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22話 決意

 「もう色々ありすぎて、ねえ」


 池崎さんの感想がそれだった。困惑と軽い疲れの中にでも、まだ茶目っ気が残っている。


「……」


 お父さんは無言でぼくが渡したタブレットに目を落としていたけど、


「なるほど。俺にはただの文字化けにしか見えない。スティーブン」


 そのタブレットを後ろの席に回した。


 スティーブンがそれを受け取ると浅永がすごくイヤそうな顔で身をよじって距離を取ろうとした。


「気になっていることがあるのです」


 スティーブンはタブレットを操作しながら言う。


「この場所に車を止めてからもう小一時間ほどは経つというのに人の鎖を一切、見ていない。近寄ってくる気配もない。いくらこの場所が集落の死角にあるとはいえ、少しおかしくないですか?」


「もしかして」


 池崎さんがなにかを閃いたようで、


「みんな山に向かっているのかな? 俺たちのところにいた手つなぎ鬼たちがそうだったように。それこそテユイのオヤシロが呼んでいるとか?」


「私はその可能性を大変、憂慮しています」


 スティーブンは大きな吐息と共に、


「ダメです。私にも意味が全く分かりません」


 今度は浅永にタブレットを突きつけた。強い口調で、


「今度はあなたの番です。なんでもいい。某かの情報を得られるならぜひ、手伝ってください!」


 浅永はイヤイヤをするように首を横に振った。池崎さんが怒ったように言う。


「おまえな! いい加減にしろよ! この期に及んで!」


 だけど、浅永は絶対にタブレットを受け取ろうとしなかった。ぼくはほんの少しだけ溜息をついて、スティーブンの手からそれをもぎ取った。


「ぼくがもう一度、読みます。元々、そのつもりでした」


 今ならはっきりと分かる。


 これはぼくに与えられた責務だった。


「待て!」


 その時、お父さんが叫んだ。さっきまでずっと黙りがちだったけど、


「待てよ。なんで、流時、おまえなんだ?」


 バックミラー越しに視線が合う。その目に焦りの感情が浮かんでいる。


「おまえがやらなきゃならない理由はないだろう?」


 もしかしたら本当に生まれて初めて聞いたかもしれない。


「確かに昔からおまえには不思議な、俺には理解できないなにかが見えていたみたいだ。だけど、それは大きくなるにつれてなくなって。俺もお母さんもほっとしていた。なのに、なぜ、今になって」


 切羽詰まった声。


「そんなこと、変だろう? おかしいだろう?」


 お父さんはずっとぼくを案じてくれていた。


 何年もぼくの傍らに居続けていた。


 今、それがはっきりと再確認できた。


「お父さん」


 ぼくは嬉しいと同時に辛かった。お父さんの気持ちが痛いほど分かった。


「でも」


 さっきから美津亜ちゃんがぼくに見えないよう横を向きながら静かに涙を流していた。


 今はどこにいるのかさえ分からないけど、真知さんや土方さん、それに珠紀ちゃんがもう手つなぎ鬼になっている可能性は非常に高かった。


 そして自分もそうなるリスクを多大に秘めている。この優しくて、忍耐強い子は一切、そんな感情を見せなかったけど、ずっと心の中で怯え、苦しんでいたはずだ。


(この怪異をおさめてみんなを元に戻せる可能性があるのなら)


 少しでもその助けになるのなら。


(ぼくはやる!)


 そして禁忌のデータに再びアクセスを開始した。


 トゥラッタ、トゥラッタ、タルタタタルタタ。


 歌っている。


 タルタタタルタタル、トゥラル、タル。


 人間の様式や文化、認識と隔たりすぎている存在。蟻と同じ視点を持てないように。ウイルスと意思が疎通できないように。


 トゥウラルラッタ、ラッタ。


 ただ、言葉にあえてするならそれは確かに歌だった。遠い、遠い、神代の頃からここにいて、人を喰らって、喰らって、また喰らって、人の世に暗い洞窟の中に封じ込められたオソロシキモノ。


