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Part Time Job Blues お仕事はつらいよ? その1

「あっ、こら!ニンジン残すんじゃねーよ。野菜もちゃんと食べないとダメだろ」

「う……。だって、ニンジンおいしくないし……」

「お前なぁ……。めっちゃ小さく切ってやってるうえに、かなり煮込んで柔らかくしてんだぞ。それにカレーなんだから、そんなにニンジンの味は目立たないだろ」

「うう……。でっ、でも……」

「でもじゃねーよ。ちゃんと食わないと、ママに言いつけるぞ」

「ダッ、ダメ!ちゃんとたべるから。ママに言っちゃダメぇ!」


 最後の言葉が効いたのか、メルは観念したように目を瞑ると、ニンジンを口に運ぶ。そのまま少しばかり躊躇していたが、やがてもしゃもしゃと口を動かすと、ゴクリと飲み込んだ。悪魔といえども、母親に叱られるのは怖いのだろうか。

 だが、知能的には人間の幼児と変わらない……、いや、同じくらいの年齢の子供を思うと、少々お馬鹿さんのようだ。最初に頭の良い子かもと思ったのは、何かの間違いかもしれない。普通に考えれば、俺が見も知らぬメルの母親に告げ口できるわけがないのに……。

 

 あれから数日間は、何事もなく過ぎていった。

 まあ、相変わらず目が覚めると全裸でしがみついているメルを見るのが、何事もないと判断するかどうかなのだが……。

 そのほかに大きく変わったのは、部屋に流れる音楽の中心がロバート・ジョンソンから、プリキュンのサントラになったことだ。あとは床に散らばる雑誌が、健康的なお姉さんの肌が露出した女体の芸術作品集……、まあ、強いて簡潔な表現をすれば『エロ本』から、これまたプリキュンが特集された少女向け漫画雑誌になったことだろうか。エロ本の趣味からも、俺が決してロリコンでないことはわかってもらえるだろう。

 とはいえ、心配していたように警察官が突如部屋に踏み込んでくるようなこともなかったし、行方不明の幼女の捜索に来ることもなかった。

 ついでにメルと住人達が顔を合わせることもなかったし、最も心配……、いや、恐れていた姉貴達が尋ねてくることもなかった。

 まあ、これについてはいずれ向き合わねばならない問題なのだが……

 そもそも、こんな超が付くボロアパートに住んでる住人は大家の爺さんのほか、隣の部屋のオタク風の冴えない大学生と、二階に住む70歳を過ぎたくらいの婆さん。その隣に住む中年の女性くらいだ。

 学生とは歳が近いこともあり話をすることはあるが、基本的にそれほど交流は無い。大家と婆さんは毎日連れ立ってパチンコ通いであまり家に居ないし、女性にいたっては水商売なのだろう。夕方から派手な化粧をして出かけて行くし、アパートに戻ってこない日も多い。

 まあ、歳が近いとか子供同士が仲がいいとかでもないかぎり、アパートの近所付き合いなんてそんなもんだろう。

 おまけに、今が夏休み期間中というのも幸いした。まあ、普通に考えれば不自然だが、それでも妹が夏休みに遊びに来ているという言い訳にはなるだろうし、こいつの学校はどうするんだ?って悩みも先延ばしに出来る。

 

「おお、偉い偉い。ちゃんと食えたな。じゃあ、今度はサラダのトマトだな」

「うう……。トマトすっぱい……」


 渋い顔をしながらも、メルはプチトマトを飲み込む。親の教育が良いのか、嫌々ながらもわりと素直に食べている。いや、悪魔の教育が良いって、自分で言ってて意味がわからないけど。

 メルと暮らし始めてから、俺は見よう見まねで料理をするようになった。幸いにというか、一人暮らしをする時に台所用品は押し付けられて……、いや、持たされている。収納スペースの中で埃を被っていたそれらが、ようやく日の目を見ることとなったのだった。

 さすがに息子の健康を心配し、親が買ってくれたのか……というわけではない。これらの台所用品は実家で余っていた中古品、正確には、姉貴が離婚する際に分捕って……、じゃなくて、円満(・・)な話し合いの末に引き取ったものである。 

『あ!?別に要らねーけど、もったいないから持ってきたんだよ。まあ、見てるとあいつを思い出して腹立つから、お前にやるよ』

 

 元旦那さんに同情した俺は、こっそり返しに行こうかとも思ったのだが、バレた場合に起こり得る惨劇を考えてやめておいた。

 そんなわけで、半ば強制的に持たせられたそれらは、今は俺のアパートにあるというわけだ。

 まあ、由来はともかく、道具というのは使われてなんぼだしな。

 もっとも、俺の料理はせいぜい煮る、焼く、茹でる程度しかできない。新婚時に奮発して買ったであろう調理器具に燦然と輝く、有名なブランドロゴに申し訳ない気もするが……。

 

「ぷはーっ……、たべおわったよ!おやつは?」

「ったく、しょうがねえな。じゃあご褒美だ」

「わ~い!プリンだ」

 

 とはいえ、ムチばかりではいけない。毎日というわけには行かないが、時にはアメも必要だろう。スーパーのバーゲンで3個98円で売られていたプリンを差し出すと、メルは嬉々とした表情で食べ始める。

 思えば、初めて人間界に現れた時は緊張していたのだろう。この数日で、初めの頃の妙に大人びた口調はかなり影を潜め、本来の子供らしい態度が多く見られるようになった。

 

「どれ……。うん、懐かしい味だな」


 そのプリンは、俺がガキの頃よりも、遥か昔から売っているはずのものだ。今時流行りの、なめらかなんちゃらとか洒落たものではなく、妙に甘ったるい、卵に砂糖をぶち込んだような味だ。けれど、ガキの頃は喜んで食ったものだ。

 

「ん……?」


 ふと見ると、メルが心配そうにこちらを見つめている。

 

「心配すんなって、最後の1個はちゃんとお前にやるから」


 図星だったのだろう、露骨にホッとした表情を見せるメルだった。しかし、いつまでも、のほほんとしたこんな状況が続くわけではない。

 いったいどれだけメルと暮らさなければならないのかわからないが、少なくとも生活する以上は先立つものが要るのだ。そして、今日はその先立つものを稼ぎにいく日……。つまり、ライブハウスでのバイトがあるのだ。

 

「いいか。何度も言うけど、俺がバイトに行ってる間はちゃんと鍵かけて、誰か来てもドアを開けるんじゃねえぞ。それなりに田舎とはいえ、悪い人間だっているんだからな。それから、勝手にお菓子とか食べるんじゃないぞ。暗くなったら早めに寝ろよ」

「う……、わかってるよ。でっ、でも、コーラは?少しならのんでもいい?」

「まあ、晩飯食った後に一杯だけならな。でも寝る前は駄目だぞ。あと、ちゃんと歯ぁ磨けよ」

「プリキュンは?プリキュンの本はみててもいい?」


 幼児の娯楽など何もない部屋に置いておくのも可哀想かと思い、先日買ってやったプリキュンの本を抱えてメルは尋ねる。

 

「夜更かししなきゃな。それと、ちゃんと歯ぁ磨いてからだぞ」

「うん!わかった」

「返事はいいんだけどな。ホントに大丈夫かよ……」

 

 そんなわけで、多大な不安を残しながらも、俺はバイトへと出かけたのだった。

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