5話 島で過ごす午前中
翌朝、カーテンの隙間から差し込む朝日で自然と目が覚めた。布団の上に起き上がり、伸びをする。自分がすっかり元気を取り戻していることに気がついた。眠気もない。疲れもない。
(すごく爽やかな気分だなあ……あれ?)
そうではなかった。
ぼくは顔をしかめた。部屋中がお酒臭かったのだ。
枕元の眼鏡をかけ、首を巡らして、すぐに匂いの発生元を突き止めた。
ちゃぶ台の上。
そこにビールの空き缶やら焼酎のボトルやらワインの空き瓶が並んでいた。そしてお皿の上には食べかけのイカの燻製やサラミも乗っている。
どうやらぼくが寝ている間、お父さんと池崎さんはもう第何回目になるか分からない宴会を再開していたらしい。
二人とも今は座布団を並べて腹ばいになっていたり、畳の上で直接、タオルケットにくるまって眠りこけていた。
ぼくはそこでふと思い出した。
(あれ、そういえば昨日の夜、池崎さんいなかった気がする……)
その時、部屋の外から遠慮がちな声が聞こえてきた。
「流時くん、起きてる?」
小泊さんだった。
「あ、うん。起きてるよ」
そう返事をすると、
「ごはん。朝ご飯。食べようって真知ちゃんが」
障子越しに小泊さんは言う。
さらに、
「おじさんたちは寝かしておいてあげなさいって。昨日の夜、色々と頑張ってくれたから」
頑張った?
なにを?
宴会を?
頭の中が〝はてな〟状態になったけど、とりあえずお腹が減ってはいたので、
「分かった。今、行くよ!」
いったん外に出ようとしたけど、すぐに思い直して反対方向にまず向かった。窓のクレセント錠を外し、ぼくの手の平二つ分くらいその隙間を開けておく。
(ちゃんと換気をしておかないと)
改めて廊下側の方に戻って襖を開けると小泊さんがはっきりと分かるくらい顔をしかめた。
やっぱりそうとうお酒臭いみたいだ。
一階にある小泊さんの家の居間には朝の明るい光が差し込んでいた。年季の入った柱にこれも古めかしい時計がかかっていて、ちょうど午前八時を指している。つけっぱなしのテレビは小さなボリュームでニュースを報じていた。
昨夜もここで夕飯を頂いたけど、ずっとうつらうつらしていたのであまり記憶が残っていなかった。
十畳ほどの和室で、縁側を挟んでハイビスカスが咲き乱れる庭に面している。黒光りする長机や飴色のタンス、あまり見たことのないくらい大きな扇風機が改めて印象に残った。
ぼくはその部屋で焼き魚と目玉焼きとお漬物とご飯、それにアオサのお味噌汁というしっかりとした朝食を用意してもらっている。とてもありがたいんだけど、一つ気になることがあった……。
「……」
それは――。
ぼくの隣で同じく朝ご飯を食べている小泊さんの奇妙な行動だった。ちらっとこちらを見てはすぐに視線を外し、またしばらくするとこちらを盗み見て、目を伏せる。
それを何度も、何度も繰り返している。
「一晩経って、人見知りがリセットされてるのよ」
ヒマワリ柄のグラスに入った麦茶をぼくの前に置きながら小泊さんの叔母、真知さんがそう説明した。
「この子、これがなくなるまで結構、時間がかかるわよお」
そしてその当の小泊さんはというと、まるで他人事みたいな顔で大まじめにこくこくと頷いていた。
(まじか)
と、ぼくは思った。
今日もできることなら色々と案内して貰おうと思っていたけど、大丈夫なのだろうか?
