8.獣のままでは、いられない(2)
「失礼しまーす」
ジノは何気なく扉を開き、そして——
「……!」
目を見開いた。
それは、眼前の少女が元貴族と言うにはあまりにもぽっちゃりしていたから——ではなく、彼女の髪が、肩口あたりまでしかなかったからである。
(え、この人15歳くらいだよね。髪の毛、ここに入ってから切られた?いや、監獄内でそんなあらかさまな嫌がらせはされないはず……なるほど、メリーさんが言っていたのは、この事だったのか。)
貴族の常識に乏しいメリーは知らなかったが、ジノは母親より、『デビュタント後の貴族令嬢にとって髪は命に等しいのだ』という話を聞いていた。長く美しい髪を維持するには相応のコストがかかるが、それゆえに一人前の貴族令嬢の嗜みとなっているのだと。またそれをバッサリと切られるのは死に等しい恥辱なのだとも。
ゆえに年のわりに賢く察しもいいジノは、眼前の少女は実家で相当に冷遇されていたのではないかとあたりを付ける。
残念、1ミリもあっていない。そしてなぜかメリーと似たような結論に帰結していた。
ちなみに真相は過日、「お父様がずっと家にいていいと言ってくれているからデビュタントはしないし、髪の毛が長いと乾かすのが大変だし、そんな時間があったらおやつを食べたいし……」と怠け心に支配されたプティが、自ら望んでこの髪型にしていただけである。
ちなみに今は、「処刑まで一年あるしそれまでには伸びるからいいでしょ」くらいに思っている。
(なるほどね、それでメリーさんは同情したのか。情に厚いところがあるからな、あの人)
そんなことを内心で思いつつ、ジノもまた一昔前の自分と重ね合わせ多少の憐憫が湧いた。
しかし同時にこうも思う。
(でも、この人元貴族でしょ。体型や肌の様子を見るに衣食住は困ってなかったみたいだし、犬耳人族の孤児だった僕よりはずっといい生活だったわけじゃないか)
それは、どちらが不幸かを競うような痩せた思考だったが、他人に同情し甘さを見せるような者は即搾取される世界を見てきたジノなりの処世術でもあった。
「あの、貴方はいったいどちら様でしょうか」
「僕はジノといいます。ここの囚人なんですが刑務作業の一環でパンの配送と部屋の手入れに来ました」
得意の作り笑いでそう答える。
「えっ?あなたのような子供が、一体なぜ……あっごめんなさい。あと、パン、ありがとうございます。私はプティです。」
そういうと眼前の少女は、受け取ったパンとジノ顔を何度か見くらべ、少し考える素振りをした後、「あの、もしよかったらこれ、半分どうぞ……」とパンをちぎって片方をジノに差し出した。
ジノは驚く。人から何かを渡されるというのは、こちらから何かを差し出してその見返りにというのがジノの常識だったから。
おそらく彼女は昨夜から何も食べておらず、腹も減っているはずだ。そんな相手からこうやって、何の見返りもなく気前よくパンを貰えるなんて彼の人生では初めての経験だった。あまりのお人好しぶりにうっかり絆されそうになるジノ。
実際は、続かないダイエットを決意した女性が初日だけ頑張るように食事の量を減らそうとして、でも手元に残すと絶対に我慢できずに食べてしまうので、不要な分をジノに押し付けただけなのだが。
(い、いやいや。こうやってすぐ人に与えようとするなんて、『持っている側』で余裕のある人間だから出来ることでしょ!すぐにこんな環境からは出られるって確信があるとかさ)
それでジノは考えた。
(そうか。この人、こんなお人よしでここに来たってことはきっと連座でしょ?シャバにいるとき親から理不尽な扱いとか受けていたなら恩赦や情状酌量の余地で早々に監獄を出る可能性も高いよね……そうだ、その時気に入られていたら、僕が刑期を終えた後の金づるに出来ないかな。)
プティという少女は、どうやら自分に興味を持ったらしい。
ならばせいぜい、健気で可哀そうなジノ君を印象づけてやろう。哀れみの目で見られるのは気分が悪いが、こちらからそう見せるようにコントロールした結果ならば問題ない。
「あの、プティさん。パンありがとうございます。……実は僕、監獄に入った事情をずっと一人で抱えていたんです。よかったら、仕事する間、少しだけ聞いてくれませんか。」
そうして、ジノは巧みな話術で話し始めた。
「実は僕、幼いころに母親を亡くしまして……食べるものもなくて毎日お腹が空いていたところへ」
「ま、待って……私、そういう話題に弱いの」
「いや、早すぎるでしょ!」
思わず素の口調で突っ込むが、眼前の少女はぼろぼろと涙をこぼしている。ガチ泣きだった。
(なんなのこの人……やたら感情移入しているみたいだけど)
そこでジノははっと気づく。
「もしかして、プティさんも幼いころに母親を亡くされたんですか」
