第6話 おでんの汁は顔にかかったらとても熱い
グリーゼ七二五までの航行は、拍子抜けするほど平穏だった。
理仁亜は自室へ例の宇宙トラック模型を飾り、ミラリィは田楽味噌を勝手に舐めて哲人に叱られた。
哲人は一日一度、地球班と定時連絡を行った。
億代から送られた航行計画は妙に細かく、推奨巡航出力から食料消費量、到着前に使い切るべき野菜まで書かれていた。
おかげで到着日の朝食は、少し萎びかけた小松菜を総動員した煮浸しになった。
そして、安全運転の末。
三日後、グリーゼ七二五へ到着した。
赤い恒星の光が、蒟蒻号の外殻を鈍く照らす。
周辺には惑星も小惑星帯も存在する。
だが、ジョーンズがわざわざもう一度来る理由になるものは、何一つ見当たらなかった。
『通常走査、終了。人工構造物なし。航行中の船舶なし。救難信号なし……か』
「だーれも居らんのヨ、ローグ居ったらしばいて遊べたのにヨ……(ブラブラ)」
『こら、これ以上邪魔臭い事を引き寄せるような事はいうんじゃない』
「サーセン、にょほほw」
「ン……本当に何もない所……だね……」
「でも、水だけは困らんのヨ!」
ミラリィの髪が何本か操縦卓へ接続され、各種センサーの結果を並べていた。
「博士の船の残留航跡は、確かに……ここで途切れています」
理仁亜は航跡図を拡大した。
星系へ入った記録はある。
出た記録はない。
それなのに、船も、破片も、遺留品もない。
哲人たちは範囲を変え、感度を変え、角度を変えて調べた。
結果は同じだった。
何もない。
三日目の夕方。
哲人は食堂で、冷蔵庫の余り物を煮込んでいた。
大根、牛すじ、卵、厚揚げ。
そして、蒟蒻。
「ニョホホ! 旅団共食いなのヨ!」
『田楽ではなく、おでんだよ』
「ン……でも、田楽の晩御飯に、蒟蒻……」
『気にしたら負けだ』
食卓の通信画面には地球班も映っていた。
あちらは昼休みらしく、億代が人数分の弁当を配っている。
「あにさま」
ユリエルは箸を置いた。
「発想を変えませんか?」
『む?』
「グリーゼ七二五に何があるかではなく――何もないグリーゼ七二五へ、おじいちゃんはなぜ来たのか」
哲人は鍋をかき混ぜる手を止めた。
あるものを探して、何も見つからない。
ならば、来た者の側を調べる。
『なるほど。ではセンセイは、ここへ来る前に何を見たのだろう?』
「研究記録を最初から洗い直します。最近の発掘品、閲覧履歴、通信、個人メモ。おじいちゃんが何を考えていたか、行動から辿ってみます」
「私たちも手伝いますよ。教授の生態調査なら、十年分の経験がありますから」
約呼が笑った。
宇宙生物学者ユリエルによる、地球原産の珍獣ジョーンズの生態調査が始まった。
* * *
翌日。
「ありました! あにさま、出てきましたよ!」
定時通信を待たず、ユリエルから緊急連絡が入った。
画面の向こうで、彼女は埃まみれになっていた。
「ニョホホw ユリっぺ埃まむしなんヨw」
「二か月半前に発掘品の搬入がありました。他の遺物の保存状態があまりに良かったので、おじいちゃんはそちらへ夢中になっていたんです。でも、その中に一つだけ、意味の分からない碑文が混じっていました」
カメラが横へ動く。
研究室の床に、黒い石板が横たわっていた。
「倉庫の奥へ放り込まれていました。受領記録には教授の署名があります」
約呼が石板の前へしゃがみ込んでいる。
蔵智が照明を調整し、貴将が多波長撮影の像を端末へ取り込んでいた。
「おじいちゃん、出発直前に倉庫へ入ってる。この碑文を思い出して、確認したんじゃないかな?」
『これは何と?』
「少し待ってください。古い上に、複数の文字体系が混ざっています」
『そういう事なら君の出番だね』
「ヤコ、【ください】【コンバート】なのヨ!w」
約呼は拓本像と過去の語彙資料を並べた。
一字ずつ音価を取り、欠けた部分を前後から補い、同じ記号でも用法が違う箇所を切り分ける。
