その3
「お疲れさん。ん?どうした、もう帰り支度なんかして。シャワー使ってかねえのか?」
「あ……。いえ、今日はそんなに汗もかいてないですし、大丈夫っす。それに、ちょっと早く帰らないと……」
むろん、嘘である。タダ風呂は正直メチャクチャありがたいのだが、メルのことを考えるとなんだかのんびりもしていられない気がする。
「なんだよ。ホントにどうかしたのか?ははーん、さては……」
何を思ったのか、店長はニヤニヤしだした。
「早く帰りたいうえに、予定外の出費かぁ……。なんだよ、お前にもついに春が来たってことか」
「はい?」
「とぼけんじゃねえよ。気になる女どころか、そういうことかよ。なんだ?相手はやっぱ可憐ちゃんか?もしかして、もう同棲でも始めたのか?」
「は……、はぁ!?ばっ、馬鹿言わないでくださいよ。そんな女いませんし、それに俺と可憐は、そんなんじゃないっすから!だいたいアイツが男と……、いや、俺と付き合おうと考えるなんて、絶対あるわけないっすから」
ニヤニヤしながらもとんでもない誤解をする店長に、俺は大慌てで否定する。だいたい、こんな会話を可憐に知られたら、マジで半殺しにされるぞ。
「何言ってんだよ。お前まさか、ホントに気付いてないのか?」
店長は、なにやら俺を心底哀れむような目で見ている。
「なっ、なんすか?」
だがその時、俺は店の入り口辺りがざわついていることに気付いた。一応閉店したとはいえ、出演者の友人や出待ちをするファンがしばらくは店の前でたむろしているため、すぐに静かになるわけではないのだ。
「な、なんすかね?俺ちょっと見てきますよ。ケンかでもしてたらやばいですし」
これ幸いとばかりに、俺は店長の元を離れる。これ以上この話題を続け、メルのことでボロが出てはたまらないからだ。
しかし、入り口では騒動が起きているわけでもなかった。だが、なにか妙な空気だ。なんというか、たむろしている者が皆、どうしたらいいかわからないようにある一点を見ている。
「どうかしたんですか?」
さすがに店の前で何か起きていれば、知らん振りはできない。俺は何人かの間を抜け、店前に出る。
「お、お前、なにやってんだよ!」
そこには、少しばかり泣いていたのだろう。腫れぼったい目をして、パジャマ代わりに着せてやったTシャツと短パンに、ビーチサンダルを履いたメルの姿があった。
「ううっ……、ぐすっ……」
「おっ……、お前、なんでここにいるんだよ」
そもそも、この場所はメルには教えていないはずだ。それがなぜ……。
「あ、店員さん?いや、なんだかわかんないけど、気付いたらこの子が、泣きながら突然目の前に現れて……」
そうか、おそらく空間を繋げたのだ。いくらこんなご時勢でも、普通なら目の前で年端も行かない子供が泣いていたら、誰かが声をかけるだろう。周りには女性だっているのだ。
しかし、突如目の前に現れたメルを見て驚き、ましてそれが自分たちが見たこともないような美少女だったこともあり、誰も声をかけられなかったのだろう。
「い、いやー。すみません。こいつ妹なんです。お騒がせしました。じ、じゃあ、またお越しください!」
俺は大騒ぎになる前に、慌ててメルを店内へと引っ張り込んだのだった。
「ど、どうしたんだよ。なんかあったのか?」
「うう……、夜にひとりだとこわい。オバケでるかもしれないし……」
「はぁ!?」
悪魔のくせにお化けが怖いとか……。とことん拍子抜けするヤツだ、だが、人とか悪魔とか関係なく、年齢を考えれば無理もないのかもしれない。もっとも、本当に自称どおり1000歳を超えているのなら大問題だが。
「おい陽太、どうかしたのか。ん?その子……」
奥から出てきた店長は、メルの姿を見た途端にピタリと動きを止めた。
「あー、すんません。ちゃんと留守番してろって言ったのに、ついてきちゃったみたいで」
店長は相変わらずニヤニヤと笑ったまま……、いや、笑顔であることには違いないのだが、何かがおかしい。
そう、店長の笑顔はあきらかな引きつり笑いだったのだ。
「あー、陽太……」
「なんすか?」
「悪いけど、急にバイト要らなく……、あ、いや、ここんとこ経営が苦しくてな。人を雇う余裕がなくて、すまないが今日限りってことで……」
「え?いやいや!先月と今月、続けて『天空飛翔』が対バンやりましたし、結構出演者もお客さんも多くて、いつに無く儲かってたじゃないですか。俺だって多少経理にも関わってるんですから、それくらい知ってますよ!」
「あ、あー……。そうだっけか?いや、土地の大家が突然賃料の値上げを要求してきてな。それが法外な値段なんだよ。この先それじゃあ店をやっていけなくてな」
「いやいやいや!先々月に、3年間賃料変動無しの契約ができたって、大喜びしてたじゃないですか!」
