20話 再会
山口さんがやってくれたみたいな陽動と挑発。半分は上手くいき、半分は上手くいかなかった。二列いた手つなぎ鬼のうちの一グループがこちらに方向転換して来たけど、もう一隊は引き続きお兄さんお姉さんたちを追いかけていった。
観光客っぽい若い男女はそれぞればらばらになって浜や漁港の方へと逃げていった。
ぼくと美津亜ちゃんは人の鎖がくねりながらこちらに向かっているのを見てすぐに室内に戻り、鍵をかけ、テーブルの下に身を隠した。
なにをやろうとしているのか詳しい説明はしなかったけど、きっと美津亜ちゃんはぼくの意図を正確に理解してくれていた。
これは大きな賭けだった。
音と光が出る花火を使ったのにはもう一つ理由があったんだ。手つなぎ鬼たちはやがてぼくらがいる建物を包囲すると、引き戸をぶち破り、中に入ってきた。
恐怖で心臓が破れそうなほど脈打ち、息が苦しくなった。
失敗したのか?
ダメだったか。
手つなぎ鬼たちが近づいてきて、ぼくらの頭上に手を差し伸べた時にはもう絶望感しか残っていなかった。だけど、その時、再び奇跡が起こった。
「よいっしょお!」
どこか明るい声と共に人影が飛び込んで来てなにか棒のようなものを手つなぎ鬼たちに突き出した。
「はあ、はあ。全く! 四十代には疲れるよ」
さらにもう一人、少し遅れて入ってきた男の人が同じように長い棒状のものを地面すれすれに振るった。
すぐに誰だか分かった。
(お父さん! 池崎さん!)
喜びが満ち溢れる。
(間に合った! あの花火がぼくのいる目印だって分かってくれたんだ!)
二人が持っているのは棒の先端がU字型になっている、いわゆるさすまたという武器だった。人を取り押さえるために特化した機能を持っている。
まず池崎さんがそのU字の部分で手つなぎ鬼の先頭の人の胴を押さえ込み、腰元でぐっと押し込むようにしてぼくらから引き離してくれた。
数人の人間が連なったままぐらりと方向を変え、よろめく。それは力業というより、人の重心や力の流れなどを理解した高度な技術によるモノだった。
続いて、お父さんが真ん中辺りの人の足を膝の部分から斜めに倒した。
すると手つなぎ鬼と化した人たち全体のバランスが失われ、何人かが連続して片足を床につく。すかさず池崎さんがさすまたを操ってその動きをさらに加速させ、お父さんと連携して人の鎖を折り畳むようにして、次々と地面に突き転がしていった。
「!」
ぼくも美津亜ちゃんも目を見開いて二人の動きに見入っていた。
「コツが分かるとね! 割となんとかなるよ!」
「古流の杖術をやっていた経験がこんなところで生きるとはな!」
額に汗を浮かべている池崎さんと息を切らしているお父さんが異口同音に叫んだ。
「さあ、行って!」
「外にバンが止まっている! 乗り込め!」
ぼくも美津亜ちゃんも余計な質問などせず、弾かれたように走り出していた。トランシーバーを持ち、リュックサックを背負っていくことも忘れない。さらに一言、叫んでおく。
「奥の部屋のロッカー! 浅永! れいのサングラスの男の人が入ってる! ついでで良いから助けて上げて!」
お父さんと池崎さんがなにか返事をしていたけど、よく聞き取れなかった。
ぼくは美津亜ちゃんにほんのわずか遅れて建物から飛び出た。
真っ白な大きなバンが少し先に停まっていて、大きく開かれた後部ドアに美津亜ちゃんが転がり込んでいくのが見えた。ぼくも無我夢中でその後に続く。その瞬間、超巨大ななにかに圧迫されて、ぼくは混乱した。
肉の塊?
誰かに思いっきり抱きしめられた?
真っ暗な視界の中でびっくりするような声が聞こえてきた。
「リュウジ! 無事で良かった!」
スティーブン?
なぜ、ここに?