ちなみに真知さんと小泊さんのおばあさんはもうとっくに朝ご飯を食べ終え、一仕事終えている状態だったらしい。小泊さんはわざわざぼくとご飯を食べるために待っていてくれたのだそうだ。
「そういえば」
ぼくがふと思い出して尋ねた。
「昨日の夜、なんかあったんですか?」
すると真知さんが嬉しそうな顔になって教えてくれた。
なんと大徳屋さんが見つかったらしいのだ。
しかも驚くべきことにその第一発見者が池崎さんだったらしい。
池崎さんは昼間たっぷり寝た上に、お父さんが本格的に執筆モードに入ったので夜、手持ち無沙汰になったそうだ。
そこで真知さんと話して島の駐在さんと消防団で結成された大徳屋さん捜索チームにひまつぶし(というとアレだけど)で加わったらしい。消防団の人たちはかなりお年寄りが多かったので、まだ若い池崎さんの参加は歓迎されたみたいだ。
(でも、すごいな。旅行先の島でいきなりそんなことに首を突っ込むなんて)
好奇心旺盛な上にコミュニケーション能力も相当高くないとできやしない。
(しかも島民でもないのに行方不明者発見なんていう大手柄も立ててきてるし)
だから、帰ってきてお父さんとお祝いの宴会をしたのかもしれない。大徳屋さんは会ったこともない人だけど、無事な知らせを聞けたのは本当に良かった。
「で、けっきょく、どこにいたんですか?」
そう尋ねると真知さんも首を傾げた。
「わたしも詳しいことは分からないの。池崎さんが起きたら色々と聞いてみるといいわね。私も知りたいし」
真知さんはさらに説明を加えた。
「それと頼子さん――大徳屋さんのおかみさんね、は命に別状はないけど念のため診療所で静養しているの。だから、お客さんの受け入れは難しくなったので、流時くんたちは引き続きここに泊まってね」
「あ、それは」
すごくありがたい。
けど、良いのだろうか?
そんな心配がぼくの顔に浮かんでいたのだろう。真知さんは朗らかに笑った。
「だいじょうぶ。池崎さんと昨日、話し合って多少、割り引いた形でも、きちんと宿代をもらうことにしたから。だから、あなたたちは正式にうちのお客さまですよ」
「そうか――なら、よかったです」
ぼくが横を見ると小泊さんが顔を赤らめ、ふいっと横を向いた。
早く慣れてほしい……。
そこで真知さんは柱時計を見上げて、腰を浮かせた。
「あ、いけない。そろそろダイビングショップの方に顔を出さないと。流時くんも、気が向いたらお店に遊びに来てね」
そう言って真知さんは部屋を離れた。
ぼくは人見知りを全開で発動させている小泊さんと取り残されて、とりあえずもくもくと朝ご飯を食べることに専念した。
とても美味しい。
一口ごとにしみじみとする。
蝉の声がはっきりと聞こえ、今日も暑くなるんだろうな、と予感した。
朝食を食べ終え、お皿を台所に運んで洗い物をすることにした。
「お客さんだから別にいいのに」
小泊さんはそう言うけど、お金を払って宿に泊まっているというより、なんだか親戚の家に遊びに来たみたいな感覚なので、お手伝いでもしないと落ち着かないのだ。自分の家でも家事はお父さんと分担でちゃんとやっていた。
流し台に小泊さんと並び、ぼくが洗って、小泊さんがフキンで拭く流れができた。
「今日はなにするの?」
思ったより早く人見知りモードが薄れてきている小泊さんがこちらを見ずに聞いてきた。
「そうだね」
ぼくは考える。
「逆になにがおすすめかな?」
小泊さんはこの島の見どころをすらすらと挙げていった。
「昨日と違う海水浴場が二つ。一つは海洋生物がものすごくたくさん、観察できる。展望台に行く。絶景過ぎて移住してきた人がいるくらいキレイ。山をハイキング……は、一部、通れない道もあるけど、探検みたいでおもしろい。おばさんのところで体験ダイビング。これもキレイすぎて引っ越してきた人がインストラクター。あとは秘密の温泉でお風呂。それと資料館? 行きたがってたよね? あそこなぜか卓球台とボーリングが一レーンだけあるよ」
「す、すごいね。なんか本物のガイドさんみたい」
「観光客がたくさん来る宿の娘だから!」
小泊さんが軽く胸を張る。
ぼくはそこで改めて確認しなければならないことに気がついた。
「あのさ、小泊さんはだいじょうぶなの? ぼくと付きあって」
「つ、つきあう?」
「あ、いや、ちがう! そういう意味じゃなくて、予定はないの? 友だちと遊んだりとか」
その時、小泊さんがひどく哀しそうな顔つきになった。
あれ?
