第12話 大型わんこに、新しい居場所を
人の消えた《星天通り商店街》は、別の場所のように静かだった。
純喫茶の窓際では、年中狂い咲く桜が淡い照明を受けている。
散った花びらの間を、《ルンとしてピカット♪》が低い音を立てて這っていた。
ウィーン……。
哲人は湯を沸かし、二人分の紅茶を淹れた。
『座りたまえ』
「ああ」
霞野譲治はカップへ手を伸ばしたが、口をつけなかった。
いつもの人懐こい笑みはない。
『九津木君の事かね』
「……分かっちまうか、さすがあにき」
『君がそんな顔で残る理由は、他に思いつかぬな』
譲治はしばらく黙り、窓の外へ目をやった。
「あにきが辞めてから、九年……あいつはその間もずっと頑張ってきた」
『うむ』
「訓練をサボったことは一度もねえ。雑用だって進んでやる。誰かが困ってりゃ、自分が転ぶのも構わず突っ込んでいく」
その結果、別の何かへ突っ込み、仕事を増やすことはある。
それでもコラーダの善意そのものを疑う隊員はいなかった。
「あいつの周りで起きることが、一体何なのかサッパリ分からねえ。運が悪いだけだって言われりゃ、それまでだ」
宇宙猛獣の檻が、偶然開く。
航路標識が、偶然誤作動する。
点検を終えたばかりの機械が、偶然止まる。
通常なら一生に一度あるかどうかの出来事が、コラーダの周りでは何度も起きた。
「最初は笑い話で済んだんだ……でも、だんだん規模が大きくなってる。前の任務じゃ、格納中の無人支援機が勝手に起動して、危うく燃料庫へ突っ込むところだった」
『負傷者は?』
「いねえ。あいつ自身が真っ先に気づいて止めた。両腕を折ってな」
哲人は何も言わなかった。
「それでも次の日には、治療区画で訓練メニューを見直してやがったよ。自分がもっと上手くやれば、誰にも迷惑かけなかったはずだって」
譲治の指が、カップの取っ手を強く握る。
「俺たちは、あいつを見捨てたくなかった。今だって見捨てるつもりはねえ。出来る限り配置を工夫した。専用の支援機も回した。危険物から遠ざけて、二重三重に点検して……それでも、部隊で抱え続けるには限界がある」
その言葉を口にするまで、どれほど考えたのだろう。
幼い頃、両親に命を守られた譲治である。
仲間を切り捨てるという判断を、軽々しく下せる男ではない。
だから哲人は急かさなかった。
「不思議なんだ。あにきが居た頃は、あいつはただドンくさいだけだった。今日みてぇに、腹から海へダイブする程度だったんだ」
『本人にとっては十分な災難だがね』
「あいつ基準じゃ凪だよ」
譲治が初めて、ほんの少し笑った。
だがすぐに表情を引き締め、真正面から哲人を見る。
「あにき。頼む」
深く頭を下げる。
「九津木を、団員にしてやってくれないか」
言葉だけを聞けば、厄介払いにも聞こえる。
だが哲人には、その一言へ至るまで彼らが費やした九年が見えた。
失敗を笑い、庇い、叱り、何度でも同じ食卓へ座らせた九年だ。
『譲治』
「……ああ」
『よく、ここまであの子を支えてくれた』
譲治は顔を上げた。
『私が去った後も、諸君があの子を仲間として扱い続けてくれたこと、心から感謝する』
「あにき……」
『後は私に任せたまえ』
「じゃあ――」
『本人が望むなら、私が引き受ける』
譲治の肩から、目に見えぬ重石が落ちた。
「ありがとう、あにき」
『なぁに。突然去ったのは私だ。礼を言わねばならぬのはこちらの方さ』
冷めかけた紅茶を、譲治はようやく一口飲んだ。
「へへっ、ぬるくてしょっぺぇ……」
『フフッ、もう一杯淹れてやろう』
「やっぱあにきはスゲェや(*´Д`)」
* * *
譲治をスペースクロウラーへ見送った後、哲人はコラーダを探した。
部屋にも、町中華にも、温泉にもいない。
有子へ訊ねると、彼女はSummer Sectionに残っているという。
人工の夜が降り始めた田園を、哲人は一人で歩いた。
稲の間を風が渡る。
