第19話:赤いカーペットと約束のドレス
「もう一生会えないかと思った」——39.7℃の高熱から奇跡的に立ち直った蓮との再会を控え、唯月は胸の奥の震える本音を噛みしめる。1人で来店してほしいという独占欲、そしてあの日傷つけられた彼を守るため、店長や黒服へ「二度と不快な思いをさせないで」と強く釘を刺す覚悟。彼女がクローゼットから選んだのは、あの6月6日の最悪な夜に蓮に見せるはずだった、思い出のドレスだった。台風が迫る6月27日、言葉には出さない祈りを胸に、唯月は蓮を迎え撃つ最高の笑顔で待つ。
松葉杖の冷たいアルミニウムを握りしめるたび、手のひらに鈍い痛みが走る。
けれど、そんな痛みなんて、この数週間のあいだ私の胸を支配していた底冷えするような恐怖に比べれば、なんてことはなかった。
6月6日のあの最悪な夜、蓮さんが背を向けて店を飛び出していったとき、私の時間は本当に止まってしまったのだ。
「もう一生会えないかと思ったもん本当に、、」
スマートフォンの画面に打ち込んだあの言葉は、夜のキャストとしてのリップサービスでも、引き止めるための営業でもない。心の底から溢れ出た、私の本物の、震えるような弱音だった。
キャバ嬢としてのプライドが、私にないわけじゃない。誕生月である6月は、一年のなかで最も特別で、最も負けられない季節だ。「来週までに治しておいで!」と蓮さんに送ったメッセージの裏側には、指名本数や売上という、この街のシビアな数字への執念が確かに混ざっていたかもしれない。
だけど、あの39.7℃の体温計の画像を見た瞬間に、そんな計算は頭の中から一瞬で消し飛んだ。
他のお客様の前にいるときの私は、どれだけ情緒が狂っていても「お仕事の私」を演じ通せる。なのに、蓮さんの前でだけは、どうしても子供みたいに剥き出しになってしまう。
『死なせない!!!!!』
気づけば、画面が割れるくらいの勢いで、そんな言葉を投げつけていた。
蓮さんが私の骨折を心配してくれたように、私もまた、蓮さんがこのままどこか遠くへ消えてしまうのではないかと、パニックになるほど怖かった。「2人して病人すぎる」と笑い合ったあのLINE。私はこの世界に来て初めて、誰かと少し繋がったような気がした。
だからこそ、蓮さんが「明日1人で行こうかな」と言ってくれたとき、私のなかで抑え込んでいた独占欲が綺麗に決壊した。
『1人でおいで!! せっかく蓮さんが私のお祝いしてくれようとしてるのに誰かと割れちゃうの悔しいし勿体無い、、』
この日だけは、他の誰の視線も、他の誰の指名も、私たちのあいだに挟み込みたくなかった。
スマートフォンを胸に抱きしめたまま、私は松葉杖を頼りに、重い足を引きずってクローゼットを開ける。
奥のハンガーから引き抜いたのは、ずっと大切にしまっていたあのドレスだった。
特別な新品なんかじゃない。だけどこれは、あの6月6日の夜、本当は蓮さんに見せて、世界で一番可愛いと言ってもらうはずだったドレス。あんな形で決裂して、その後すぐに足の骨を折って、ずっとクローゼットの暗闇に眠ったままだった約束の衣。
「今日は、これしかない……」
自分から「あの日のドレスだよ」なんて言うつもりは、毛頭なかった。そんなことを口にするのは、私の不器用なプライドが許さない。だけど、言葉になんてしなくても、蓮さんならきっと気づいてくれる。そんな、祈るような確信が私のなかにあった。
私は、店長とボーイさんをこれまでにないほど強い口調で告げた。
「この前のこと、店長からも黒服さんからも、蓮さんにちゃんと謝って。今日は絶対に不快な思いをさせないで。ボーイさん共々、全員で気を引き締めて待ってて」
お店のシステムに私の大切な人を傷つけられるのは、二度と御免だった。
『22時前には着くと思うからレッドカーペット敷いといて』
蓮さんから届いたその軽妙なLINEに、私は鏡の前で、自分でも驚くほど愛おしそうな笑顔を浮かべながら返信を打つ。
『任せて!!永遠にひいとく! 赤と緑にしてみる』
6月27日、当日。外は台風が近づいていて、不穏な風の音が窓を叩いている。天気が悪いから気をつけて来てね、と文字を送りながら、私の心はもう、2人のテーブルへと飛んでいた。
一生忘れない夜にする。
私を「いい女」だと言ってくれたあの人のために、私は最高のドレスを身に纏い、その時をただじっと待っていた。