 〝彷徨える神〟のその一柱。


 ツウラッタララッタララッタラン。


 大口喰神――おおぐちくちばみのかみ。


 あるいは、テユイさま。


 自然の災害によってその重しとなっていたヤシロが崩れ、人口の減少によって鎖となっていた思念と祈りと記憶が解け、瞬きほど間の過去、叶わなかった〝大喰らい〟の宿願を再び果たそうと喜びと誘いの歌を歌う。


 この島に根づく全ての者たちを互いに結びつけ、撚り合わせ、長い、長い、一本の鎖と変じさせ、己の潜む、暗き、深き、根の国の底へと引きずり込む。

 夜と朝の裂け目。闇と光が切り替わる空漠の刹那に一人も余すところなく。

 トゥラッタラッタラッタトゥラッタ。


 ラントゥ。


 とうらんとう。


 神代が人の世に変わった頃から歴史の霧の中に潜み続け、人の世が今一度、神代に戻らぬよう務めていく。


 なだめ、納め、お帰り頂く。


 本朝の裏。闇の命脈。


 形のない組織。


 人を守るために、人を犠牲にする。


 神を護るために、神を黄泉の底に沈める。


 沈黙を尊び、人心を無知たらしめ、全てを白紙に帰していく。


 記録を許さず、探求を許さず、直視を許さない。


 使い人。


 本朝の守護人。


 不可視のエージェント。


 全ての鍵は。


「……だいじょぶ?」


 美津亜ちゃんにそう聞かれ、ぼくは前頭部辺りを押さえながら呻いた。


「うん、えっと」


 意識がぼんやりとしているけど、気を失っていたわけではない。あのタブレットに残っていたファイルの文章と映像を交互に見た結果、朦朧と――お酒を飲んだことは無いけど、多分、泥酔したみたいな状態になっていただけだ。


 今は少し気持ちが悪い程度にまで心と身体が回復している。ただ、それと関係なく混乱しているのは主に車内がよく分からない状態になっていたからだ。


 まず車が夜道を走っている。


 それはまあ、良いとして、


(なんで、みんな歌ってるんだ?)


 スティーブンが朗々とした美声で、英語の歌、確か『カントリーロード』という曲を歌っていて、それをみんなで合唱しているのだ。驚いたのは美津亜ちゃんも、それから、浅永も明るく、元気にそれに参加していたことだ。


「……流時くんが言ったんだよ?」


 美津亜ちゃんがこちらを横目で見ながら少しおかしそうに言う。


「テユイさまの歌を聞かないよう、誘われないようにするためには大きな声で歌うと良いって。歌には魔を払う力があるって」


「……」


 ぼくはゆっくりと頷いた。確かそんなことを言った気もする。こめかみを手の平で揉みながら思い出していた。


(それでも随分とみんなの雰囲気が変わったな。良い意味で軽くなった気がする)


 そこでその根本的な理由に思い至った。


(そうか。目指す場所が明確になったからか……)


 恐ろしい状況は変わっていない。でも、どうすれば良いかははっきりと見えてきた。


 思考が徐々にまとまり出す。


 そんな中、スティーブンが歌い終え、次の歌い手に美津亜ちゃんを指名していた。


「わたし?」


 美津亜ちゃんはちらっとぼくを一度、見てから少し恥ずかしそうに目を伏せたので、てっきり断るのかと思いきや、


「はい、歌います」


 顔を上げて、しっかりとそう述べたのでびっくりした。こんなシチュエーションなのに、ぼくは少しワクワクしてしまった。


(美津亜ちゃん、一体なにを歌うんだろう? アニソン? アイドル系の曲?)


 しかし、美津亜ちゃんが宣言したのは、


「おばあちゃんの十八番。津軽海峡冬景色」


 そして目をつむり、軽く両手を握り込み、スティーブンに負けないくらいの声量で歌い出した。


 車内の空気がびりびりと震える。


「!」


 ぼくは目を見開いた。お父さんたちは一瞬、沈黙した後、喝采を送った。


 本当にめちゃくちゃ上手だった!


(特にコブシっていうの? すっごくちゃんと演歌してる!)


