21話 車内にて
「スティーブンが会ったのはだいぶ、ご高齢になってからの大上先生ですよね? きっと色々と伝えきれてなかった部分があるんだと思います。でも、記憶や意識が曖昧になられた今でもスティーブンのことを信じていたからこそ、代行を任せている」
ぼくは続けた。
「それと六十年前にも同じようなことがあったのなら、裏を返すとみんなが助かる方法が確実に存在するってことです。なら、それは喜ぶべきことじゃないでしょうか?」
「なる、ほ、ど」
池崎さんが笑い出した。
「いいね、流時くん。ナイス、ポジティブ。全くもってその通りだよ。いやあ、大人はそういった視点をもっと見習わないといけないね」
ぼくも少し笑って三列目のシートから身を乗り出した。
「スティーブン。きっと大上先生の研究資料にはその解決方法まで具体的に記載されている可能性があったんじゃないですか? そしてその解読の鍵をこの人」
浅永を指さす。
「この人が握っていると思ったから、探していたんですよね?」
「……」
スティーブンは首を大きく左右に振っていた。
「いやはや」
迷いや憂いや怯えがスティーブンの中でどんどんと和らいでいくのが分かった。声にその大きな体格に似合った力強さが戻ってくる。」
「もう君で驚くのは止めようと思ったけど、それが今回の一件の中で一番、難しい。アメージング。本当に君の指摘通りだ」
そして身体を捻ってぼくと目線を合わせてくれた。真面目な表情だけど、同時にチャーミングな笑みも口元に浮かんでいる。
「実はなぜだか分からないけど、オオガミ先生の残した資料はかなりの部分で暗号みたいなものが使われていて読むことが非常に難しかったんだ」
美津亜ちゃんはさっきからずっとぼくの服の裾を握っているのだけど、その力が一瞬、強まった。ぼくは分かっているよ、というように美津亜ちゃんの方を見ずに一つ頷いた。
(きっと、それ、暗号じゃないんだろうな。適合している人にしか分からないある種の安全装置なんだ)
スティーブンは続ける。
「そしてなんとか形をなしている序文を読み進めて、今回の出来事の漠然とした概要や四つの神社の血統を保つ者が〝彷徨える神〟の核心に触れられる可能性がもっとも高い、ということを知ることができた。だけど、皮肉なことに肝心な本文に当たる箇所はその場に居合わせた神社関係者の誰一人、可読できなかったんだ」
浅永はそわそわと身体を揺すり始めた。スティーブンはそんな浅永を逃がさないようにしているのか座り位置を微妙に変えていった。
「もう打つ手がない、と思ったその時、社務所を手伝ってくれていた女性が〝今、浅永の姓を名乗る男が自分の親戚が経営するペンションに泊まっていて、かつて大叔父がこの島で神社をやっていたと自慢していた〟って報告してくれたんです。それで藁にもすがる思いでその人物をマサハルに探し出して貰おうとしていました」
だから、土方さんが車で色々と動き回っていたんだ。
「おお! なら、早速、読んで頂きましょうよ、その資料、浅永先生に!」
池崎さんが明るい声を出す。スティーブンが硬い声で言った。
「いえ、それが」
「え? 逃げ出す時、西符神社に置いてきたとか? ならリスクはあるけど取りに戻れば」
「違うんです」
スティーブンは声に暗さを滲ませて言う。
「オオガミ先生の残した資料、三冊分のノートが突然、腐り始めたんです。悪臭を放ち、見る間にボロボロになっていきました。あろうことか小さな虫さえ湧いていた。私たちが見ている前で本当になんの前触れもなく」
皆、絶句している。
「そしてそのタイミングで神社の中の人たちが次々とおかしくなっていきました」
「う、げ」
池崎さんが呻いた。スティーブンが恐怖に囚われていた理由がよく分かった。そんなのを目の当たりにしたら心が折れてしまってもおかしくない。ぼくは軽く身震いをしてから浅永に向かって言った。
「浅永……さん」
「な、なんだよ?」
