第5話:どうせ私なんて、夜の海で消えていく
Q. 冷たい夜の海で、彼女は何を考えてソファに座っていたのか――?
今回は唯月視点のエピソード。
華やかな夜の裏に隠された、あまりにも切なくリアルな素顔が明かされる。
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「早く終わらないかな……」
時計の針を睨みつけながら、私の心はどこか、冷たい波の底に沈んでいるようだった。
今年の2月、もうこの仕事を辞めたいと本気で悩んでいた。実家を出て始めた一人暮らしにはなかなか馴染めず、大宮の街のスピードに置いていかれるような毎日。お酒だって、本当はそんなに強くない。まわりの器用な女の子たちを見るたびに、「どうせ私なんて」という消極的な言葉が頭をよぎり、夜の華やかな狂騒にこのまま溺れて消えてしまいそうな錯覚に陥る。
それでも毎日、重いドレスに着替えてお店のソファに座り続けるのは、群馬にいる大好きな両親のためだった。いつか、あの温かい実家を綺麗にリフォームしてあげたい。その費用を貯めることだけが、私がこの夜の海で息を繋ぐための、たった一つの命綱だった。
だけど、現実というやつはそんなに甘くない。私を指名してくれるお客さんの数なんて、指で数えるほどしかいなかった。
深夜0時を回った頃。
店内の活気とは裏腹に、私はいつものようにつまらない待機時間をやり過ごしていた。黒服に促され、見かけたことのない2人組の席へと腰を滑らせる。
それが、すべての始まりだった。
正直に言えば、最初の蓮さんへの印象は、これといって特別なものではなかった。仕立ての良い服を着て、綺麗な時計をして、いかにも大人の余裕がありますという佇まいで座っている。だけど、その端正な顔立ちの奥に、なんだか消化しきれないモヤモヤとした鬱憤や、焦燥感のようなものが漂っているのは、なんとなく分かった。
この時間だ。顔色や雰囲気からして、どこかで飲んできた帰りなのは間違いないだろう。
私は、本当はひどく人見知りだ。知らない人と話すのは、今でもあんまり得意じゃない。だから、あの瞬間の言葉は、相手の出方を伺うための、単なるファーストコンタクトに過ぎなかった。
「……どちらかで、飲んでたんですか?」
相手がどう返してくるか、少し物々しいトーンになってしまったのは、私自身の心に余裕がなかったからだと思う。だけど、それを投げかけた瞬間、蓮さんが一瞬、ハッとしたように息を呑むのが分かった。私の何気ないただの探りの言葉が、彼の心に何かしら刺さったようだった。
隣の恭平さんが、静華さんに向かって、前の店で受けた女の子のそっけない態度への愚痴をものすごい勢いでぶちまけ始める。私はそれをBGMみたいに聞きながら、「ああ、やっぱりそうだったんだ」と心の中で小さく頷いた。
こういう場所で男の人の話を「聞いているふり」をするのなんて、昔から得意中の得意だ。あまり深入りしない程度に、テンポよく「そうなんですね」「大変でしたね」って相槌を打つ。相手を傷つけないように、でも自分のエネルギーは使わないように、ただ心地いい着地点へと会話を流していく。
売上をがっつり上げてやろうとか、この人を太客にしてやろうなんていう欲は、いつの間にかなくなっていた。
最初はあったかもしれない。でも、期待しては裏切られる毎日のなかで、そんな熱はとうに冷めて、どこか諦めに似た気持ちのまま、ただ日々の波を懸命に流しているだけ。
ただ、この楽しそうなテーブルにいる方が、あの薄暗い待機席でスマートフォンをじっと睨みつけているよりも、ずっとマシだった。私に興味なんてなさそうなこの男の人の隣で、少しでも時間が早く過ぎてくれればいい。
その時の私は、ただそれだけを考えていた。




