そーいや、雨蘭はどうしたんだ?まさか、この現場を見たんじゃ……」
「心配すんな。こんな変態野郎を見せられるわけないだろ。雨欄が見る前に家に連れて帰ったよ。なんでお前と遊べないんだって言って、随分とぐずったけどな」
「そ、そうか……」
雨蘭には悪いことをしたと思うが、最悪の事態を免れホッとする。いや、念のためってだけで、何もやましいことはないけどな!
「そっ、それよりも、朝っぱらからいったい何の用だよ」
「アタシがわざわざ、弟可愛さに会いに来るとでも思うか?」
「……。思わねーよ」
「正解だ。雨蘭がお前と遊びたいってグズったからだよ。それを、お前に会う前から家に帰されるとはな」
「ぐっ……。それについては悪かったよ」
確かに、勝手に上がり込んだ姉貴にも非はあれど、雨蘭には何の落ち度もない。さすがに良心が咎める。
「けっ、けど、勝手に部屋に上がり込むのは……!」
「で、この子はなんなんだ?」
「えっと……」
勢いで誤魔化そうとしたが、やっぱ無理だよね。
「例えばだ。彼女もいない、むさ苦しくも気持ち悪い童貞男の部屋に、全裸の幼女がいたとしよう」
「おいぃぃぃぃっ!実の弟に対して、物凄い悪意を感じるぞ!?」
「なんだ、何か間違ってんのか?やっぱこの子で童貞は卒業したのか?」
「ぐっ……。そんなわけねーだろ!まあ、童……、そっ、そこだけは間違ってねーよ……」
「フン。とにかく、雨蘭がそんな状況になってたらお前どうする?」
「そっ、そんなもん、相手の男をぶっ殺すに決まってんだろ!」
「そーゆーことだ。他人と言えど、幼い女の子がそんな目に合ってたら、さすがに同じ女としていい気はしないしな。だが、アタシも汚物を退治してム所に行くのもなんだし、とりあえず自分で死んでくれるか?」
「おっ、おま……」
駄目だ。理不尽な姉貴に、もはや話は通じない。ここは正直に……。いや、正直に話したところで、おそらく気が狂ったと思われるのがオチだ。
「話せば長いんだけど……。と、とにかくこいつは俺の妹なんだよ」
「妹だぁ?」
「あ、ああ。親父がちょっとヤンチャして、外国に作ったな」
「なんだ、そうだったのか」
俺の言葉に、なぜか姉貴はすんなりと引き下がる。なんだ?こんな説明で納得したのか?
そして姉貴は、再びスマホをいじりだすと、誰かに電話をかけ始めた。
「ああ、お袋?ちょっと聞きたいんだが、親父の隠し子の……」
「ちょっと待ってぇぇぇぇ!」
俺は慌てて姉貴からスマホを奪い取る。
「よっ、陽太だけど……。い、いや、なんでもないから!じゃあな」
電話口で、雨蘭がどうこう言うお袋の言葉を無視して電話を切ると、姉貴にスマホを返す。
「てか、なにしれっと家庭崩壊させようとしてんだよ!」
「あぁ!?その子がお前の妹だってんなら、アタシにとっても妹だろうが。これは家族全員の問題だろ」
「…………」
確かに姉貴の言うとおりだ。誤魔化すことに必死で気が回ってなかったが、『俺の妹=姉貴の妹』でもあるんだから。
だが、だからと言って本当のことを言っていいものなのか……。
「むぐぅ~……。も~、うるさい……」
この騒ぎにも関わらず平然と寝ていたメルだったが、さすがに煩くなってきたのだろう。ようやく目を覚ますと、素っ裸のまま布団の上に座りなおした。
「おはようございます……」
「あ、ああ……。おはよう」
相変わらずきちんと挨拶をするのは立派だが、もう少し状況を理解してほしいのと、寝ている間に全裸になるのは止めてほしい。もっとも、本人は無意識に脱いでるんだろうけど。
正直寝ててくれたほうが良かったんだが、起きてしまったものは仕方ない。
「ほう、調教はバッチリってわけか」
「うるせーよ!とりあえず服着るぞ。ほれ、バンザイしろ」
俺が服を着せていると、背後から声がかかる。
「なるほど、脱がすのも着せるのも、もう手馴れたもんってことか」
「違げーって言ってんだろ!」
だが、やはり姉貴の疑いは晴れないようだ。
「しゃーねーな。ちゃんとホントのこと言うから。おいメル、まずはお前からも説明してくれ」
だが、メルは姉貴の姿を見たまま、少しばかり固まっている。
「な、なんじゃ?こいつは誰なのだ?」
「メル……?」
「我は悪魔メフィストメルネーゼ。この男の契約者なるぞ。その証したる指輪を見よ!」
なんだ?このメルの変わり具合は。出合った当初の大人びた態度に戻っている。そして俺はハタと気付く。そういえば、店長と少し話をした時も大人びた感じだった。初対面の人とでも割と普通に話してる気はするけど、実はこいつ、かなりの人見知りだ。おそらく、緊張時に大人びた口調になるのだろう。
まあ、この年齢だと知らない大人は確かに怖いだろう。そう思うと、俺はだいぶ信頼されてるってことか。
しかし、指輪を見た姉貴はすかさずスマホをいじりだす。
「幼女と結婚指輪か。やっぱ社会的に抹殺しといたほうが……」
「いやいやいやいや!最後まで話を聞けよ!!」
「まあいいや。んじゃ、帰るわ」
「は!?」
今までのことは何だったのかというくらい、唐突に出て行こうとする姉貴に少々面食らう。
「細かい事情はともかく、無理矢理ってわけでもなさそうだし、一応面倒見る努力はしてるようだしな。妙なことをしてるわけでもないようだし」
姉貴は部屋をぐるりと見渡し、散らかったプリキュングッズや、台所に置いてある調理器具や食器を見つめる。
今まで雨蘭を連れてきた時には見たことがない光景に、姉貴なりに何かを感じたのだろう。
「とりあえず、雨蘭やお袋たちには黙っといてやるよ」
「あ、ああ……。悪りぃ」
「それに、アタシが何かしなくても、もうじきすっ飛んでくるだろうしな」
「は?なんだよ、すっ飛んでくるって」
「じゃあな。あの娘によろしくな」
「お、おい、あの娘って……」
だが、姉貴は振り返りもせずに部屋から出て行った。
「なんなんだよ……。あの娘って何の……。あ!!」
だが、俺の中で猛烈に嫌な予感が走る。そうだ、こんな時に姉貴が連絡しそうな相手といえば……。しかも、今思えば、起き掛けに見た姉貴は、俺に向けてスマホをかざしていた。アレってもしかして……。
そして、嫌な予感は的中する。不意にドアが激しく叩かれると、外からけたたましい声が聞こえる。
「ちょっと陽太!いるんでしょ。開けなさい!!」
それはガキのころから聞きなれた、幼馴染『可憐』の声であった。