浅永の声は裏返って甲高くなっていた。ぼくは核心に触れるべき時が来たと思っていた。
「あの女の人なんなんですか? あなたは一体、何者で、なにを知ってるんですか?」
「あ?」
浅永は首を振る。
「お?」
皆の視線が自分に集まってくるのを感じているのだろう。オロオロし始める。助手席でお父さんが小声で、
「おんなのひと? なんのことだ?」
池崎さんにそう尋ねているが、池崎さんは唇の前に指を立てて〝しー〟と制止していた。
「ちが! ちが!」
スティーブンがずいっと顔を寄せると浅永は露骨に動揺して叫んだ。
「ちげえよ! 俺はただ騙されただけで、むしろ被害者なんだよ! つうかよう」
それからふてくされたような、なにかを諦めたような態度で、
「逆に聞きたい。坊主……おまえもあの女、ずっと見えてたんだろう?」
今度はぼくにみんなの注意が向く。ぼくは頷いた。浅永は唇を歪ませて言った。
「おまえ、アレ、ちゃんとニンゲンに見えていたか?」
しんと車内に沈黙が降りる。ぼくはごくっと唾を飲み込んでから答えた。
「はい、完全に」
「はは」
浅永は肩を落とした。
「俺もだよ。どうやらお互い難儀なモノに魅入られたみたいだな」
それから浅永は自らの経歴をぽつりぽつりと語り始めた。
外見通りというか、予想通りというか、高校を中退した後、中途半端な半グレ生活。霊媒師の真似事をして特殊詐欺の片棒を担いだり、訪問販売でまがい物を高齢者に売りつけたり。
ところがギャンブル好きがたたって、素性の良くないところから多額の借金をし、どうしようもなくなったところへ――。
「あの女が俺の前に現れたんだよ」
ぼそっと浅永は言う。
「あいつは借金を一気に返済する手段を教えてくれた。それがこの島に伝わる秘宝の勾玉。それをとあるルートに売れば少なくとも数千万にはなるって」
「秘宝の?」
「勾玉?」
お父さんと池崎さんがオウム返しに言う。ちょっと呆れたような、小馬鹿にしたようなニュアンスがある。浅永は焦ったように、
「いや! あの女が言うには元々、うちの神社に伝わっていたモノを他の神社の奴らが盗んだって! だから、俺には正当な権利で! それはこの島のどこかにあって。だから、俺は手がかりを掴むために色々なところを歩き回って!」
その時、ずっと沈黙していた美津亜ちゃんがぼそっと呟いた。
「あさなが、あさはか」
まさにこれ以上はない一言だった。お父さんたちがぷっと吹き出すと同時に浅永が叫んだ。
「う、うるせえ! 俺だって今となれば色々おかしいって分かるんだ! あいつの言っていたこと! いや、あいつの存在自体おかしかったって! あいつ、食事も眠りもしない! 船や宿でもいつの間にかいなくなったり、現れたりする! でも、その時はおかしいとは全く思わなかったんだよ!」
ぼくはただ一人、笑えなかった。確かに浅永は根本的に軽率な人ではあるんだろう。だけど、かなりの部分、あの黒い服の女の人に幻惑されていたのも事実だと思う。
まさに魅入られていた。
「ミゾロギって名乗ってたけどな、ぜってえ、本名とかじゃないんだろうな。つうか、そもそも名前があるのかも怪しいよな」
ぶつぶつと言う浅永に対して池崎さんが辛辣な調子で聞いた。
「なら、いつ、おかしい、と思ったんだ? そのミゾロギさんとやらを」
「ちっ」
浅永は舌打ちをして、
「……一昨日の夜だよ」
沈んだ調子で話し出した。
「ミゾロギが秘宝を見つけた、それがテユイのオヤシロがある、入難地区だって言うからよ。ランタン用意して立ち入り禁止の区画を乗り越え、山の中に入っていったんだ」
美津亜ちゃんが服の裾を握るのを止め、興奮したようにぼくの肩を何度も指で突いた。ぼくも頷く。一昨日、自転車で温泉に行く途中に美津亜ちゃんが見た、と言っていた明かりはきっとこの浅永によるものだったんだ。
「で、険しい道を登って、薄気味悪い森の中を汗かきながら通って……そしたら、突然、半分、壊れた巨大な神社みたいなのが出てきたんだよ」
