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4話 小泊さんと海水浴

 宿(正確には小泊さんの家だけど)に戻ったぼくは二階まで駆け上がった。神社の狛犬を見て感じていた変な妄想はもう薄らいでいる。


 廊下を歩き、自分たちの部屋に近づいたあたりで早朝、船の中でイヤというほど聞いた音が聞こえてきた。


 すっと障子を引くとお父さんがパソコンの前でちゃぶ台に突っ伏したまま、池崎さんがタブレットを手に抱えて畳の上で、それぞれ思いっきり眠っていた。


 いびきのアンサンブルを奏でている。


「……」


 ぼくが思っているよりオトナって気楽な立場なのかもしれない。


 ぼくは二人を起こさないよう、水着や水中ゴーグル、タオル、ビーチサンダルなどが入った袋を自分のリュックから取り出す。少し考えてお父さんの鞄から日焼け止めも拝借して、ぼくは足音を忍ばせ、部屋を出た。


 一階の広い玄関で小泊さんを待っている間、日焼け止めを腕とか首筋にいっしょうけんめい塗っていると一階の廊下の奥から小泊さんがやってきた。


「なにやってるの?」


 小泊さんは驚いたことに、もう水着に着替えていた。


 多分、学校指定の水着の上に青いシャツを羽織っている。肩にはリュック。手には水中眼鏡やシュノーケルを二セットほど引っかけていた。


「あの」


 真っ白な足が薄暗い廊下に浮かび上がっていて少しドキドキした。


「日焼け止めを」


「そうじゃなくて」


 小泊さんは言う。


「なぜ、水着に着替えていないの? ふつー、家から着がえていくもんでしょ?」


「え? そ、そういうものなの?」


「うん。そーいうもの。あとこどもで日焼け止め使ってるの、初めて見た」


「で、でも、日に焼けると将来、皮膚ガンとかに」


「むだだよ」


 小泊さんはきっぱりと言う。


「この島の日差しは日焼け止め程度じゃ絶対に止められない」


 ならなんで小泊さんは比較的、色が白いんだろう?


「ほら、行こう。海水浴場に着替えられるスペースあるから」


 小泊さんは玄関の上に降り立つとサンダルを突っかけ、手を差し招いた。


 ぼくは頷き、小泊さんと一緒に海へと向かうことにした。


 その海水浴場は歩いて十分くらいのところにあった。


 木々が枝を張り巡らして自然のトンネルのようになった緩い坂を登り、今度は岩の間に掘られた本物の短いトンネルをくぐり、汗を掻きながらもう一度、青い空と白い雲の下へと戻る。


 眩い光。海の気配がする。


 ぼくは小走りになり、高台となっている箇所から柵越しに身を乗り出した。


 そこにはコバルトブルーの海と見たことがないくらいきれいな砂浜が広がっていた。


 視線を動かさなくても全体が見渡せるほどのこじんまりとしたビーチ。入り江がちょうど三日月の形になっていて、左右から伸びた岬が海水浴場を半円状に取り囲んでいる。


 手前には海の家らしい施設もあった。


「泳げるのはあそこまでね」


 隣に並んだ小泊さんが真っ直ぐに前を指さした。


 ぼくはかなり目が良いので、岬と岬の間を渡すように浮き具とロープで仕切りができていることが分かった。


 そこら辺りの海の上をライフセイバーらしい人がゆっくりボートを漕ぎながら移動している。


 真珠のように白い砂浜には赤と青の縞模様のパラソルが規則正しい間隔で開かれていて、海水浴に来ている人たちがたくさん見えた。


 海で泳いでいる大人、大きな浮き輪に乗ってはしゃいでいる子供たち、シュノーケリングをしているカップル。


 ぼくも早くその輪の中に加わりたい。


「さ、行こう」


 小泊さんがそう言って身をひるがえすとビーチへと降りていける階段に向かって駆け出した。ぼくも頷き、それに続いた。


 身体の奥からわき起こってくる興奮で思わず叫んでしまいそうになっていた。


 ビーチの外れに無料の更衣室があったので、ぼくはもどかしい気持ちで水着に着替えた。靴も脱ぎ、サンダルに換え、眼鏡はケースに入れて外に出る。


 戻ってくると小泊さんは、


「へえ」


 眼鏡のないぼくの顔をしげしげと見て、


「そんな顔なんだ~」


「いや、そんな違いないでしょ?」


 ぼくが笑って突っ込む。


 小泊さんはあまり聞いておらず、


「おじちゃん、パラソル借りるね」


 海の家でかき氷を削っている坊主頭のおじさんに向かって声をかけていた。


 おじさんは無言で片手を上げる。小泊さんは一番、近くに建っていたパラソルを背伸びしながら開こうとしていた。


「あの、よく分からないんだけど、こういうところって場所を借りるだけでもお金がかかるんじゃないの?」


 ぼくはパラソルの柄が動かないよう手伝いながら小泊さんに対してそっと小声で尋ねた。


 小泊さんはなんでもないことのように答える。


「うちのショップ、シーズン中、ここのパラソル一個ずっとキープしてるの。今日はわたしが使うって真知ちゃんにも許可取ってある」


「はあえ」


 感心して変な声が出てしまった。


 赤と青のパラソルがしっかり開くと小泊さんは一歩、下がってその仕上がりを見つめ、満足げに頷き、荷物を日陰の下にかき集め、置いた。


 それから、


「海」


 振り返り、にっと笑い、サンダルを脱ぎ、足の裏をリズムよく反対側の足のふくらはぎに擦りつけていくような変な歩き方で波打ち際へと進んでいく。


 ぼくも裸足になって小泊さんを追いかけながら理由を理解した。


 とにかく砂が熱い!