「あ、あー、そうだっけか?……。そうそう、実はな、女房の経営する雑貨屋が不景気で倒産しそうでな。この店の機材を売っぱらって借金を返さなきゃならねえ。そうなりゃ、もう店を続けられねえかもしれないんだ」
「いやいやいやいや!奥さんの店はここんとこずっと業績好調で、先月車買い替えたって言ってたじゃないですか!」
「ちっ!よく覚えてやがんな。変態のくせに……」
「ちょっ……!今舌打ちしましたよね?それに、俺のこと変態っていいませんでした?さすがに聞き捨てなりませんよ」
「え?き、気のせいだろ?そんなこと言ってないぜ?」
「ちょっと店長、いったいどうしたんすか?なんか特別な事情ができたって言うんなら、はっきり言ってください。それによっちゃあ、俺も迷惑をかけるつもりもありませんし」
どうにも煮え切らない店長の妙な態度に、俺は単刀直入に尋ねる。もしかしたら店長は、以前から店を畳もうと前考えていて、ついに決断したのかもしれない。
もしそうなら残念だが、恩あるこの人に無理をさせるわけにはいかない。すっぱり諦め他の仕事を探そうと思った時だった。
「ま、まあその……、なんだ……」
だが、返ってきた言葉は意外なものだった。
「人の趣味をとやかくは言わんよ、それがお互いに合意のうえならな。お前が可憐ちゃんに手を出さないのも理解できたし……」
「は?なんで可憐……?」
「だがな、さすがにそれはマズイっつーか、ぶっちゃけこの店から犯罪者を出すのはなぁ。やっぱイメージも大切な商売だし……」
そう言いながらも、店長はメルをチラチラと見る。まさか……。
「いやな、お前が捕まった時に、そんな形で有名になるのはな。さすがにこの店の従業員が、犯罪者だったっつーのは世間体がな……」
「ちょっと、違いますって!!」
やはりというか、思ったとおりの誤解をされていた。と言うか、なぜ皆、揃いも揃って俺をロリコン犯罪者のような目で見るのか。俺ってそんなにやらかしそうな見た目なのか?
だが、今はそんなことはどうでもいい。いや、どうでもよくはないが、差し当たりは誤解を解くほうが先だ。俺は慌ててメルのことを説明する。
「妹だぁ!?」
ま、当然信じてはくれないだろう。だが、もはや何が何でもそれで押し通すしかないのだ。
「と、とにかく複雑な家庭の事情があってですね、血は半分しか繋がってないんですけど、俺の妹なんですから!」
「ま、まあ、そういう事情ならなぁ……」
未だ疑いのまなざしで見つめる店長へ、強引に説明を済ませる。もはやこの設定は後戻りできないのだ。
「こ、子供に夜更かしも良くないですし、今日は上がらせてもらいますね。よし、帰るぞ妹よ!」
有無を言わさず捲くし立て、この場を立ち去ろうとした俺だったが、最後にやはりというか、お約束が待っていた。
「だから妹ではないと言っておるだろうが。我はお前の契約者なるぞ」
そう言ってメルは、左手薬指の指輪を見せる。
「……。なあ陽太……」
「……。はい。なんでしょう……」
「…………。やっぱ、辞めてくれるか?」
「…………。ですよね!?」
☆ ☆ ☆
「まったく、大人しく待ってろって言ったじゃねえか。おかげでホントにクビになるとこだったんだぞ」
「うう……。だって、夜こわいし……」
「幽霊からしたら、悪魔のお前のがよっぽど怖いと思うんだがなぁ」
「そっ、そんなことないもん!おばけはくらがりからとつぜん出てくるんだよ!」
「お前だって、暗がりから突然現れただろ……」
俺の手を握りながら歩くメルは、いつになくオドオドしている。まあ、年齢的に仕方ないとしても、このままではバイトに行くのにも支障が出る。
「つーか、お前眠くないのか?」
「へいき」
「そっか……」
この時間でも起きていられるメルを見て、俺は突拍子もないことを考える。そもそも、最初に出会ったのもバイト終わりの時間だ。ならば、可能かもしれない。
「とは言っても、OKしてくれるかどうかだけどなぁ」
「なに?なにが!?」
「だーっ、夜中なんだから静かにしろ。ちょっと考えてることがあるんだよ。それよりも、ちゃんと歯ぁ磨いたのか?」
「うん」
「勝手にお菓子食べたり、ジュース飲んだりしてないだろうな?」
「うん」
「部屋で騒いだり、散らかしたりしてないだろうな?」
「うん!」
少しばかり落ち着いてきたのか、元気に返事をするメルだった。
「よし、いい子にしてたご褒美に、コンビニでお菓子買ってくか」
「ホントに!?やったぁ」
「ただし、食うのは明日になってからだぞ」
俺はご機嫌なメルの手を握りながら、アパートへと向かう。だが、この後に起こる悲劇をまだ俺は知らなかったのだ。部屋の扉を開けた瞬間、部屋の中に散らばる読みかけの漫画や、お菓子の空き袋の残骸の山を見ることに……。