ただ、疑問を口にすることができなかった。
「はあ、はあ。おい! つめてくれつめてくれ!」
「ほら、おまえもとっとと奥入れ!」
「ひい。止めてくれえ! 助けてくれ!」
お父さん、池崎さん、浅永が順番に車内に雪崩れ込んできた。お父さんと池崎さんはさすまたも持っているから一気にバンの中がぎゅうぎゅうになる。美津亜ちゃんが唸るように文句を言いながら三列目のシートへと移動している。
体勢を崩したのでなんとか首を持ち上げて車外を確認すると、ダイビングショップの中から手つなぎ鬼がずるりと這い出てくるところだった。
「ごー! ごー! 駿介! 出してくれ!」
お父さんの切羽詰まった声が響く。
「はいはい! とっとと逃げましょう!」
なんとか運転席に移動した池崎さんがエンジンをかける。
するすると接近してきた手つなぎ鬼が伸ばした手がバンパーに触れるか触れないかのタイミングで車は発進し、坂道を上がり始めた。
バックミラー越しに見える手つなぎ鬼たちの姿がどんどんと小さくなっていくのを見て、ようやくぼくは一息つくことができた。
知りたいこと、聞きたいことが多分、お互いに沢山あり過ぎて、どうしても一度、今の状況を安全な場所で確認し合う必要があった。
そのため池崎さんは少し車を走らせて、林の中にある古い浄水場のそばでエンジンを切る。
美津亜ちゃんがナビしてくれて辿り着いたここは隠れるにはもってこいの場所だった。狭いけど三方向に道が分かれているため、なにかあってもすぐに逃げられるような絶妙な立地になっている。
ただ念のため、全員、それぞれ違う窓に視線を据えて警戒は怠らない。
「息子。なにがあったか手短に話してくれ」
お父さんの発言でぼくは丸本さんの家から離れた後のことを少しかいつまみながら説明した。
ちなみに運転席には池崎さん、助手席にお父さん、二列目にスティーブンと浅永、三列目のシートにぼくと美津亜ちゃんが座っていた。浅永は小山のような巨体のスティーブンに圧迫されてずっと小さくなっていた。
ぼくの話が終わると、
「とても分かりやすく、簡潔です。グレイト」
スティーブンが褒めてくれた。やや疲れているようだったけど、声音がとても優しかった。
池崎さんがぽつりと言う。
「そっか。おばあさんが――辛かったね、美津亜ちゃん」
お父さんはただ咳払いを一つした。
ぼくは目線で美津亜ちゃんの様子を確認する。美津亜ちゃんは俯いていたけど、顔を上げてちょっと微笑んだ。〝自分は大丈夫だよ〟というように小さく頷く。
続いて池崎さんが話をしてくれた。
「まず不思議なんだけど、丸本さんの家の中にいた手つなぎ鬼たちがあの後、すぐにいなくなったんだよね」
ぼくの視界からだと運転席の池崎さんの姿はスティーブンの巨体に隠されてよく見えない。代わりにそのスティーブンの肩がぴくりと動くのだけが分かった。
「まるで見えない笛かなにかに呼び寄せられたように建物から離れると山の方へと向かっていった。スティーブン。なにか理由は見当がつく? というか、今回の異常なできごと、スティーブンはどう考えているのかな?」
みんな固唾を吞んでいる。スティーブンは申し訳なさそうに言った。
「すいません。見解がない訳でもありませんが、まずシュンスケのお話を一通り聞かせてください。お伝えすることをまとめる時間が欲しいです」
みんな暗黙の了解で分かっていた。スティーブンはきっとこの状況に対する最も解像度の高い視点を持っている。
池崎さんは、
「おっけえ」
そう返事し、要領よくお父さんと池崎さんのその後の行動を語った。
脅威の気配がなくなった大学の先輩と後輩のコンビはバリケードを解除し、丸本さんの家の玄関にあったバスケットの中から車の鍵(緊急事態のため)を拝借し、敷地内に止められていたバンで小泊家に戻ろうと舞来地区を離脱した。
