23話 神域へ
先頭はさすまたを持った池崎さん。なぜかずっと小さく鼻歌を歌っている浅永。かなりきつい傾斜の坂で、ずっと息を切らしているスティーブン。真ん中に美津亜ちゃん。ぼく。最後は池崎さんと同じようにさすまたを握り、すう、はあっと大きな呼吸を繰り返しているお父さん。
そんな並びでぬかるんだ細い山道をもう三十分くらい歩いている。
雨は完全に上がり、月が空の上から煌々とした明かりを地上に投げかけているけど、頭上に生い茂る木々の枝が邪魔して、辺りは足下さえおぼつかないほどずっと薄暗い。
ランプや懐中電灯の用意もあったけど、用心のためぼくたちは点灯していなかった。
だから、正直なところ誰かが別人に入れ替わっていても気がつけないような状態だった。
美津亜ちゃんの小さな背中だけはずっとはっきりと見ていたけど、先頭の二人はスティーブンの巨体に隠れて足音や鼻歌でしか存在を感じられなかった。
木の根や岩が剥き出しの細い道は本当に険しく、体重の重い大人たちだけではなく、ぼくも美津亜ちゃんも前に進むのに結構、苦労していた。定期的に後ろのお父さんを振り返って、ちゃんとついてきているか確認するのが精一杯だった。
ふいにいくら池崎さんが注意しても止まなかった浅永の鼻歌が止んだ。
その代わり暗闇から質問が投げかけられる。
「……しかし、あんたらも随分とお人好しだね。自分たちでもそう思わないかい?」
誰もなにも答えない。
「船かなんかでとっとと沖合にでも逃げちまえば良かったのに。この島の部外者なら、〝変じて、奈落の底に連れ去られる〟こともあるまいに」
その口調はからかうようでありながら、ほんの少しだけ感心しているような響きがあった。
「……師匠の、責務。私は、引き継いだ、弟子ですから」
しばらくしてスティーブンが荒い息と共に言う。それで反応する気になったのか、
「乗りかかった船!」
池崎さんが短く叫んだ。
「こどもの前だ。逃げる姿を見せちゃイカンでしょ」
お父さんが小さな笑い声と共にそう答え、
「あと、すまん。そろそろ限界。少し休ませてくれ」
そう要求した。きっと誰かがそう言い出すのを待っていたのだろう。みんな、どこかほっとした感じで足を止め、それぞれ持ってきていたペットボトルから水分を補給したり、露出した岩に腰を下ろして呼吸を整えたりし始めた。
「……さっきから手つなぎ鬼の気配が全くないけど、このままオヤシロまで無事で辿り着けるかな?」
池崎さんが言うと、
「そうはいかないだろうな。な? 流時。坊主。おまえも感じているだろう? 大口喰神が舌なめずりをしてこちらを見ているのが」
おかしそうな笑い声がぼくを名指してきた。ぼくは答えない。
「流時? どういうことだ?」
お父さんに促されて渋々と、
「テユイさまは比喩的に言うと目がとても悪いんだと思う。だから、島に長年、住んでいる人をようやく認識できる。島で暮らしの浅い子供とか島の部外者はほとんど視界に入っていない」
ファイルから〝感覚的〟に得た情報を口にする。
「なるほど。だから、美津亜ちゃんや俺たちは手つなぎ鬼に変わらなかったんだな。見えていなければそもそも〝呼ぶ〟こともできないからな」
お父さんの呟きにぼくは不安な気持ちで付け加えた。
「でも、近づけば近づくほど、どうなるか分からないよ。さっきからイヤな予感がすごく強まっているんだ。ちょっと止まっているのがしんどいくらい」
「そうか」
池崎さんが腰を上げる気配があった。
「なら、もう一踏ん張り、一気に登っちまおう。あともう少しなんだろう、スティーブン?」
スティーブンはふうっと重たい息をつき、
「あなたの言う通りですね、シュンスケ。あともう少し。ファイト、ファイト!」
その時、ごく自然な、なんでもないことのような口調でお父さんが言った。
「じゃあ、俺はこの場に残らせてもらうわ」
「え?」
ぼくではなく、美津亜ちゃんが驚いて振り返っている。ぼくは身を震わせていた。お父さんがこれからなにを言うのかもう理解していたから……。
「いや、しんどくてこれ以上、歩くのがイヤだから、というのは冗談でさ、ずっと後ろの方からだけど複数の足音が聞こえ始めているんだ。たぶん、手つなぎ鬼が追いかけてきているんだろうな」
「センパイ!」
「ま。ここで待っているのも芸がないし、こっちからお出迎えに行ってやろうかな」
お父さんはさすまたを支えに〝よいしょ〟と立ち上がると池崎さん、スティーブン、美津亜ちゃんと順番に呼びかけ、
「駿介! あとの引率、頼んだぞ。スティーブン。終わったらまた酒を飲みましょう。美津亜ちゃん。流時の面倒、見てやってくれな」
最後にぼくを見て笑った。
「流時――またあとでな」
ぼくは唇を噛んでただ頷いた。泣くまい、とだけ心に決めていた。
「よし! 俺の杖術がまだ錆びついてないところを一つ見せてやる!」
お父さんはそう宣言するとこちらに背を向け、軽やかに坂道を駆け下りていった。
