17.支えてあげずに、いられない
犬耳人族の少年ジノは、沈痛な面持ちで寝台に横たわる主を見つめつづけていた。
彼がいるのは監獄の医務室。
沈みゆく夕日が影を横に長く伸ばし、闇が迫りつつあったそこに、ふと明かりが灯った。
「犬耳人族の忠義ってのは大したもんだね。でも、アンタも食事位はとりな」
ため息とともに現れたのは、濡れ羽色の髪を持つ女看守のメリーだ。
その片手には温かいスープが乗った盆。
「医官が、命に別状はなくじきに目覚めると断言したんだ。あたしたちに出来るのは、まず自分達が元気に過ごし彼女が起きた時に笑顔で出迎えてやることだけさ。そうだろう?」
「……メリーさんこそ、ひどい顔色ですよ。きちんと眠れていないのでは」
どちらの声にも、ひどく心労がにじんでいる。
まあ、それも無理のない話だ。ディスト監獄を、いや、ゾディアック王国全土を激震させたクーデター未遂事件からすでに丸二日。状況はまだ慌ただしく、監獄内で長くプティの傍に居た彼らもその間多忙を極めていた。
まず、リブラが渡していた腕輪によりプティとジェミニとの会話は騎士団にすべて記録されていた。監獄長室にも多くの証拠があり、この件に関わった黒幕一同は迅速に捕縛、現在厳重な取り調べが行われている。
その中で女看守長を始め、一部の看守にも監獄長の息がかかっていたことも判明。単身潜入捜査を行っていたリブラによって早々に白と判断されたメリーは、魔力を用いてその尋問に立ち会う事となった。
また、『冤罪で捕まった可能性が高い者』のリストにジノの名前があり、実は行方を捜していたという中級貴族の実父が『迅速に血縁関係を確認し実子であれば家に迎えたい』と申し出てきたため、ジノは現在各種の調査、検査を受けている最中だ。
そして二人は、そんな多忙の中、すこし時間ができるとこうしてプティの下へと出向いている。
彼女を診察した医官はこう言っていた。
「なかなか目覚めないのは麻薬成分の含まれた煙を吸った影響と、強い心労が原因でしょう」
ただ、事態はすべてが良い方向に向かいつつあった。
ベッツの冤罪も晴れたし、プティの冤罪も晴れた。それに——
「……医官の見たてでは、もうすぐ目覚めるはずだ。そしたらプティは一旦王宮で保護される」
「はい、僕はどこまでもお供する所存です。家は腹違いの兄が継ぐようですし、実父にはもう、『自分はプティ様の従者になりたい』と手紙を出しています」
引き連れてきた部下の多くを監獄に残し一度王都に戻ったリブラは、すぐに王宮行き馬車を手配する予定だと言っていた。
メリーとジノから『プティ・ロースターは実父から虐待を受けていた』と聞いたからだ。「今回冤罪で捕まっていたあのポーク・ロースター卿が……?」と半信半疑だったが、きちんと調査するそうなのでいずれ真実は明るみに出るだろう。
またジノとメリーも同時に王宮に招かれている。なぜなら——
「彼女を助けた際『い、いや……おねがい、ここで死なせて……』と呟いていた。冤罪で監獄に入った影響によるものか、不可抗力とはいえ聖書で禁忌とされている麻薬に身を犯されたことで自棄になったのか、君たちの言う通り虐待によるものか分からないが、随分と自分の価値を低く見積もり人生に絶望しているように見える。そこで、心のケアのため君たち二人にはしばらく彼女の傍に付いてあげてほしい」
そうリブラが依頼してきたのだ。
もちろん、両者が二つ返事で引き受けたのは言うまでもない。
***
ここは王宮の一室。
室内にあるすべての物が明らかに上質な品と分かり、しかし下品さは一切感じさせない質実な部屋に二人の男がいた。
「本日もありがとうございました。お陰で、事態は想定より早く解決に向かっている」
一人は、陽光のような金髪に色違いの美しい碧眼を持つ第三皇子リブラ・ゾディアック。連日の激務にもかからわず、彼は声色に弱さをにじませてはいない。
「……ふん、気にすることはない。こちらにもメリットのある話だからな。約束は守れよ」
それに答えるのは片眼鏡をかけ少し暗めの緑髪をオールバックにまとめた商人、ベッツ。王族に対するにはあまりにもぶっきらぼうな物言いだが、この部屋に居るのは二人だけ。そしてリブラが不敬を追求することはなかった。
商会の仕組みや王都の流通について深い知識を持つ彼は、重要協力者としてリブラと行動を共にしていた。あの事件からもうすぐ一月、相当な疲労がたまっていてもおかしくないが、こちらもまた、やり手商人の名に恥じぬ相当なタフさを見せている。
「勿論です。今後はあなたの商会を王家の用達とするよう長兄に進言しています。」
今回の件を重く見た国王は、国を纏められなかった責任をとる形で退位。リブラと並び有能と名高い第一皇子へ王位を譲ることを決めた。今後この国は、金髪碧眼以外の魔力持ちや犬耳人族への冷遇を撤廃するなど、様々な変革がなされていく予定だ。
また、今回捕縛した大商家から目の敵とされ陥れられていたという事実、そして今回の捜査協力でみせる様々な知見は、ベッツの後ろ暗さのなさと有能さを知らしめていた。このままいけば、次の王家ご用達はベッツ商会で決まりだろう。商人にとって最上級の栄華だが——
「そちらではない。プティ・ロースターの件だ。実家での扱いについて厳密に調査し問題があれば父親と引き離す件、それと魔力持ちを隠匿していたことを不問にする件だ。特に後者。」
ベッツはそう言った。
彼にとっては、王家ご用達になるよりもプティの処遇の方が大切らしい。