ところがこちらの方面にはまだ沢山の手つなぎ鬼たちがウロウロしていて、結局、すぐに小泊家に向かうことができず、公民館へ身を寄せる形になった。そこには何人かが籠城していたらしい。
快くお父さんたちを迎え入れてくれた公民館の人たちだけど、程なく小泊家で起こった時と同じように内部の人が次々と手つなぎ鬼化し、お父さんたちは命からがら逃げ出してきたのだそうだ。
護身用のさすまたやトランシーバーはその時、まだ正気を失っていなかった人から託されてきたものらしい。
そして車で移動している最中、ぼくの呼びかけをトランシーバーで受信。正確な位置が分からず困っていたタイミングで、打ち上がる花火を目撃し、方角的にダイビングショップだと推定できたので駆けつけてきたのだそうだ。
「まあ、その途中でスティーブンと出くわしたんだけどな。いきなり夜道に飛び出てきたからこっちもびっくりしたよ」
池崎さんがいったん口を閉ざした。それは今までずっと沈黙を守っていたスティーブンに発言を促す意味あいがあった。
「そうですね。私はただ、今回」
スティーブンは口火を切り始めたが、
「……師匠の。いや、どうしたらいいか、なにから述べればいいか。私は……私はなにか大きな勘違いをしていたのかもしれない」
すぐに要領を得ないまま、手で口元を覆ってしまった。その大きな身体がさざ波のように小刻みに震えている。その時、ようやくぼくも、そしてきっと車内にいる他の人間も理解し始めていた。
スティーブンはその思慮深さから発言を控えていたのではなく、それ以上になにか得体の知れないことに対して強い恐怖心を抱いているからこそ口数が少なくなっていたんだ。
その感覚は自然と周囲に伝わっていく。薄暗い車内に緊張感が満ちる。
美津亜ちゃんがそっとぼくに身を寄せてくるような気配があった。
その時、お父さんが落ち着いた声で言った。
「スティーブン。俺たちは既にもう一つのチームだ。なにがあっても受け止める準備ができている。だから、時系列に沿って」
一度、ダッシュボードの時計を確認したような間。
「そうか……日付も変わったからもう一昨日になるんだな。一昨日、三人の神主から呼び出された後、なにがあったか聞かせて欲しい」
「ありがとう、リュウタロウ」
スティーブンは大きく息を吸って吐き、心落ち着かせるように自分の頬を両手でぽんぽんと軽く叩くと、再び話し始めた。
「でも、時系列ではなく、その逆。結末から語っていこうと思います。その方がきっと分かりやすいでしょう。まず西符神社にいた私と神主三人、そして居合わせた関係者の方々はヒューマンチェーン……人の鎖に呑み込まれ、つながれ、捕まってしまいました。私一人のみ、神主であり、マサハルのお父様でもある、ヒジカタショウジさんの必死のご尽力で脱出に成功し、道ばたで途方に暮れていたところをリュウタロウとシュンスケに救われたのです」
ぼくはその時、あることに気がついて窓の外に目をこらした。
スティーブンの話は続く。
「私たちが西符神社にいたのは師匠、オオガミマサヤが残した研究資料を調べるためでした。他の神主さんたちと協力して四つの神社全ての書庫や神庫を見て回ったため、時間がかかってしまいました。そして私も未読だったオオガミマサヤの研究資料を西符神社の社殿の一角から見つけたのです。その資料から理解できた部分だけを簡潔に述べます。今回の件、全ては」
ぶるぶるとスティーブンは震え始めた。
「〝彷徨える神〟の荒ぶりが原因です」
場が凍りついた。
「なに?」
「はい? なんだい、それは?」
お父さんと池崎さんは少し苛立ちさえ感じさせるような声で問い返している。無理もないと思う。スティーブンの言っていることは大学の先生らしくなく唐突で脈絡が全くなかった。
「……」
美津亜ちゃんがこちらを心配そうに見てくる。ぼくの震えもひどくなっていっている。
「そしてもう一つ、朧気に分かったことがあります。これと全く同じ事態が実は六十年前にも起こっていたのです。師匠と神主たちは協力してなんとか〝彷徨える神〟にお帰り頂いた」