水路には夕焼けの名残が細長く映り、その向こうから潮の匂いが届く。
海岸に、おなごが一人座っていた。
豊かな赤毛が、海風に揺れている。
『隣、よいかね』
「た、隊長!?」
コラーダは慌てて立とうとし、砂へ足を取られた。
「あぅっ」
哲人が腕を掴む。
『座ったままでよい』
「かたじけないでござる……」
二人は並んで海を見た。
波が寄せ、白い泡を残して引いていく。
『随分気に入ったようだな』
「はい。せっしゃの実家の近くに、少し似ているのでござる」
『確か……出雲だったか』
「海と田んぼと、少し行けば山があって。ここほど立派ではない小さな村でござるが……風の匂いまで、何となく」
懐かしそうに笑った後、コラーダは膝を抱えた。
「故郷を出た時、母上と約束したのでござる。困っているヒットを、できるだけ助けられる素敵なおなごになって帰ると」
『君らしい』
「されど、十二年もガーディアンをして、せっしゃは何者にもなれませなんだ」
哲人は否定せず、次の言葉を待った。
「Bodyだけなら強いのでござる。訓練も、勉強も、せっしゃなりに励みました。けれど走れば転び、人型MDFでは手足がもつれ、助けようとすれば別の事故が起きる」
波音だけが続く。
「昔は、自分が間抜けなだけだと思っておりました」
『今は違うのかね』
「九年もあれば、さすがのせっしゃでも気づくでござるよ」
コラーダは笑おうとした。
うまく笑えなかった。
「せっしゃの周りでは、悪い偶然が多すぎるのでござる」
機械が壊れる。
檻が開く。
隕石が航路を変える。
誰も悪くないはずの出来事が、何故か彼女の近くで重なる。
「譲治殿も、皆も、せっしゃを責めませぬ。失敗すれば叱って、泣けば笑って、次の日にはまた飯を一緒に食べてくれる」
『良い仲間だ』
「はい。最高の仲間でござる」
その言葉だけは、迷いなく出た。
「だからこそ、怖いのでござる」
コラーダの指が、膝の布を握り締める。
「いつか、せっしゃのせいで誰かが帰れなくなるのではないか。笑って許してくれた皆を、せっしゃが傷つけるのではないか。そう思うと……」
大粒の涙が、一つ落ちた。
「隊長のお側にいた三年だけは、何故か何も起きませなんだ。失敗したって笑われるだけで済んだでござる。毎日、今日は何を教えていただけるのかと、そればかり楽しみで……」
もう一粒。
「隊長がお辞めになった後も、頑張ればいつか人並みになれると思っておりました。皆の役に立てるようになれば、胸を張ってまたお会いできると」
押し込めてきたものが、波止めを越えた。
「でも、十二年もかけて……せっしゃは、まだ、こんなで……っ」
肩が震える。
「皆に迷惑ばかり……。隊長にも会った途端漏らして、何にも誇れるものもなく……っ。せっしゃは、いったい何をしてきたのでござろうな……」
最後は言葉にならなかった。
コラーダは顔を伏せ、子供のように泣いた。
哲人は泣き止ませようとはしなかった。
九年分を吐き出すまで、ただ隣に座っていた。
やがて嗚咽が小さくなった頃、哲人は口を開く。
『……君はよくやっているよ』
「……え?」
『十二年、よくやって来たじゃないか』
「でも、せっしゃは……」
『強くなった。肉体の強さなら譲治に次ぐ。支援機なら飛ばせるとも聞いた。自分の周囲で起きる異変にも気づけたし、そして何より、誰かを助けたいという最初の願いを投げ出さなかった』
コラーダが、涙に濡れた顔を上げる。
『出来ぬことがあるのは、何もしてこなかった証ではない。君は自分に出来ることを、十二年探し続けたのだ』
「隊長……」
『よくやった九津木君』
また涙が溢れた。
だが先ほどとは違う涙だった。
『ただ、その妙な現象……一つ、私にも心当たりがある。理仁亜が似たような体質をもっていてな……その災難も、私が近くにいれば何故か鳴りを潜める。君のそれも似た性質なのかもしれぬ』
「なんと、理仁亜どのにもそんな理由が……?」
『まだ仮説だがね。調べる価値はある』