「あつ! あつ!」


 小泊さんよりもっと不格好にぴょこぴょこしながら透明な海の中に足を突っ込んだ。その瞬間、ちょうど波が打ち寄せてきて、ぼくの膝下まで一気に海水が包み込んだ。


 冷たい!


 びっくりするほど海の水は冷たかった。流されてきた白い砂がむにゅうっとぼくの足指の間に入り込んできてこそばゆい。


 煌めく太陽の下、ぼくらはしばらくそのまま真っ直ぐに前へと歩いていく。


「うわ、うわ」


 波の満ち引きで身体が揺れ、自然と笑いがこぼれた。


「はい」


 ちょうど自分たちの腰くらいまで海が深くなった辺りで小泊さんがずっと持っていたシュノーケルのセットを差し出してきた。


「使い方は分かる?」


 小首を傾げながら聞いてきたので頷いた。


「まあ、だいたいは」


 海で使ったことはないけど、川でなら多少、経験がある。小泊さんが少し意外そうにしていたので苦笑した。


「だから、そんな都会っ子じゃないんだってば。それなりに自然豊かで育ってきたんだよ」


「山と川系?」


「山と川系? うん。まあ、そうなのかな?」


「意外」


 小泊さんはゴーグルをつけながら小さく笑う。


「見た目は完全に都会のお坊ちゃま」


 それは――けなされているのだろうか?


 ぼくはその言葉の意味を考えながらゴーグルとシュノーケルを頭にセットした。


 既にシュノーケルをくわえていた小泊さんがゴーグル越しに目で合図をしてくる。


 ぼくは身体をゆっくりと海水に浸すようにかがみ込み、両手を広げて慎重に顔を海面に沈めていった。その間、小泊さんは一瞬でくるんと逆さ向きになると海の中へ消えていった。


 くっきりとした視界を確保したまま、ぼくは腹ばい状態になり、水に全身を委ねて完全に浮いてみる。


 驚いた!


 海の透明さが光を抱え込み、全部が輝いて見えた!


 小さな小石も、ピンク色の貝殻も、身体のすぐそばを閃くように泳いでいく青い小魚も。


 海底の白い砂浜には黄金の波紋が描かれていて、それが波の動きにあわせて規則正しく、よじれるようにくねり、ほどけるように揺れる。多分、光が差し込んでくる時に海面で屈折しているからそう見えるんだ。


 すぐ真下を大きな魚が三匹連れ添うようにすり抜けていったので思わず泳いで追いかける。


挿絵(By みてみん)


 シュノーケリングで息をしていることも忘れ、ぼくは夢中になって美しい海の景色を眺め続けた。手足をかき、休み、また移動する。


 ふと。


(あ、いけない! 小泊さんは?)


 思い出して慌てて上半身を起こした。ぼくはまだ意外なくらい浅い場所にいた。すぐ隣に小泊さんが立っていてこちらを見ていた。


「どう? 島の海」


 どうやらちゃんとぼくがシュノーケリングできているかずっと見守ってくれていたようだ。


 ぼくは思ったままの感想を言った。


「さいこー!」


 小泊さんが顔をほころばせた。


 手結島の海は本当に〝さいこー〟だった。


 ぼくたちは海で楽しく遊び続けた。


 頑張って入り江の入り口まで泳いでいき、岬の先端に立って海に飛び込んだ。小泊さんがボートの上に乗った顔見知りらしいライフセイバーのお兄さんに挨拶すると向こうも手を振り返してきた。


 ぼくがそれなりに上手く頭から飛び込んだので、


「やっぱり川の子だったんだね」


 小泊さんはようやく納得してくれた。


 それから小泊さんは海の底まで潜って、大きな生き物を捕った方が勝ち、というゲームを提案してきた。


 やってみたら案外、面白かったけど正直なところ、小泊さんがすくい上げてきたなまこがあまりに巨大すぎてぼくは若干、引いてしまった。


 結局、ぼくは手のひらサイズの巻き貝しか捕れず、小泊さんはなまこを片手に得意げだった。


 小さな入り江なのに見て回ると本当に色々な生き物がいた。


 程よく疲れを感じたタイミングで海から上がり、パラソルの下で一休みする。


「はい」


 小泊さんが持ってきていた大きな魔法瓶から麦茶を注いでぼくに渡してくれた。


「ありがとう!」


 プラスチックのカップから冷たい液体をぐびぐび飲んだら身体が一気に潤った。自覚がなかったけど相当、喉が渇いていたみたい。


 スマホで時間を確認するともう昼過ぎだった。小泊さんと海へ行くことはグループLINEで報告していたけど、お父さんも池崎さんもずっと未読状態のままだった。


(もしかして、まだ寝てるのかな?)


