9.一粒たりとも、残さない
このエピソードは(も)無欲の聖女オマージュ強めです
お皿の下りとか残酷物語とかその辺
ディスト監獄の女性用区画。そこは女の園――と言うには少々ワイルドな空間である。おのおの犯罪歴があり、その出自もバラバラの集団。擦れている人物が多く、そのうえに恥じらいや自制心の砦となる男の目も殆どないので、中年男性のような行動パターンをとる者も多い。特に食事の場面などはそれが顕著だ。
なにせ、刑務作業で腹が減っている上に食事の量も少ない。マナーなど習ったこともない者が多く、手づかみで食べるものさえいる。そういう集団に入ると、育ちの良かったも者も次第とそちらに流されて、マナーなど忘れてしまったかのようにがつがつとかき込むように食べるようになっていく。
しかし、そんな中で一人異彩を放つ存在がいた。
一月ほど前にやってきた貴族のプティ・ロースター男爵令嬢である。
彼女は常に淑女の微笑みを浮かべながら優雅にカラトリーを使い、貴族の手本のようにゆったりとした動作で全ての食材をよく味わい、丁寧に咀嚼しながら食べていた。しかもどういった訳か模範囚として配膳係を務めていたジノが、見目麗しい従者のごとく横に侍っている。
監獄にやって来たばかりの貴族と言うのは、だいたい大声で喚き散らしトラブルが絶えないので距離を置かれることが多い。
しかし彼女の場合そういったことは一切なかった。むしろ、刑務作業の割り当てで体力的にきついものを自ら率先して引き受けたり、自分よりも幼い者や病み上がりで体力の落ちた者が近くに居る場合は非常に悲しそうな顔をしながらこっそり食事を分け与えたりまでしている。
そんなものだから、彼女が特別房から普通房にやってきて1月経った今ではむしろ、『高貴すぎて逆に近寄りがたい存在』として他の囚人達から距離を置かれ、遠巻きにみられているのが現状だ。
ちなみに、プティ・ロースターの食事作法が美しくみえるのは、別にマナーが達者とか、自制心があるとかそういったものとは一切関係がない。彼女は、スープの一滴、パンのひとかけらさえこぼすまいと自らの持つすべての集中力と技量をもって食事を堪能しているだけであった。
どうも、効率的な食事ぶり、充実した監獄生活。
プティ・ロースターです!
監獄ウーマンのみんなー、今どうやって食事してる?
がつがつ食べる?手づかみでかぶりつく?
ん〜、ナンセンス!
だってそんなの、すぐに食事が終わってしまうし、刑務作業で荒れた指先が吸収する油がもったいないと……思わない?
そう、皿の隅まで繊細にスプーンですくい、最後の仕上げにスカルペッタ!
咀嚼するときは小さな欠片すらも口からこぼれないように閉口し、最低30回は噛みしめて、ゆっくりモグモグ......味わうの!
そんな食いしん坊ウーマンのテーブルマナー(笑)に圧倒される周囲。
この女が実家で一食何カロリー摂取してたか知ってる?
正解は......三千五百。with Big!
しかし本日は、珍しく彼女に話しかける存在がいた。
「なんどか食事する所をみせてもらったが、おまえさんは毎回、本当に美味しそうに食べてくれるねぇ」
それは、この監獄の料理長だった。
中年にさしかかった事で今は監獄内で働いているが、かつては優れた美食冒険家だった大柄の人物だ。ちなみに性別は男で、心は女である。
ここでは限られた予算の中で苦心して『そこそこ美味い食事』を作っても、味など大して気にせずがっつく者が多い。そんな中で、味わって食事をとるプティに彼女は好感を持ったのであった。
「なあ、おまえさん元は貴族だったんだろ。その肥えた舌で、一度アタシの料理を食レポしてみてくれやしないかい」
「え、えっと、私の舌は、そんな大したものじゃなくって……」
「そんなわけないだろ。ほら、一回貴族風にやってみておくれよ」
料理長がそんな風に言うもので、周囲の注目が集まる。しかし、プティとしては非常に困った事態になってしまった。なにせ彼女、食べるのが大好きだが、決して美食家なワケではない。いわゆる『ドカ食い大スキー派閥』なのである。
満腹と高血糖で酩酊する時間こそが至高であり、食事中に思っていることなんて精々が『しょっぱくてうまい!』程度なのだ。
(でも、それを言ったらこの人がっかりするだろうなぁ……)
まあ、断れる雰囲気でもないのでやれるだけやってみようと決意する。貴族風と言っていたので、うろ覚えだけど出来るだけ期待には応えようと、すっかりさび付いたマナー記憶の引き出しを開けた。
(えっと、確か『一流の淑女たるもの褒めるときはまず食器の絵柄や給仕の仕事ぶりから』だったわよね)
貴族社会では、食事という文化的行為に際していきなり味について言及する様ではエレガントさが足りないと言われる。教養や蘊蓄でマウントを取り合う世界ゆえに、そういったマナーになっていた。
「ええっと、まず、お皿の……」
「皿?」
そこでプティは自らの失策を悟った。
(絵柄がついていない!)
