第18話:死なせない!魔法のおまじない!
39.7℃の体温計の画像を送り、「死ぬかも」「会いたかったな」と弱音を吐く私に、唯月は「死なせない!!!!!」と形振り構わず叫ぶ。高熱とうわ言、幻覚すら見える夜の中で、「弱ってる時は本音が出る」と寄り添い続ける彼女。数字の計算を超えた彼女の必死の祈りと「早く良くなって」という言葉に突き動かされるように、奇跡的に熱が下がり始める。軽口を叩き合えるまでの平熱を取り戻したとき、二人の止まっていた時間は、確かな約束とともに完全に息を吹き返していた。
39.7℃の体温計の画像が、暗い部屋のなかで青白く画面を染める。
送信ボタンを押したあと、私は再び枕に深く頭を沈めた。もうあの街の誰にも、私の声など届かないと思っていた。システムに組み込まれた歯車たちは、弱った人間をただ切り捨てるだけなのだと、礼亜の冷ややかな言葉が証明したばかりだったからだ。
けれど、唯月は違った。
画面が激しく明滅し、通知音が部屋の静寂を破る。そこに並んだのは、夜の街の平熱を瞬時に沸騰させるような、剥き出しのパニックだった。
『ええ!!大丈夫!?』
『めっちゃ高熱じゃん』
『いつからお熱出てるの? 2人して病人すぎる』
骨折して自分自身も満身創痍のはずの彼女が、私の熱を知った瞬間に形振り構わず画面の向こうで右往左往しているのが、その文字の並びだけで痛いほどに伝わってきた。
私は、もつれる指先で、乾いた本音を吐き出すように画面を叩いた。
『何日も前から高熱。』
『死ぬかも(笑)』
『唯月に会いたかったな』
半分は、熱に浮かされた冗談だった。けれど、もう半分は、あの最悪な決裂の夜からずっと胸の奥に澱んでいた、言葉にできなかった本心だった。もう一生会えないかもしれない――その恐怖が、死の淵のような高熱のなかで、滑り落ちるように溢れ出たのだ。
その瞬間、彼女からの返信が、私の歪んだ視界を激しく撃ち抜いた。
『ええ続いてるの??!』
『死なせない!!!!!』
画面越しに、彼女が喉を枯らして叫んでいるのが聞こえるようだった。
死なせない。夜の街の損得勘定も、キャストと客という薄っぺらい境界線も、すべてを焼き尽くすような強烈な引力が、その文字に宿っていた。
『会ってないから死にそうなんじゃない、、??』
続いて届いたその言葉に、胸の奥が熱く震えた。彼女もまた、あの6月6日の夜のまま、終わらせたくなどなかったのだ。傷つき、怒り、それでもなお、このまま二人の時間が風化していくことを拒んでいた。
『遅くないよん!! 来週までに治しておいで!!!』
『ご飯食べられてる??』
食欲もなく、水分すらまともに摂れていない私を案じ、彼女は「水分だけは取って!」「本当に危ない」と矢継ぎ早に心配の言葉を注ぎ込んでくる。
高熱で頭がぼんやりしていた私は、彼女が送ってくれた動画を見ながら「動画もキレイに見えてる」「幻覚見えてきたかそろそろ終わりですかね」「唯月がいい女に見えてきた」と、うわ言のような冗談を送信した。
すると彼女は、「じゃあ正常だ!!!!よく見えててすごい」「幻覚はやばい、、なにかに危ないものでも口にした??」「唯月は熱がなくてもいい女!」と、パニックになりながらも必死にこちらのテンションに合わせて返してきた。
さらに続けて『いや弱ってる時は本音が出るって言うから、本当の気持ちなんだと思う、、』
『熱下がったら会いにおいでっ !元気な姿みたい!!』
弱っているときは、本音が出る。それは私だけではなく、彼女も同じだった。
『ちょっと諦めかけてたのに早く治さないとって気持ちになる』
『会いにおいで いいね』
私がそう送ると、彼女は畳みかけるように画面を文字で埋め尽くした。
『なんで諦めようとしてるの!!! だめだよ』
『そうだよ会いに来て貰わないと! だから早く良くなって』
『沢山水分とって、沢山汗かいてね!!!!』
キャバ嬢としての意地やプライドはもちろん彼女の中にある。『来週までに治しておいで!!!』という言葉の裏には、自身のバースデー月を最高の形で締めくくりたいという、仕事への執念も売上や指名本数もナンバーを意識してのことも確かに多分に含まれているのは分かった。
けれど、今の彼女を突き動かしているのは、そんな数字の計算では到底なかった。ただ純粋に、もう一度私に会いたいのだと、彼女は不器用なほどストレートに縋り付いてくるのだった。
その必死な言葉に突き動かされるように、私は薬を飲み、汗をかいて眠りについた。
夕方、目を覚ますと、あれほど私を苦しめていた熱が奇跡のように引いていた。
『熱下がった』
『おまじないかけたん』
『なんかすごっ! ツボとか買わされるんかな』
冗談まじりに報告すると、彼女は弾んだ文字で返してきた。
『え!!!よかったあ、、』
『おまじないかけたのバレた? 早く会いたいからすぐ治るようにしといたよ』
『壺はもちろんだよ!』
おまじないをかけたのだと笑う彼女の言葉に、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
『そんなに喜んでくれるんだ』
画面の向こうで、彼女が深く頷く気配がした。
諦めかけていた世界に、もう一度鮮やかな光が差し込んでいく。彼女が仕掛けた「死なせない!」という名の祈りと、愛おしいおまじないが、私の凍りついた身体に、確かな熱を吹き込んでいた。