「くそ。あのおじさん、時々、カッコいいんだよなあ」
池崎さんが鼻を少し啜りながら笑い、
「急ぐぞ、みんな!」
鼓舞する。お父さんの想い。少しでも手つなぎ鬼を足止めしようとする覚悟に全員が応え、走り出した。
息苦しく、滝のような汗が流れ落ちる。それでも皆は足を止めなかった。そしてぼくたちはようやく坂道を登り切ったところで、
「ちょ、ちょっとごめんなさい」
スティーブンが限界を迎え、ぬかるんだ地面に直接、手と膝をついた。ぜえ、ぜえ、と苦しそうに息を荒げている。無理もない。
スティーブンより遥かに身軽なぼくや美津亜ちゃんも疲労のために中腰になったり、近くの木に背をもたせて肩で息をしていた。
「申し訳ない――申し訳ない」
スティーブンが小刻みに咳をしながら、何度も繰り返し謝る。さすまたを杖代わりにして呼吸を整えていた池崎さんがなだめた。
「仕方ない、よ。少しペースが速すぎ、たな」
その時、軽く汗は掻いているものの、ただ一人、平然としていた浅永がニヤニヤ笑いながら言った。真っ直ぐ前方に向かって指をさし、
「ははは、けど、もうあんまり休んでいる時間はないな~、残念ながら」
それを見て、ぼくは本当に絶望で目の前が真っ暗になった。今、ぼくたちがいる場所は木々がまばらになったちょっとした空き地みたいになっているのだが、その境界となっている木々の切れ目から手をつないだ幾人もの人たちがぬらぬらと這い出てきているのだ。
冴え冴えとした月光に照らされて、人々の虚ろな表情やこちらに向かって差し伸ばされた指先まではっきりと分かる。
「大口喰神め。とうとう俺たちを見つけて、兵隊を繰り出してきたか」
浅永が面白そうにくくっと肩をふるわせて笑う。池崎さんがさすまたを構え直して呟いた。
「つまり、あいつらの間を無理矢理にでも突っ切らなければならないってことだな」
その直後、声を張り上げる。
「みんな! 僕から離れないように!」
その瞬間、いつの間にか立ち上がっていたスティーブンがぼくと握手をしてきた。
いや、握手じゃない!
はっとして自分の手の平を見る。そこにはバーベキューの時に見た紫色の包みがあった。大上雅也の代理の証しである代行印。
黄泉の戸を封じる大事な切り札をスティーブンはぼくに握らせてきたのだ。
にこっと笑っていた。
「あなたに託します」
ぼくがなにか言う前に、
「来たぞ! 駆け抜けろ!」
池崎さんの声が辺りに響いた。見れば四本の人の鎖がこちらに殺到してくるところだった。
そこから先は無我夢中だった。
本来なら、ぼくたちは為す術なくあっという間に捕まっていただろう。
最初の集団だけでなく、次から次へと新たな手つなぎ鬼たちが林の切れ目から出現してきた。
その数は百人を超えていたかもしれない。
こんな状況だったら、どんなに機敏でも、どんなに力があってもやがて包囲され、逃げ場を失っていただろう。
だけど、池崎さんは凄かった。
その密集具合を逆に利用したのだ。
さすまたは最低限の使い方に留めた。つまり先頭の人間の足を絡め取り、突き転ばすためだけに振るったのだ。
すると後続の人たちが横倒しになるか、最低でも姿勢を大きく崩した。その間に立ち位置を変え、別の集団を同じように横転させ、襲いかかってくる他の手つなぎ鬼の壁になるようにしむけた。
その結果、互いが互いの邪魔になり、手つなぎ鬼たちはさらに折り重なり、もつれあった。
手をつないでいる以上、一度、倒れ込むと再び立ち上がるのに時間がかかる。その弱点を目一杯、利用し、池崎さんは叫んだ。
「走れ! 走れ!」
ぼくたちは押し迫ってくる手つなぎ鬼たちの間を縫うようにして必死で駆けた。
喉が恐怖で干上がり、心臓が痛いくらい脈打っている。いくら池崎さんが奮戦しても、後から後から手つなぎ鬼たちが湧いて出てくる。その虚ろな目。微かな呻き声。体温さえ間近に感じられる。もうダメだ、と思ったのも一回や二回じゃない。
ぼくも美津亜ちゃんもジャンプし、後ろに飛び退き、横にステップし、突き出される無数の手を辛うじてかわし続けた。
そしてなぜか一瞬、その圧力が緩んだので、ぼくは首を巡らせた。
浅永はいつの間にか思いっきり先頭を走っている。池崎さんがぼくの少し前。美津亜ちゃんが真横。後ろを振り返ると――。
(スティーブン!)
ずっと遅れた位置にスティーブンがいて、なんと手つなぎ鬼を二列、自分から抱え込んでいた。左右の腕で、まるで二匹の大蛇を締め上げるように、それを構成している人たちの胴をがっしり羽交いじめにしている。
一瞬で分かった。
なんで自分たちが密集領域を突破できたのか。
スティーブンが自らを捨て石にして足止めしてくれたんだ。
二列の手つなぎ鬼は大きく広がるとまるで食虫植物が獲物を囲い込むようにスティーブンをぼくの視界から隠していった。
最後にスティーブンは、
「リュウジ! ゴー!」
そう苦しそうに吠えた。ぼくは前を向いて走った。我慢しきれなかった涙がとうとう頬を伝わった。