「……ええ、勿論。法を逸脱していたとはいえ金髪碧眼以外の魔力持ちは不当に搾取される構造になっていたわけですし、彼女が私欲のために隠匿していたのではないことは私もわかっている。元々情状酌量をつける余地は十分にあるし、貴方に捜査協力してもらうための司法取引でもあるのですから」
なお、彼女の父親に対する壮大な風評被害の害は、この時点でとうとうリブラにまで及んでいた。なにせ、ジノ、メリー、ベッツという彼女に心砕く三人が口をそろえてそう言っていたし——
「そして、前者についてもゆゆしき問題が確認されました。暴言や暴力の類は証拠不十分ですが……」
そこで言葉を濁し、顔をゆがめるリブラ。
ロースター家の使用人たちはプティが虐待を受けていたという話を一律に否定した。
しかし、間諜の一人が酒場で勤務年数の浅いメイドに酒を飲ませ、金を掴ませたうえで「プティ・ロースターについて何か愉快な逸話があったら教えてくれよ」と探りを入れると、そのメイドは笑いをかみ殺しながらこのように証言したのである。
『いいですか、絶対ここだけの話にして下さいよ。……プティ様は連日、服の下にぶるぶると振動する魔道具を装着していた時期がありました。本人は必死に我慢し、装着しているのを隠していたようですがバレバレでしたね』
当初、その手のことにやや疎いリブラはどういう意味か分からなかったが、副団長に『そうやって手つきにしたメイドを辱める変態貴族もいるそうです。娼館でその手の魔道具を見たことがあります。』と解説されて顔色を変えた。
「……大体察した。下衆オヤジめ。」
その話をきいて悪態をつくベッツ。
実際は腹の肉が気になったプティが『つけるだけで痩せる!振動腹筋ベルト』なるダイエット魔道具を買って装着していただけなのだが……男ってすぐにエッチな想像をするし、事実は小説よりも奇なるものであった。
もちろんダイエットが失敗に終わったのは言うまでもない。
「それと、彼女の母親であるアンタレス・ロースターも治癒の魔力を持っていたことが確認されました。その魔力は使用するとかなり体力を消耗するものだったそうです。そして彼女は、致死率の高い疫病が流行った冬に領民たちを大勢治療した結果やせ細り、やっと収束という間際に娘が命の危機に瀕したことで再び魔力を使い、そのまま……」
「くそっ……アンタレスめ。……あの馬鹿は本当に、いつもいつも……」
やりきれないと言った様子で告げるリブラ。
対するベッツの声は、血でも吐きそうなほどに震えていた。
「思えば……あいつが監獄内で誰に対しても献身的で、治癒の魔力も惜しみなく使い続けていたのは母親への罪悪感があったのかもしれない。いや父親にそう刷り込まれたのかもな、お前のせいで母は死んだのだ、役に立たないことには存在も許されない罪深い身なのだと……そうやって……っ!」
「虐待と洗脳……ですか」
自分を産み育て、慈しみんだ母を早々に亡くしその責任を引き受けざるを得なかった幼いプティ。彼女はいったいどんな心持だったのだろうか。
過日、王城で一度見た彼女はまだ幼かった。『自分のせいで母を亡くした』と悲しみ暮れる薄幸の少女。それがあきらめた瞳で降り注ぐ悪意の雨に打たれる様子を想像し、リブラは胸を引き裂かれるような心地を覚えた。
ちなみにプティはこの事実を知らない。
それをリブラも知らない。
たぶん二人とも、一生真実を知る事なく人生を終えるだろう。無知は幸福知らぬが仏。
「王都に招いた際、彼女はとても怯えた様子でした。男性に対して強い恐怖心があるのだとすれば辻褄が合います。また、客人としてくつろいで良いと言っているのに、毎日仕事がないかと探し、空いた時間は勉学に励み、食事こそ3食食べているものの私が差し入れた菓子は全て使用人に渡してしまったとジノが言っていました」
リブラは皇子であると同時に騎士であり、その前に一人の男でもある。眼前に痛ましい少女がいれば、助けようとせずにはいられない。
「衣服もそうさ。俺も『お前のものだ、好きにすればいい』と流行りのドレスを贈ったんだが、『私、こんなの着れないわ……』と一度も着ることなく侍女に譲ったとメリーから聞いた。いまも地味で身体の線が隠れるローブばかりを着ているという。」
ベッツにとってのプティは、過日ほのかな恋心を抱きそして助けてやれなかった幼馴染の忘れ形見だ。今、彼の胸にあるのは義憤と後悔、そして憐憫……支えようとせずにはいられない。
「……」
「……」
二人はしばらく黙り込む。
ややあって、先に沈黙を破ったのはリブラの方だった。
「彼女については過去の境遇を全て伏せ、その上で、王城内で守り慈しんでいくべきだと思っています」
それはつまり、彼女の名誉のために性虐待を受けていたことやあの日一度麻薬に身を犯された事実を秘匿し、父親から引き離して匿うことを意味する。
「そうだな。現在のこの国の悪法だと『娘へ行ったのはあくまでしつけ、それが少々行き過ぎただけだ』とポーク・ロースターが主張した場合は重罪で処罰することはできんし、プティの名誉が一番だ。まあ、聖騎士団長の発言とは思えんが」
「私も今回の件で、白黒はっきり付けるべきでない物事があると学んだのです。どんな過去があろうと彼女はこれから、女性として最大限の栄華を掴み幸せになるべき存在だ」
これは暗に、『自分が責任を持ち将来彼女を娶るつもりだ』という宣言でもあった。公明正大と名高い反面、何かに執着することのなかった第三皇子は今、人生で初めてともいえる感情に身を焦がしている。