 お昼どうしようか、と少し考えて、ぼくは海の家の方に首を巡らした。


 そちらの方から焼きそばやらカレーやらが入り交じった空気が漂ってくる。よい匂いすぎて、思わず唾がわいて、お腹がぐうっと鳴る。


 それと同時に声に出していた。


「ねえ、小泊さん、良かったらお昼、そこの海の家でなにか買わない?」


「……」


「あ、お金はぼくが払うよ!」


「……」


「えっと、今日は小泊さん、海を案内してくれてるじゃない? で、できたら別の日もぼくを色々と連れてってほしいんだ。なので、そのお礼というか、なんというか」


 目を左右にきょろきょろさせていた小泊さんが首を縦にこくこくと何度か振った。


 どうやらぼくの意見に賛成してくれたみたいだ。


 ほっとして、


「なら、なにがいい?」


 そう尋ねると小泊さんは、


「カレー。そういうことなら断固として、カレー!」


 と、拳を握って言うので、ぼくもそれに乗っかることにした。


 正直なところおこづかい的には少し痛かったけど、ここはお父さんがよく言う〝必要な経費(取材なんかに使うお金なのだそう)〟なのだと割り切って、財布のひもを緩めた。


 午前に引けを取らず、午後も色々と楽しかった。


 まず海の家の特製カレーは美味しかった!


 とろみのあるスパイシーなルー。ほくほくしたジャガイモと甘いニンジン。それに豚肉。ぼくも小泊さんも競うようにして平らげた。


 容器を海の家に返し、パラソルの下でぼんやりと海を見ているうちにぼくはうとうとしてしまい、気がつけば少し眠ってしまった。


 その間、小泊さんはぼくの身体の上に思いっきり砂を乗せてせっせと固めていた。うたた寝の最中、クジラにのしかかられる夢を見て、焦って跳ね起きたら、小泊さんはこちらを見て、けらけら笑っていた。


 やっぱり変な子だ。


 それから海もまた入ったし、岩場に移動して生き物の観察もした。ただこの辺りから昨日の寝不足と旅行先での緊張感、そして泳ぎ疲れで少しずつ記憶が曖昧になってきた。


 たっぷりと遊び、少し日が傾きかけた頃、着替えて宿に帰った。


 小泊さんに隠れてこまめに日焼け止めを塗っていたけど、首筋や背中がぴりぴりして、これはお風呂に入ったら絶対に染みるだろうなあ、と考えながらふらふら歩いた。


 帰り道、小泊さんはずっと上機嫌に鼻歌を歌っていたから、やっぱり地元の子は強いな、とか思っていた。


 部屋に戻るとお父さんと池崎さんはもう宴会を始めていた。


「おう、女の子と二人っきりで海水浴とはやるじゃないか。さすが俺の息子!」


 とか、言ってきたので冷たく、


「仕事は進んだの?」


 と、聞いたら、


「進んだ、進んだ! なあ、駿介?」


 いかにも寝て起きて、今日一日なにもしていなかった人の顔だった。


 池崎さんはただ、


「かんぱーい!」


 げらげら笑ってビールを口元に運んでいた。


 その後、お風呂もお借りして、食事も頂いたけどこの辺りで目が半分、閉じていて、もうほとんど覚えていない。欠伸も止まらなくなっていた。


 辺りが暗くなってきた頃、小泊さんが、


「で、どれをやる?」


 UNOと見たことのないボードゲームとなぜか怪談の本を持って部屋に遊びにきてくれたけど、


「ごめん。また明日しよう」


 目を擦りながら断るので精一杯だった。


 自分でどう布団を敷いたのか、いつそこに潜り込んだのか全く記憶が無かった。


 気がつけばすうっと意識が遠のいていて、ぼくは深い海の底のような眠りに落ち込んでいった。


 身体がずっと波のリズムで揺れているような気がしていた。


 夜。


 ふと目が覚めた時、部屋の電気は消えていた。


 けれど真っ暗ではない。半分まどろんでいたけれど、すぐに分かった。


 お父さんがパソコンに向かって、一心不乱にキーボードを叩いていたのだ。その明かりが、ふんわりと闇の中に浮かび上がっている。


 お父さんは集中している時の癖で、顔に引きつったような笑いを浮かべていた。ちゃぶ台の前であぐらをかき、猫背で画面を覗き込み、ずっと楽しそうに指を踊らせて、物語をつむいでいた。


 どうやら昼間、じゅうぶんエネルギーを蓄えていたので、今それを爆発させているのだろう。


 創作をしている。


 小説を書いている。


(よかった……島に来て)


 お父さんのその様子をもっと眺めていたかったけど、またぼくは抵抗できない睡魔に引きずり込まれていった。


 明日はなにをしようか。


 それが最後に頭に思い浮かんだことだった。


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