 びっくりした。そしてその時、ふと視線を感じて首を巡らすと、浅永と目が合った。もうサングラスをかけておらず、どこか幼く、気の弱そうな印象になっていた。


 そして、浅永は一瞬、にやっと笑うと、すぐに何事もなかったかのように美津亜ちゃんの歌に手拍子を合わせ始めた。


 ぼくは目を細めて、その横顔を睨み続けた。車が走り続けている間、ずっとそうしていた。


 車が目的地に着くと自然とみんな歌うのをやめた。緊張感がまた戻ってくる。


「ここからは人の鎖を引きつけてしまう可能性があります。なので、皆さん、なるべくお静かに。ただ」


 スティーブンが苦笑気味に言う。


「まあ、オヤシロまでは山道を一時間近く歩きますので、そこまで神経質になる必要はないと思いますが」


 ここは森の中のちょっとした空き地になっていた。その切れ目から細い山道が延びているのが分かる。


 ここまでは車。


 残りは人の足で進むしかない。


「改めてですが……あなたはちゃんと自分の役割が分かってますよね?」


 スティーブンが浅永に対してやや威圧するような声で尋ねた。浅永はへらへらと笑う。


「分かってるよ、俺が代行印つうのを持っているあんたと洞窟の中に入ればいいんだろう? んで、少し進んだ先に封印のための儀式的な門があるから、それを閉じれば万事、オッケーなんだよな?」


 車内には戸惑いと苛立ちの空気が流れる。それを察したのか浅永は軽薄に続けた。


「だって、仕方ねえだろ? 俺だってリスクは分かってるけどよ、このままだと、ただただ捕まっちまうだけだし……まあ、人生で一度くらいヒーローになるってのも悪くないんじゃねえの?」


 鍵はこの浅永だった。


 島の神社に連なる血を引く者が大上雅也の代理である証しを持つことによって、本来ならくぐれない異界への扉を通り抜けられる。


 そしてテユイさまにお帰り頂く。


 ぼくが読み解いたファイルにはそんな趣旨の情報が入っていた。


 もちろん、自分があの異様なファイルを完全に理解しきったとは思っていない。あれは〝文や画像を読んだり、見たりする〟というより、〝脳に直接、イメージが流れ込んでくる〟ような造りになっていた。


 なので、具体的な記述というより、〝霊的資質のある者〟と〝かつて扉を封じた大上雅也の代行〟が〝共に洞窟の中に入り、扉を閉める〟という要素だけが把握できたのだ。


 そしてそのことを伝えた途端、浅永はパニックを起こした。


〝いやだ! ぜってえ、やだ! なんで俺がそんなおっかねえこと、しなきゃならねえんだ! 絶対、行かないからな!〟


 そのまま大暴れし、車のドアを開けて外に逃げようとしたのだ。スティーブンが慌ててその身体を押さえ込み、池崎さんも身を乗り出して加勢した。その際のもみ合いで浅永のサングラスが吹っ飛び、スティーブンの巨体に押しつぶされて、へしゃげてしまった。


 それでもなお狭い車内で乱闘が続く。美津亜ちゃんがややぐったりしているぼくを庇って怒りの声を上げ、お父さんが一喝した。


〝馬鹿者! やるかやらないかはおいておいて、一回、落ち着け!〟


 そしてスティーブンの太い手から逃れようとした浅永は勢い余って車のガラスに凄い音と共に後頭部を激突させ、白目を剥き、そのままずるずると足下のスペースへ崩れ落ちてしまった。皆があまりのことに言葉を失っていると、次の瞬間、


〝ちっ。仕方ねえな〟


 浅永は、


〝しょうがないから、やってやるよ〟


 まるで何事もなかったかのようにいきなり起き上がってきたのだ。


 以後、なぜか変に明るい口調と妙に協力的な態度で、ここまでついてきている。


 皆の注目を集めていることを知って、浅永は薄く笑った。


「ま、どちらにしても一回、ちょっとそこらでションベンさせてくれよ。大事なところで漏らすわけにはいかないだろう?」


 美津亜ちゃんが顔をしかめている。


「……分かった」


 池崎さんが硬い声で告げた。


「ただし、僕もついていく」


「そうですね。私もお付き合いしましょう」


 スティーブンも続いた。浅永は肩をすくめて、せせら笑った。


「へへ。信用のないこった」


 そして男三人は連れだって車から出ると、林の中へと消えていく。


 美津亜ちゃんも、


「ちょっと外の空気吸いたい。大丈夫。車から離れないから」


 そう言ってステップを降りていった。ぼくは美津亜ちゃんに対してOKサインを作り、ずっと浅永のことを考えていた。


 池崎さんやスティーブンは多分、浅永が逃げ出す隙を作るために協力的なふりをしている、とでも思っているのだろう。


 だけど、ぼくはそもそも、


(あれ、中身、本当に浅永なのかな……)