「ん?ええ、そうだけど?……でもそんなことよりも今はあなたのことよ」
(やっぱり、きっとこの人も母親を亡くしてから相当苦労したんだ。それで僕の話に共感して……)
そんな事実はない。プティが共感したのは『食べるものもなくて毎日お腹が空いていた』の部分である。
なにせ彼女は、現在とてもお腹が空いていた。
顔をぐしゃぐしゃにしたプティはさらにジノの腕をとって「それはつらかったわねぇ、本当にしんどかったわよねぇ」と号泣。本気で共感されているのが伝わる。看守長に触れられる時は嫌悪感しかないが、なぜだろうか、この少女に触れられるのは全然嫌じゃない。むしろ心地よく感じる、これが愛情と言うものなのだろうか。
思えば、母親でさえ真の意味で自分を見てはいなかった。彼女が見ていたのは自分自分の中にある顔も知らぬ父親の面影だった。だから、こんなに他人から自分の事を想ってもらえるのは人生で初めてかもしれない。そう思ったジノもつい目頭が熱くなる。
まあ、冷静に考えれば看守長の痩せて骨ばった手よりも、プティのふくよかでムチムチな手の方が触られ心地がいいのは当然で、それは愛情と言うよりは犬猫の肉球的な心地よさなのだが、幸か不幸か人生経験の乏しいジノがそれに気づくことはなかった。
「あの、部屋の手入れをするので……」
「あっごめんなさい」
なんとか言葉を絞り出すと、彼女はあっさり手を離した。それを少しだけ残念に思いながら、部屋の備品を点検していく。高所の埃をとる作業をする時、先ほど殴られたわき腹が少々痛んだが上手く隠せているはずだ。
少女の同情を買うなら怪我をしていることを伝えてもいいはずなのだが、なぜか今のジノはそうしたくなかった。しかし——
「ねえ、変なことを聞くけれどジノ君、どこか怪我をしていたりとか……しないかしら」
「うぇ!?」
驚きのあまり変な声が出てしまった。今まで、こういうケースで誰にもバレたことがないのに、彼女は一瞬で看破してしまったらしい。
「な、なんでわかったんですか?」
「うぇ!?ほ、ほら、それはえーと、長年生きてきた女の勘ってヤツ?あはは……じゃなくて!アナタ怪我をしているのね、ちょっと見せて頂戴。手当てしてあげるわ」
怪我を見抜いた理由を濁す彼女に、ジノは怪訝な顔をしながら自らのローブをまくる。
わき腹は痣になっていた。
「うわっ!これはひどいわね。すぐに治してあげる」
「えっ、それってどういう——」
ことですか、とジノが聞こうとしたとき、プティの手から柔らかな緑色の光が溢れだす。その光がジノのわき腹を温かく包み込むと、あっという間に痣が消えていく。さらに、肋骨にヒビでも入っているやもしれないという痛みまでなくなってしまった。
「あの、これって。」
「そう、私魔力持ちなの……バレるとまずい奴だから、内緒にしてね。」
(そうか、そういう事だったのか!)
ジノの中で、全てがつながった。
「……下衆め!」
「ひえっ、ご、ごめんなさい」
「いえ、ちがいますプティさん。今のは貴方に向けた言葉ではありません。治療して頂きありがとうございました。」
「ほえ?」
誰に向けての言葉か勘違いして反射的に謝るプティに、確信を深めるジノ。
(彼女は実家で暴力と恐怖によって支配されていたんだ。それでもきっと、痛みを隠して気丈にふるまったりして……僕の怪我を見抜いたのもそれが理由だろう。それと、魔力と言うのは本人の危機に発現することも多いらしいから、暴行をうけた時に治癒の魔力を発現して……でも実家はその後、教会に届けず便利な力を独占しようとして……)
もちろんそんな事実はない。怪我にだって気付いたわけではなく、「もしかしたら擦り傷でもこさえてないかしら」とダメもとで聞いてみただけであった。
「……花壇の手入れをしてきます」
「あっ、まって!」
呼び止める彼女に背を向けたまま、花壇に向かうジノ。だってそうしないと——目じりの涙に気付かれてしまいそうだったから。そして、眼前の少女はそういった目で見られることを望んではいないと思ったから。
「えっ、雑草が全部抜かれて一か所に……これ、もしかしてプティさんがやったんですか。」
「あ、はい」
つまり彼女は、何の見返りもなく奉仕作業をしたという事だ。
「なぜ?誰かに命じられたわけじゃないですよね」
「それはその、罪悪感を薄めるためというか罪滅ぼしと言うか目的のためというか…」
また衝撃を受けるジノ。彼女の言葉に秘められた、壮絶な過去に気付いてしまったから。つまり、プティは虐待を受けると同時に、『これは全てお前が悪いからだ』と刷り込みをされていたのだろう。暴力団の帳簿係をさせられていた頃、そういうDV男を見たことがある。女性に罪悪感を植え付け、支配下に置くために——
(なんて卑劣な!)
