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その2

「すいませーん。ボーカルの低音もう少しくださーい。あと、何かヌケが悪い気がするんすけどぉ」

「了解でーす。これでどうですかー」


 オペレーションを任されていた俺は、ステージに立つバンドからの声に、デジタルミキサーのボーカルマイクが入力されたチャンネルのイコライザーを弄る。知っている人も多いと思うが、イコライザーとは簡単に言えば音質を調整する機能だ。

 余談だが、このライブハウスのメインスピーカーには、『グラフィックイコライザー』という操作できる周波数帯があらかじめ決まったものを噛ませ、ハウリング防止などの大まかな調整がされている。

 かたや各チャンネルに付いているのは『パラメトリックイコライザー』と言い、一度に操作できる周波数帯の数は少ない代わりに、無段階で調整可能だ。各フェーダーごとに、ボーカルや個々の楽器を色付けするための機能と思ってもらえればいいだろう。

 まあ、基本的に多くの周波数を変えまくっても、かえって音質に良いことは無いし、よく考えられた機能だとも思う。

 

「ん?」


 しかし、何だろう。割と設定を弄っているはずなのだが、全く音質が変わる気配がない。

 

「すみませーん。これでどうですかぁ」


 少々疑問を感じながらも、ボーカルに声をかける。

 

「うーん。もうちょいヌケるといいっすねー」

「了解でーす」


 言われるがままに、俺は試しに結構ガッツリと中高域の周波数帯を上げる。正直ちょっとやりすぎなくらいだが、やっぱり音質が変わる気配がない。

 

「オッケーでーす。ありがとうございまーす」


 だが、俺が確認するより早くボーカルよりオーケーが出た。まあ、俺より耳の良い人かもしれないし、本人がオッケーって言うんだからいいだろう。

 ボーカルのマイクチェックも終わり、すでに他のパートの音チェックを終えていたバンドは全体の音合わせを始め、ライブは始まったのだったが……。

 

「やっべ……」


 あることに気付いた俺の額から、冷汗が出る。そう、音など変わるはずが無い。俺が弄っていたのは、隣のギターアンプの音を取っているマイクのチャンネルだったのだから。

 すでにギターの音調整は終わっているし、その場限りのことだから当然設定も保存などしていない。ギタリストと観客が気付かないことを祈りつつ、何とかうろ覚えの最初のイコライジング設定にゆっくりと戻す。それはもう牛歩戦術のように、誰にも変化を気付かれないようにジリジリと。

 幸いなことに誰にも気付かれることなく、ライブは終了した。と、思っていたのだったが……。


 ☆ ☆ ☆


「おいおい、しっかりしてくれよ」

「…………。すいません」


 気付けば、俺の後ろには険しい顔をして腕組みをした店長が立っていた。若い頃はミュージシャンを目指し、夢破れてこのライブハウスを立ち上げるまでは、音響会社に勤めていた経験も持つ人である。当然のごとく耳は肥えているし、俺のライブ時に時々音楽関係者に声をかけてくれるのも、この伝手を活かしてである。

 拙いとはいえ俺のPA技術は、店長直々に教わっているのだ。俺の失敗は店の評判を落とすだけでなく、下手をすれば店長の指導技術にも疑問を持たれ、顔に泥を塗ってしまうことにもなりかねない。

 

「まったく、気付かなかったから良いってもんじゃねえぞ。これはウチと出演者、ひいてはお客さんとの信頼関係の問題なんだからな」

「はい、すいませんでした……」

「…………。くくっ……」


 だが、険しい顔つきをしていた店長は、突如として体を振るわせ笑いだした。

 

「ぶはっ。うはははははは」

「て、店長?」

「ははは。いや~、久々にそのベタなミスを見たぜ。卓オペでそのミスをやらかさないヤツなんて、世界中にいねぇんじゃねえか?俺だって何度やらかしたか」

「そ、そうなんすか?」

「ああ、長年現場やってて、特に数十チャンネルも扱うような場合だと、絶対間違いは起きるさ。しかも、レコーディングスタジオじゃねえんだ。雑多なハコの中じゃ、そんな繊細な音の違いなんて、下手すりゃプロのミュージシャンでも気付かないことだってあるさ。特にアマチュアバンドの場合、やたらに音を弄りたがる奴が多すぎんだよ。結果音が悪くなってるのにも気付かずにな。そういったヤツに安心感を与えるために、いじったフリをするのもテクニックの一つさ。たいてい弄ったフリして2回も聞き返しゃ、オッケーが出るしな」」

「な、なるほど、確かに……」


 確かに店長のいうとおりだ。アマチュアミュージシャンというのは、少々大げさだがそのステージごとが、一世一代の晴れ舞台なのである。かたやプロミュージシャンは、年間に何百とステージをこなすのが仕事である。一つ一つのステージ設定に延々と時間をかけてなどいられない。決まった形さえ出来ていれば、その場でとやかく言うことは少ない。