皿は……無地だったのである。
「……お皿で食べられるって、素敵ですよね」
「ん?」
きょとんとする周囲。
やってしまったァ!と内心焦るプティ。
「それと給仕が……」
テンパり、またまた失敗。
ここに給仕なんかいなかった。
「いえ、その、だれかがお皿によそってくれた食事って、素敵だなって……」
「どういうことだい?もしかして、遠回しに味には言及する価値もないっていってるわけじゃないだろうね」
「そ、そんな!味、いいです。その、しょっぱいのが一番素敵だなぁって」
料理長が眉をしかめたその時
「プティ・ロースター、ちょっとこっちへおいで」
看守のメリーから、呼び出しがかかった。内心助かったと思い、『すみません、看守さんから呼ばれたので』と中座するプティ。後には、料理長とジノ、そして囚人たちが残された。
「くそ!」
悪態をつく調理長。期待して損したという感情が表情に出ている。周囲の囚人たちも、やっぱり貴族とは分かり合えないかと、残念そうな顔をするものばかりだ。
「お待ちください!皆様の気持ちは分かります。ですが、それは誤解なのです」
しかし、その空気に待ったをかける声が響いた。ジノである。
先日まで、よく愛想笑いを浮かべ女囚人たちのアイドル的存在であった彼。それが最近は大急ぎで仕事を片付け、空いた時間はプティにべったり付き添っていることに疑問や嫉妬を覚える者は多かった。ゆえに、この場にいるものが皆、彼を注視する。
ジノは少々悩んだが、今後の安全のため、主君の言葉の真意と秘密を打ち明けることを決意した。
「先ほどのプティ様がおっしゃった『しょっぱいのが一番素敵』という言葉、あれはきっと料理長への最大限の賞賛なのです」
「どう言うことだい」
そう問う料理長の顔には、適当なことを言ったらただではおかないと書いてある。しかしジノは、冷静に彼女の目を見ながら「これは貴族の侍女であった僕の母の受け売りですが」と続きを口にした。
「仕事に奔走して汗を流す庶民の身体は、貴族よりも多くの塩分を欲するようになるのだそうです。察しよい料理長なら、この意味はお分かりですよね」
その言葉に、ハッとした顔をする料理長。
「……そうだったのか、アタシは、馬鹿だ」
——貴族の視点からの食レポをしてくれ
それが彼女へのリクエストだった。
料理長は、自分の頬を張り飛ばしてやりたい気持ちになっていた。
だって自分は食べる側の好みをそこまで深く考えて作っていたわけではない。己の舌に合った物をもの作ったら、たまたまそれが囚人の求めていたものと合致していただけなのだ。
しかし、プティは貴族と平民の食事の本質的な違いを見抜き、囚人たちの身体が欲する『塩気』の強い料理を作ったことを『しょっぱいのが一番素敵』と称えていた。どちらがより料理の本質に精通しているかは明らかである。
「そして、彼女が……プティ様がここに来る前にしていた生活は、皆さんの想像とは異なるのです。」
「どういう事だい」
ジノは、沈痛な面持ちで無地の皿に触れた。
「確かに彼女は、『これぞ貴族!』と周囲を圧倒する気品とマナーを持っておられます——しかし、それはおそらく、教会前の孤児が聖典をそらんじるようなものなのです。なにせ彼女は実家で冷遇され、暴力を伴う苛烈な虐待をうけておりました。のみならず、純潔こそ守られたものの性的な搾取まで受けていたのです」
「なんだって!?それは本当かい」
「ええ、ここに来たとき背中に折檻による外傷があったこともメリー看守が確認しています」