もしかしてまずいことを聞いたかな。小泊さんはとつぜん驚くようなことを言い出した。
「この島には今わたししか小学生はいないよ」
「え?」
「だから、わたしには友だちがいないの」
「そ、そうなのか」
「うん。海での野外授業の最中、みんなクジラに食べられちゃって」
ん?
「――もしかして、またぼくをからかってる?」
そう薄目で尋ねると、
「うん」
小泊さんはくすくす笑いながら頷いた。
「でも、今、子供がこの島にあまりいないのはほんとう」
それから小泊さんはその理由を教えてくれた。この島の子供たちは夏休みに引率の大人何人かと島の外へグループで旅行に行くのが慣例らしい。小中学生合わせても二十人ちょっとくらいなのでそういったことが可能なのだそうだ。
で、今年はその旅行先がディズニーランドだったのだけど、大喜びしている他の子たちと違って、小さい頃、一度、行って迷子になり、なおかつ人酔いしてあまり良い思い出のなかった小泊さんは迷わず居残ることに決めたそうだ。
「だから、今のわたしはとってもフリー。流時くんの専属ガイドにだってなれる――うれしい?」
そう聞かれ、
「う、うん」
思わずそう頷いてしまった。
そういう意味でこの島に来る道のりで小泊さんと出会えたぼくはラッキーだったのかもしれない。
「あれ?」
一つ気になった。
「でも、あの船に乗っていたよね? なんで?」
すると、その問いに、
「ちょうどおばあちゃんの病院の付添があったから。みんなの見送りがてら本土までは一緒に行ったの。ついでに買いたい服とかお土産にしたいお菓子とかもあったし」
小泊さんはそう説明する。
〝病院〟と聞いてつい心配になって、
「おばあさん、どうしたの? 足が悪い、とは聞いていたけど」
小泊さんは笑って首を横に振る。ぼくが渡した最後の食器をフキンで拭きながら、
「ただの定期検診。おととしくらいに少し大きな病気をして、それは完全に治ったんだけど、定期的に都内の総合病院に通って診てもらっているの。島の診療所だけでは難しいから」
「そうか」
「診療所の先生はいい人なんだけどね」
改めて島の暮らしはそういう部分が大変なんだろうな、と思った。
これは、という買い物をするためや病院に通うためにも船に乗らないといけないのだから。しかも何時間もかけて。
「それで、今日はなにするか決まった?」
小泊さんが食器を棚にしまい終え、振り返りながら聞いてくる。
ぼくははっきりと頷いた。
「うん。まず」
「まず?」
「一緒に夏休みの宿題を片付けよう! そして、終わったら心おきなく遊ぼう!」
当然、必要な勉強道具は全て島に持ってきている。
小泊さんが少し冷めた顔つきになった。ふいっと横を向いて、小さな声でぼそっと、
「――ゆーとーせー。つまんない~」
そう言ってたけど、聞こえないフリをした。
だって絶対その方がいいでしょ?