実際は、花壇の端に咲いていた『セイレイノザ』の花の蜜をうっかり吸いつくしてしまったプティが、「でもこれは雑草だから……他の雑草も抜くから……」と欺瞞しているだけなのだが、ジノはすっかり自分の着想を信じ込んでいた。
「ほ、ほら。だから、花壇はもういいから一緒にパンを食べましょう。貴方、朝食もまだでしょう」
とうか、自分の空腹が限界ではやくパンを口にしたいプティ。
貴族令嬢としてははしたないことこの上ないが、ジノの後ろから両肩を持つと室内のテーブルへと連行する。
(うわ、プティさん。なんだかいい匂いがする。まるで野に咲く花みたいに……)
密着した彼女から漂ってきた甘い香りにドキドキするジノ。先ほど花の蜜をたらふく吸っており、証拠隠滅にその花弁をローブの中に隠し持っていることを彼は知らない。
そうして二人で食事を終え、部屋の手入れも終わり、ジノが後ろ髪をひかれつつ暇しようとしたところでプティから言われた。
「今日はありがとう。私と違ってジノ君はとてもしっかりしていて立派ね。」
「いえ、そんなことは……」
「そんなことあるある。こんな事を言うのは不謹慎かもしれないけれど、楽園に行かれたご母堂も、きっとあなたのことを誇りに思うわ」
優しい言葉だ。だが、少しだけ引っ掛かる部分があった。
「『誇り』……ですか」
「え、ええ」
それは、過日母親がよく言っていた、ジノにとって理解しかねる言葉である。
プティにはどんなものか分かっているのだろうか。
「プティさんにとって、誇りって何ですか」
「私にとって……えっと、自分の命よりも大事にすべきもの、かな」
「僕の母親、犬耳人族なんです。それで、僕は顔も知らない相手のことをずっと大切にしていまして……プティさんはそういうのって理解できますか。」
「え?ええ。まあたぶん、少しは」
(そうか、プティさん幼い頃亡くなった母親の名誉のために、自分の命を賭す覚悟なんだ)
全然違う。
プティの誇りなんて『処刑されている時までには痩せてなくっちゃ』なんて見栄に過ぎないし、先ほどジノの言った「顔も知らない相手の事を~」の下りでは、『私のお母様って元平民で、幼馴染と急に別れることになったけど、その後も幼馴染の事を大事に思ってたらしいのよね。だからまあ、そんな感じなんでしょ、詳しいことはしらんけど』なんて、浅い理解で返事をしていたのである。
だが、そんなこと露ほども知らないジノの胸には、ストンと落ちるものがあった。
つまり彼は、自分と同じように辛い境遇に育ちながら、底抜けにお人好しで誇り高く育った——ように見えなくもない、眼前の女性にすっかり参ってしまったのである。
「そうか……これが母さんの言っていたことか」
プティに気付かないくらいの小声でつぶやくジノ。
過日、ジノの母親は言っていた。
『犬耳人族は、自分がこれと決めたものに忠誠を誓って尽くす性質がある。それこそが誇りであり幸せ』
それが今、理屈ではなく本能で理解できた。
忠義を尽くす相手を見つけた喜びから感情が高ぶったジノ。
彼は涙を浮かべながらプティの手を取ると足元に跪いた。
「プティ様!これからは、僕が必ずあなた様をお守りします……!」
「・・・・・・・ほえ?」
そんな彼を、何も分からないプティは怪訝な面持ちで見守った。
(んん!?騎士ごっこかしら、それか房二病的なやつ……)
いたた、封印されし昔の記憶が!
それか、もしかして……本当にもしかしてであるが、庶民の世界と言うのはこれがスタンダードなのだろうか。
だってほら、メリーという女看守も謎に感極まっていたし、今まで歌劇の世界でしか見たことなかったが実は庶民というのは、実は本当に毎日歌って踊ってむせび泣きながら過ごすという情緒豊かな生活をしているのかもしれない。
「あ、ありがとう?」
正直、ちょっと温度差を感じる……が、それはそれとして郷に入れば郷に従えと言う名セリフもある。そんなわけでとりあえずプティは、よくわからないまま、その手を握り返すことにしたのであった。