「テユイの、オヤシロ」
スティーブンが押し殺した声で呟いた。浅永は薄笑いを浮かべて、
「ほんと見たらびっくりするぜ。このちっぽけな島の規模と今まで通ってきた細いケモノ道からは想像できないくらいバカでかくて、古代の遺跡みたいな迫力があって。この辺りからなんか変だな、おかしいな、って思い始めたんだ。漂う雰囲気が明らかに」
浅永は頭を巡らせ、言葉を探しているようだ。やがて言った。
「この世じゃないみたいだった。俺は逃げ帰りたくなったけど、ミゾロギは俺を誘って神社の裏手に連れていった。そこにはぽっかりとした巨大な洞穴があって、しめ縄が張られていて」
突然、スティーブンが鋭く叫んだ。
「それ! その洞窟こそ、神域であり、ご神体であり、テユイさまそのものなのらしいのです!」
そしてはっとしたように問いただした。
「……まさか、中に入ったりは?」
浅永は鼻で笑った。
「なんか洞窟の中から変な音が聞こえてくるんだ。〝ラトゥ、ラタ、ラタ〟みたいな。で、ミゾロギが言うにはこの奥にお宝があるって。だから、〝入りなよう、入りなさいよう〟って何度も繰り返すんだ。でもよう、その声が妙にひび割れ始めたのが気になって、ふと後ろを振り返ったら、ミゾロギの顔や身体の輪郭が明らかに崩れてたんだよ。なんつうか受信状態の悪いテレビみたいな。ガキがいい加減にやっつけで描いた絵みたいな。その時になってようやく俺も正気に返ったんだ」
あ、こいつニンゲンじゃないって。
「俺、必死で駆け出したよ。なにもかも捨てて、忘れてとにかく逃げ出した。ミゾロギはもう俺には意味が分からなくなった言葉を喋りながら、追いすがってきた。俺はその後、一晩中、その翌日も、島の中を逃げ回り続けた。廃墟に隠れたり、お人好しな家族にかくまってもらったりしたけど、ダメだった。必ずミゾロギが最後にはやってくるんだ。で、そのうち島の奴らもおかしくなり始めて」
ははっと浅永はやけくそのように笑い、
「もう、俺、疲れたよ」
ずるずるっと背中を車のシートに滑らせる。みんな黙り込んでいた。スティーブンが最初にその沈黙を破った。
「恐らくあなたと入れ違いくらいのタイミングで私と神主さんたちもその近くまで行きました」
浅永が力なく顔を上げた。
「〝ヤシロの辺りで異変が起こり始めた〟と言われたので、まず真っ先にそこに向かったのです。車では途中までしか行けなかったので、あなたと同じように苦労して険しい山道を登りました」
スティーブンは沈痛な調子で続ける。
「だけど、結局、ヤシロの直前で皆、具合が悪くなってしまって……私には聞こえませんでしたが、確かにあなたの言うような奇妙な歌声のようなものを神主たちは耳にしていたようです。その結果、最高齢の高崎老に至っては間断なく吐き続ける有様で。そこで我々はそれ以上、近づくことを断念し、資料を当たることにしたのです。ただ先ほども言及した師匠の記した文献が本来、保管されていた高崎家になく、探すのに大幅に手間取ってしまった、というのが一連の顛末になります」
「……結局」
池崎さんがぼそりと言う。
「その、ミゾロギってなんなんだ? なにが目的なんだ? ニンゲンかそうでないか以前に、そもそも敵なの? 味方なの?」
「敵に決まってんだろ!」
浅永が叫んだ。
「あれは間違いなく悪だ! 俺をあの穴の中にいたおっそろしいナニか、〝彷徨える神〟ってのか? そいつの生贄にしようとしてたんだ!」
そうかな?
ぼくは思っていた。多分、浅永をなにかの犠牲にしようとしていたのは間違いないと思うけど。
アレはきっと善でも悪でもない。
だから、きっと。
(もっとたちが悪い)
ぼくはそこで切り出した。
「皆さん、聞いて欲しいことがあります。さっきはあえて言わなかったけど」
タブレットにいつの間にか記録されていた異様なデータのことを一通り話した。