古代人の言葉が、長い時間を越えて現代の問題文へ変わっていく。
数時間後。
約呼は顔を上げた。
「解読完了です!」
全員が画面を見る。
「『光と闇が交わりしとき、虚空への門が開く』――そう書かれています」
「にょほほ。ふわふわ時間なのヨw」
『確かに。それだけでは晩飯の献立にもならんな』
「私の仕事は、何と書いてあるかを確定するところまでです。何を意味するかは――」
約呼が隣を見た。
「貴将くん、お願いします」
「承知しました」
貴将は嬉しそうに頷き、それから約呼に見られていることへ気付き、少しだけ姿勢を正した。
「小生の見解ですが、これは純粋な宗教表現ではないと思われます。先日、ホゥシエル女史から得た情報が事実なら、彼らは恒星間航行を実現していた。ならば『光』『闇』『虚空への門』は、古代人の語彙で表された物理現象かもしれません」
『というと?』
「光は通常空間側から観測可能な波。闇は、観測系と逆位相にある波、あるいは通常空間外へ沈んだ状態。両者が交わるとは、位相境界への干渉を指す可能性があります」
貴将の端末に、グリーゼ七二五の観測記録が次々と展開された。
「蒟蒻号から届いた生データを再処理します。通常ならノイズとして除外する範囲も、今度は残してください」
「ラジョッ!」
ミラリィが観測系のフィルターを外す。
色彩豊かな波形が画面を埋め尽くした。
一時間。
二時間。
赤色矮星の放射、惑星磁気圏の乱れ、遠方天体の重力波。
無数の雑音の中を、貴将は泳いだ。
やがて。
「こ↑こ↓! 止めてください」
一見何もない座標の一点を、貴将が拡大した。
「ここです」
『何も見えんが』
「正確には、何も見えなさすぎます。周辺の重力波が、この領域だけ僅かに欠けている。完全な空白ではありません。入射した波が、ごく微量ですが異なる位相へ逃げています」
条件を変えて再走査する。
今度は哲人にも分かった。
空間の一点が、呼吸するように揺らいでいる。
「仮説通りなら、何もないのではありません。何かが、通常空間から観測できない状態になっています」
「おじいちゃんは、碑文を読んでこれに気付いた……」
「にょおお! アレだけで何で分かんのヨ!?」
「それが教授っていう生き物だよ、ミラリィちゃん!」
「あのハゲェ……ゆ゛る゛さ゛ん゛のヨ!」
『では、どうすれば?』
「特性を反転させた重力波を当て、位相の境界を一時的に拡張します。必要な波形は計算できます。ただ、蒟蒻号の通常観測機器では出力が足りません」
全員の視線が、蔵智へ集まった。
「ん~? 主砲、借りていい~?」
『嫌な予感がする聞き方だな、蔵智君』
「大丈夫~。壊さないから~。たぶん~?」
『最後の一言を撤回したまえ』
蔵智は、蒟蒻号の主砲制御系を地球から呼び出した。
「新しく発振器を作るより、主砲の重力波発生器を使ったほうが早いね~。貴将くんの波形を撃てるように、制御パッチを組むよ~」
『主砲の重力波を拡張するという事かね』
「exactry(その通りだよ)~」
『テストはどうするね?』
「そんな暇は~ないよ~。にゅふふん♡」
「ニョホホ! 蛮族観測なのヨ!」
「失敬な~。理系だよ~」
そこから先は速かった。
貴将が必要波形を算出する。
蔵智が主砲制御へ落とし込む。
ミラリィが有子と共に地球側の作業環境を接続する。
理仁亜は哲人と共に主砲系統を目視点検した。
そして蔵智の横で、億代が無言のまま計算を続けていた。
「蔵智」
「ん~?」
「最大出力は七十二パーセントまで。現状の冷却能力では、連続照射が八・二秒を超えると主砲基部が許容温度を越える」
「じゃあ~、七秒~」
「然り。発射前に居住区画の不要電力を落とす。機関負荷を均すため、姿勢制御は補助スラスターへ回す。発射後の通常航行復帰まで十一分。冷却材と補修材の在庫にも問題なし」
『船体への影響は?』