 そこからして疑っていた。さっき美津亜ちゃんがぼくにだけ聞こえるように、


〝ちょっと流時くんがヘンだった時と状況がよく似ている〟


 そう耳打ちしてくれた。


 ぼくが考え込んでいると、ただ一人、車内に残っていたお父さんが声をかけてきた。


「なあ、流時」


 お父さんにしては珍しく迷うような、ためらうような口調で、


「……体調は大丈夫か?」


「え?」


 そう言えば二人っきりになるのは随分と久しぶりな気がした。


「うん。大丈夫だよ。なんで?」


「いや」


 また歯切れ悪く、


「さっきファイルを読んでいる時、少し辛そうだったからな。そうか」


 溜息をつく。


「おまえには本当に霊感みたいなのがあったんだなあ」


「……ぼくもまだよく分かってないけど」


「――流時」


 お父さんの声が急にはっきりとした。


 ぼくが首を巡らせると、お父さんはこちらを振り返り、頭を下げてきた。


「すまなかったな。この島に、俺の我が儘で連れてきてしまって」


「あ」


 色々とびっくりした。


「その上で、おまえに負担をかけてしまっている。いくら特別な力があるからといえ、まだ子供のおまえに」


(そうか)


 ぼくはすとんと腑に落ちた。


(お父さん、罪悪感を抱えているのか)


 保護者の立場からするとそれは当然の感覚なのかもしれないけど、ぼくからするとそれは全く見当違いもいいところだった。ぼくはその気持ちをどう表現したら良いか、言葉を選びながら、


「えっとさ、ぼく、たった二日だけど、お父さんがなんでこの島に何度も来ていたのか、よーく分かったよ」


 お父さんは聞き入っていた。ぼくはこの島の良いところを指折って数え上げた。


「海がきれい。美味しいご飯。程よく色々と揃っている。不思議な温泉。豊かな自然。面白い資料館。なんか」


 ぴったりのフレーズが思い浮かんだ。


「そう。パワーがあって、エネルギーに満ちている。なによりいい人が多い。美津亜ちゃんだけじゃない。おばあさんに、真知さん、土方さん、ぼくらを親子で助けてくれた山口さん。本当にぼくは」


 今、心から納得できた。


「ぼくはこの島が大好きになってきている。だからさ、来年も、再来年もぜひ、この島にまた連れてきてほしいんだ」


「あの」


 その時、横合いから声をかけられてぼくとお父さんはびくっとなった。気がつけばいつの間にか美津亜ちゃんが車内に首を突っ込んできていて、


「それ、ほんと、おねがいです」


 珍しくお父さんに向かって真剣に語りかけていた。


「ぜひ、流時くんをまた連れてきてください。流時くんがこの島に一人で来れるようになるまでで良いんで」


 どうやら車の外でぼくたちの話を聞いていたようだ。お父さんは反射的に突っ込んだ。


「俺はあくまでオマケなのかい」


 それからふっと笑い出した。


「あははは! そうか。なら、また来年も来ような。そして、みんなでまた大冒険でもするか!」


「いや、こういうのは、もういいんだけどね」


 ぼくも苦笑で応じた。ちょうどそのタイミングでスティーブン、池崎さん、浅永が戻ってくる。どうやら浅永は逃げなかったようだ。


「準備はよいですか?」


 スティーブンが聞いてくる。お父さんは伸びを一つした。


「んー。俺はオッケー。流時と美津亜ちゃんは?」


 ぼくと美津亜ちゃんはお互いに目配せをし合って返事した。


「いつでも」


「いけます!」


 ぼくはこの島を大好きになった。


 だから、今できる全てをする。その決意が改めて強くなった。



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