きちんと確認していなかったけど、やっぱり小泊さんはぼくと同じ小学五年生だった。朝ご飯を食べていた長机で二人分の夏休みの宿題を広げた時、使っている教材がほとんど一緒だった。
小泊さんはぶつぶつ言ってたけど、一度、手をつければ問題を解くこと自体は早くて、ぼくと同じくらいのタイミングで一日分のドリルを仕上げていた。
そしてやるべきことを終えたぼくたちは一度、準備のために各自の部屋へ戻ってから玄関で再集合することにした。
「お待たせ」
一階の廊下の奥から現れた小泊さんはさっきまでの短パンとアニメプリントのTシャツではなく、コバルトブルーのシャツにミニスカートという姿になっていた。大きな赤いリボンを頭につけていてそれがとても可愛い。似合っている。
ドキドキしながら一緒に外へ出る。
「あつ」
やはり外に出ると熱気が凄かった。ちょうどその時、日傘をさした小泊さんのおばあさんがゆっくりとこちらに歩いてきた。やっぱりほんの少しだけど右足を引きずるような歩き方だった。
「おはようございます!」
ぼくが頭下げると、
「おはよう。あついわねえ」
おばあさんはぼくを見て笑いかける。
「ちょっと隣にいっただけでもう息切れ。汗びっしょり。あなたたちもどこかに出かけるの?」
「はい。小泊さんに島を案内してもらおうと思ってまして」
「そう。美津亜ならだいじょうぶね」
そこでおばあさんはなぜかちょっと挙動不審な様子になっていた小泊さんを見つめ、目を丸くした。
「美津亜、あなたずいぶんとおしゃれなカッコウを……ああ」
ぼくを見て、
「ああ。うん。なるほど。そういうことね」
「もう。いい。おばあちゃん。もう。いいから」
小泊さんは顔を赤くしておばあさんの背中を押し、玄関に押し込もうとする。
そして本当におばあさんを家の中に入れると後ろ手に扉を閉め、
「かんちがいだから!」
頬を真っ赤にして叫んだ。ぼくはドギマギして、
「な、なんのこと?」
あくまでなんにも分かってないような顔をした。小泊さんはいったん拍子抜けたように肩を落としたがすぐに、
「とりあえず行こう!」
これ以上、なにか起こる前に家から離れようとした。
しかし、その時。
「そうだ。美津亜」
再び玄関の扉がスライドした。小泊さんのおばあさんがやや心配げな顔を覗かせ、呼びかけてくる。
「念のため。分かってるとは思うけど、入難の方には行っちゃダメだからね。通越の道全体ね」
小泊さんは上の空で、
「はいはい」
そう生返事をしたら、
「美津亜!」
ぼくと小泊さんが思わずびくっとして振り返るくらい強い口調でおばあさんが叱責した。
そして自分の語気の荒さに自分で驚いたかのように口元に手を当て、
「ごめんなさいね。でも、心配で」
「だいじょーぶだよお、おばあちゃん。入難なんかわざわざ行かないってぜったい」
小泊さんは不服そうに口を尖らせている。
ぼくも口添えをした。
「すいません。なんのことだかあまりよく分かってないですけど、立ち入り禁止のエリアがあるならぼくらは絶対、そこには入らないですから」
ぼくはそういうタイプではない。間違いなく。仮に小泊さんが入ろうとしたらひっ掴んででも止めるタイプ。だって、どうせ優等生だもん。
そのとたんおばあさんはほっとしたように、
「うん。余計なことを言ってごめんなさいね。おばあちゃん良くなかったね。たくさん楽しんできてね」
そう言って取りつくろったように笑みを浮かべると室内に首を引っ込めた。扉がかちゃっという音を立てて閉まる。
ぼくはすでに歩き出していた小泊さんの背中に向かって尋ねた。
「おばあさんが言ってたのって、一体どういうこと? なんで入難ってところには行っちゃダメなの?」
すると小泊さんが立ち止まって振り返った。手を広げながら、なんでもないことのように、
「あー、あれね。ひと月前の大きな台風で山の上の一部で土砂崩れが起こったの」
「え?」
「ううん。別に被害にあった人もいないよ。ただ危険だから、その辺りが今は立ち入り禁止になってるってだけ。最近、建設会社の人たちが来て復旧工事をしている」
そう言えば港で作業服を着た男の人たちの一団を見た気がした。
「なるほど……そういうことなのか」
聞かされてみれば、ごくなんでもない話だ。
これから遊びに出かける孫に危険な場所へ近寄らないよう念を押すのは祖母とすれば当たり前の行為だろう。
でも、そのことを伝えてきたおばあさんの表情が妙にぼくの頭から離れなかった。
気のせいか。
ほんの少しだけ。
怯えているようにも見えたんだ――。