「この条件ならば実行可能。航行にも支障は出ぬ」
億代が断言した。
派手な発見も、奇抜な改造もしていない。
ただ、何も壊れないようにした。
それが彼の仕事だった。
* * *
蒟蒻号の船首が、虚空へ向く。
主砲の照準先には、何もない。
星も、船も、遺跡もない。
ただ黒い宇宙が広がっている。
「波形固定。誤差、許容範囲内」
地球から貴将の声。
「制御パッチ正常~。いつでもいけるよ~」
「船体、機関、冷却、全系統問題なし。射撃後の復旧手順も確認済み」
「宙風消滅の推定座標範囲とも一致しています」
約呼が最後の照合を終える。
「あにさま」
ユリエルが呼んだ。
「お願いします」
『承知した』
哲人は主砲発射承認へ手を置いた。
隣で理仁亜が安全装置を解除する。
ミラリィの五色の髪が、艦内の各系統へ根を張るように接続されていた。
「Gエクスパンションウェーブ、発射準備完了なのヨ!」
『三、二、一――撃て!』
「アツアツおでんビーム、ファイアなのヨ!」
「ンン……ッ!? お、おでん……?(ビクッ♡)」
『コラ、レガシー熱湯芸みたくいうんじゃない!』
「にょほほ……w」
蒟蒻号の主砲が、光ではない波を放った。
音もない。
閃光もない。
だが、虚空の星々が水面へ映った灯のように揺れた。
「照射三秒。空間ゆらぎ、増大!」
「五秒~。位相境界、捕まえたよ~!」
「七秒。停止せよ!」
『照射停止!』
主砲が沈黙する。
しかし、空間の揺らぎは止まらなかった。
黒い宇宙へ、細い光の亀裂が走る。
亀裂は円を描き、上下へ、左右へ広がっていく。
何もなかった場所から、巨大な輪郭が滲み出した。
環状の外郭。
そこから伸びる幾本もの塔。
幾何学模様とも文字ともつかない光が、黒い装甲を走っている。
蒟蒻号など、傍らへ置けば木の葉にしか見えぬ。
星系の闇へ沈められていた巨大構造物が、数えきれぬ時を越えて姿を現す。
誰も、すぐには言葉を発せなかった。
最初に沈黙を破ったのはミラリィだった。
「にょおおおおお……なんじゃこりゃあああなのヨ!(;゜Д゜)(ビクッ♡)」
いつもの笑い声ではない。
純粋な驚嘆だった。
「空間構造、安定しました。推定直径――計測中。これは……」
貴将の声も震えていた。
「宇宙ステーションです! 信じられない、ほぼ完ぺきな状態ですね……」
古代宇宙ステーション。
おとぎばなしの中で星を渡った文明が、本当にここにいた。
哲人は、窓一杯に広がる遺構を見上げた。
『なんと……センセイは、これを見つけたのか?』
「たぶん……」
ユリエルが答える。
「そして、中へ入ったのかもしれません」
『一体どうやって……。いや、今はそんな事を言ってる場合ではないな……』
ステーションから通信はない。
灯っているように見える光が、今も機能しているのかも分からない。
誰が造ったのか。
何のための施設なのか。
どうして通常空間から隠されていたのか。
ジョーンズは中にいるのか。
そして、久松の失踪と何の関係があるのか。
何もないグリーゼ七二五へ、ジョーンズはなぜ来たのか。
その問いには答えが出た。
代わりに、もっと大きな問いが星の海へ現れた。
――この古代宇宙ステーションは、何なのだ?
『旅団田楽、初仕事から随分と大物を引き当てたものだな』
「ニョホホ……。田楽だけに、お味噌がついたのヨ」
『それを言うなら箔だ』
「ン……晩御飯、田楽に……しますか?」
『食う話ばかりだね、君たちは』
「もうっ! あにさま、真面目にやってください!(プンスコ♡)」
『おやおや、私のせいかね』
地球側から、堪えきれない笑い声が漏れた。
巨大な古代遺構を前にしても、腹は減る。
旅団が増えても、仲間が増えても、そこは変わらない。
妙に所帯じみた新生旅団は、銀河の歴史へ開いたばかりの門の前で、まず今夜の献立を考え始めた。
なお、古代宇宙ステーションの入口は、まだ見つかっていない。