哲人は立ち上がり、コラーダへ手を差し出した。
『その気があるなら私と来るかね。また鍛えてやろう』
「行くでござる!」
一秒もかからなかった。
曇りなき眼であった。
『ンフッ、早いなw 少しは考えたまえよ』
「十二年考え申した!」
『そういえばそうだったね』
「せっしゃ、今度こそ隊長のお役に立つでござる! 掃除でも洗濯でも戦闘機でも、何でも――」
差し出された手を掴んで立ち上がろうとし、コラーダは砂に足を取られた。
「あっ」
ドムン♡
哲人の胸へ飛び込む。
今度は漏らさなかった。
『堪える事が出来た様でなによりだ』
「は、はい! 超絶好調でござる!」
* * *
第96分隊は、既にある程度この結末を予想していたらしい。
九津木コラーダの除隊と、スペースライダーへの転身手続きは驚くほど速く進んだ。
翌日。
スペースクロウラーのハンガーには、分隊の手すきの隊員が集まっていた。
コラーダの荷物は小型運搬車三台分。
そのうち一台半が、歴代隊員から貰った転倒防止用品と、壊しては直した訓練器具であった。
「九津木、向こうでもちゃんと点検表を出せよ!」
「食堂の皿を一度に全部運ぶなよ!」
「辛くなったら、いつでも連絡しろ!」
「漏らしたらちゃんと掃除しろよ!」
「皆……かたじけないでござる!」
コラーダは泣きながら、一人ずつ抱きしめた。
お漏らし対策の吸水シートは、既に床へ敷かれている。
「あにき」
譲治が哲人の前へ立つ。
「こいつを頼むぜっ」
『もちろんだとも』
「譲治殿……!」
「お前を放り出すんじゃねえ。あにきの所へ送り出すんだ! そんでもっと強くなってこい!」
「はい!」
「でもたまには帰ってこい。また漏らしてやがるって、笑ってやるからよ」
「はいぃ……!」
ジョロリンジョッバァーナ♡
「文字通り締まりねぇな!w」
笑い声がハンガーへ弾けた。
イセンダは少し離れた場所で、その様子を見守っていた。
「コラーダ」
「副司令!」
「あなたは第96分隊の恥ではありません。十二年勤め上げた、私たちの仲間です」
「……はい」
「次の場所でも、自分の信じた仕事をなさい」
「はい!」
コラーダは涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を上げ、敬礼した。
イセンダも、端正な敬礼を返す。
これは追放ではない。
見捨てず支えてきた仲間を、より相応しい場所へ送り出す別れであった。
* * *
蒟蒻号の連絡橋が格納される。
スペースクロウラーが、ゆっくりと遠ざかっていく。
ブリッヂでは、新しい制服へ着替えたコラーダが背筋を伸ばしていた。
「本日より旅団《田楽》へ加入いたします、九津木コラーダでござる! 隊長、ミラリィ殿、理仁亜殿、何卒よろしくお願い申し上げる!」
「にょほほ、歓迎するのヨ。そんで全艦防水加工するんヨw」
「ン……よろしく……でも、分かってるよ、ね……?(スンッ)」
「ヒェッ……(joe♡)アッハイ、ヨロシクオネガイシマス……(ビクッ♡ビクッ♡)」
「格付けもう終わっとるのヨw」
「ンン……ミラリィちゃん……?(ニゴォ……♡)」
『やれやれ、仲良くしてやってくれたまえよ』
「”進路、太陽系外縁部巡回航路。狩リヲ再開シマス”」
『ヨシ! 旅団《田楽》、改めて出発じゃあ!』
「ラジョッ!」
「ン……!」
「心得ましてでござる!」
蒟蒻号は重力波の尾を引き、再び星の海へ滑り出した。
旅団《田楽》は、九津木コラーダを仲間に咥え挿れた!
* * *
なお――。
第96分隊母艦司令室。
山積みの電子書類を片づけていたジャン・クロウェン司令だったが……。
デスクワークが終わると同時に、哲人らは出発してしまった。
悩める隊員の門出を祝えなかったばかりか、あまつさえ、哲人と顔を合わせることもできず。
その嘆きと悲しみにより、彼の胃壁と毛根は致命的な致命傷を負ったのであった……(´;ω;`)
つづく。