真に迫るジノの語り口に食堂がしんと静まり返る。
誰かがごくりと喉を鳴らす音が響いた。
「彼女は母親を幼くして亡くしました。以来、貴族とは名ばかりの畜生が彼女を軟禁し、母親の死はお前のせいだと吹き込んでいたのです。先日、彼女はこうも言っていました。『私はたぶん来年、親の連座で処刑される。ただ、最後の一年をここで過ごせることはプラスに考えている』……それは、この監獄生活が遥かにましと思えるほど辛い生活をしていた証明に他なりません」
苦労知らずの貴族だったと思っていた少女が、実は己よりも過酷な境遇の持ち主だったと言われた周囲の反応は様々だった。目頭を押さえるもの、青ざめるもの、悪態をついて首を振る者……
「そうすると、さっきの彼女の言葉は……」
痛ましげな顔をした料理長のつぶやきに、ジノはしっかりとした首肯で答えた。
周囲の勘の良い者達からは「そんな……」、「ひどい……」といったつぶやきが漏れる。
「ええ、『お皿で食べられるって、素敵』というのは彼女が受けてきた虐待の壮絶さを物語っています」
見目麗しいジノの目には、涙が浮かんでいた。
だが、囚人たちはだれも誰もそれを笑うようなことはしなかった。
「外道に支配されていたプティ様の生活。それは食卓につくことさえ許されぬものでした。後ろ手に縛られた彼女の前で、非道な輩はまるで養豚場の豚にするように床に大量の残飯をぶちまけ、その状態のまま残さず食べることを彼女に強要し、えずく様子を見てせせら笑っていたのです」
ジノの脳裏に鮮明に浮かぶ、存在しない記憶。
「そのまま蹴飛ばされ、横たわった頭を踏まれたことすらあった」
先日、この子ちょっと私のこと過大評価しすぎしゃないと思ったプティが、『いや、ここだけの話、私実家ではいつも行儀良く食べていた訳ではないのよ?食べながら横になった事もあるくらいだし』とか言っちゃった結果である。
想像力が高まる思春期のメリーが勘違いの種を蒔き、過酷な過去を持つジノが水をやり、数十日にわたって育てた事実無根の苗は本日、妄想の光を浴びて『プティちゃん残酷物語』として大輪の花を咲かせたのだった。
ずびっと、誰かが鼻をすする音が聞こえる。
激情を鎮めるべくひとつ深呼吸してから、ジノは震える声で「ただ、彼女はそれでも人間の善性を失うことをしませんでした。人の美点を見つけようとすることをやめませんでした。それは今日の件で皆様が見た通りです。」と言って話を締めた。
その後、しばし沈黙する食堂。そして
「……アタシは、彼女を守ってやりたい」
それを破った料理長に全員の視線が集まった。
続いて「あ、あたしも」、「私も」、「アタイもだ!」と声が響く。
囚人たちとて、生まれながら悪人だったわけではない。彼女たちは皆それぞれ、相応に過酷な境遇を経験し、ある者は擦れ、またある者はやむない事情で罪を犯して収監されることとなった人物だ。
ゆえに、泥の中に咲いた蓮の様に、誰よりも過酷な環境にありながら凛と美しく咲いた一輪の花に対して皆が敬意を持った。
そして、これ以上悪意の雨にさらされることが無いように強く願った。
ばらばらだった女囚人たちが一致団結し、『プティちゃんを守護り隊』へと変貌した瞬間である。
まあ、実際にプティの内面を表するなら、『泥の中に咲く蓮の花』と言うより『中身が穴だらけのレンコン』の方が適切なのだが……それは知らぬが仏というものであった。