 当然ワンステージにかける手間隙や熱量は違ってくる。もちろんプロが手を抜いているというわけではなく、『慣れている』という意味だが。

 さして多くないとはいえ、店長の紹介で小屋の雑用仕事で入ったときもそうだった。プロは決まった時間内に必要最小限のチェックしかしない人が多いが、アマチュアだとそうは行かない。やたらと機材を持ち込んだり、音にこだわり、なにがなんでも自分の機材を使おうとする人もいる。

 もちろん、最高のステージにしたいという考えはわかるのだが、もっとも困るのが明らかにノイズの原因になるような民生機の持ち込みである。

 業務用機器というのは、別に高価だからプロ用というわけではない。プロ用の機器よりも高い民生機というものはいくらでも存在する。

 では何が違うかと言えば、定番として選ばれる商品の特徴としては、簡単に言えば耐久性、商品ごとの個体差の少なさ、そしてノイズへの対策である。

 第一に耐久性だが、これは言うに及ばず、業務用機材は野外や長距離の輸送など過酷な状況で使用されることも多い。長期間に渡り故障せず安定した品質を保つことが重要ということは、当然わかってもらえるだろう。

 第二に個体差の少なさだが、例に挙げれば、同じ『マイク』や『スピーカー』というカテゴリーでも、メーカーやさらには商品によっても音の味付けに随分と違いがあるのである。『このマイク、スピーカーはこういう音』というのがわかっていれば、会場ごとに違う音響特性でも、自分のイメージする音が短時間で作りやすいのである。多数の同型機材を使う場合に、そもそも音質のばらつきがあっては話にならない。商売である以上、無駄な労力をかけずに短時間でセッティングを終えることは重要だ。

 だが、もっとも難しいのは第三の持込機材である。アマチュアはどうしても、『普段と同じ音』を出したいがために、自分の機材を使いたがる人が多い。だが、それがPAとしてはもっとも困ることなのだ。

 

「そのマイクはいくらするんだい?なに、一万円?ハハハ、駄目だ駄目だ。そんな安物のマイクじゃ歌えんよ。プロと言っても案外安物を使っているんだな。それよりもコレを使いなさい。三万円も出して買った高級品だよ。普段から使ってるが、これは最高だよ」


 そんなことを言いながらカラオケ発表会の現場で、随分昔に買った金や銀に光り輝くケーブル一体式のマイクを差し出してくるおじさんがいる。

 確かに値段はそこそこするし、いいマイクなのかもしれない。しかし、明らかに音質に妙な味付けがされていたり、業務用機器の入力端子と違っているうえに接続抵抗も合っていなかったり、ノイズ対策がされていなかったりするのである。

 小屋では普段のカラオケボックスや公民館のステージと違い、何百ワットやそれこそ千ワットという、普段の何倍にも増幅された音にするのだ。いつもは気付かない微細なノイズもとてつもなく増幅されるし、きちんとチェックしたシステムに異物が入ることにより、全体のバランスが崩れるのだ。

 もっとも、そこは仕事を請け負う身。心では泣きながらも、そのマイクを受け取るのだが……。

 

「次から気ぃ付けな。ま、一度失敗すりゃ当分は大丈夫さ。つっても、長くやってりゃ、何回かはやらかすんだけどな」

「はい。気をつけます」


 俺は店長が怒っていないことにホッとしつつも、店長の言った『信頼関係』という言葉をかみ締めていた。確かにそうだろう。俺が出演する側だった時に、PAがそんなミスをしたらどう思うか。もしも音楽事務所のスカウトが来ている時だったら、もしも人生を賭け、大切な人を呼んでいる時だったとしたら……。

 そうだ、お客さんからしたら、一世一代の晴れ舞台かもしれないのだ。

 

「それより、なんか心配事でもあんのか?」

「え?」

「いや、なんか心ここにあらずって感じだからよ」

「い、いや、そんなことは……」


 正直意外だった。何だかんだ言いながらも、周りが気付くくらいにはメルのことが気になっていたのかもしれない。もちろん、愛しくて仕方ないとかではなく、単に一人で留守番ができているのか、何かやらかしていないかという不安からくるものなのだが……。

 

「どうした?ついに気になる女ができて、夜も眠れないってとこか?」

「ちっ、違いますよ。ま、まあその、予定外の出費が続いて、ちょっと生活に不安と言うか……」

「なんだよ、つまんねえな。ま、金なんて天下の回り物だ。健康で働けりゃ何とかなるさ。さて、この後の掃除もあるし、しっかり働いてきな」

「はい、了解っす」

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