「ちょっと待ってくれ、スティーブン」
お父さんがたまりかねたように遮った。
「それはいくらなんでも無理があるだろう? 六十年前って確かにそれなりの昔だが、多分、美津亜ちゃんのおばあさんも普通に生まれていた年代だろう? これだけの異常事態が起こって、記録や記憶に残っていないはずがない」
それから天井を仰いで、ふうっと息をついた。
「あ、いや。すまない。さっきなんでも受け入れる、とえらそうに言ったばかりだったな……」
「いいんです、リュウタロウ。私だって正直なところまだ信じ切れていない。繰り返しますが資料を読み込めたとは到底、言えない状態です」
スティーブンが笑みを含んだ声で言った。
「ただ断片的な記述から推定すると師匠たちだけではなく、正体不明ですが、ナニカが事態の解決に尽力し、かつての事件を史実の闇に封じ込めた、と思われるフシがあるんです」
「ん? 記憶や記録を改竄したってことか?」
「もし、本当にそんなものがいるのだとしたら、そのナニかはとんでもない力を持っているね」
池崎さんの声は冗談めかしているけど、かなり真剣だった。その時、美津亜ちゃんがぼくに囁きかけた。
「ほんとうに大丈夫?」
ぼくは頷いたけど、歯の根がずっと合っていなかった。
(みんな、なんで気がつかないんだろう?)
お父さんとスティーブンが話し始めた辺りからゆっくりと近づいてくる存在があった。手つなぎ鬼ではない、もっと奇妙なモノ。
小泊家を抜け出し、ダイビングショップに辿り着くまでの間、集落の中で何回か見かけた。
街灯の下に立っていたり、あるいは軒先をゆっくりと歩いたりしていた。
二メートル以上はある恐ろしく高い背。黒いコート。黒い、確か山高帽とかいう縦長の帽子。外見は人間に似せているけど、明らかに人間ではない。顔が渦巻きのようにグロテスクに崩れている。
それらが四体もこの車の周りに集まり、それぞれフロントガラスやサイドウインドウから中を覗き込んでいるのだ。
背丈が高すぎるので身体を斜めに傾けたり、頭を逆さにしたりしている。
(なんなんだ、こいつら?)
ぼくはなるべくそいつらと視線を合わせたくなくて、あらぬ方向に目を向けている。
(誰もこれ、見えてないのかな?)
美津亜ちゃんが心配そうにぼくの肩を撫でてくれているけど知覚している様子もない。スティーブンとお父さん、池崎さんも同じだ。
だけど、その時、ようやく気がついた。浅永だけは頭を守るように抱え、あっちいけよ、あっちいけよ、と小声で繰り返していた。
(そうか。この人には見えていたんだ。あの黒い服の女の人を見て、会話をしていたように)
やがて黒い存在たちは互いに身振りと手振りを交わし合うと現れた時と同じようにゆっくりとした足取りで林の奥へとまた去っていった。
どっと身体から緊張が抜けた。大きく息をつく。浅永もほっとしたような声を出していた。
すると得体の知れない存在が気になって耳に入っていなかった、スティーブンとお父さんたちの会話がまた聞こえてきた。
「私は少年時代からずっとこの国の光と闇に惹かれてきました。慎み深く、優しい人たち。厳しくも、豊かな自然。その根底を流れる芳醇な伝承。明るい太陽と薄く冷たい月のコントラスト」
それはスティーブンの独り言のようだった。
「民俗学者として色々と学んでいくさなか、自分はこの国のそういった本質を理解していったつもりでした。でも、違う。もっと恐ろしい、もっとおぞましい、もっと狂おしいなにかがこの国には存在していた!」
少し声を張り上げてからスティーブンは小さく呟いた。
「師匠はそこにもっと深く、強くアプローチしていた。私はもっと……オオガミマサヤ、という存在に学ぶべきだった」
「でも、仕方ないんじゃないかな?」
ぼくがぼそっとそう言った時、全員の注目が一気にこちらへ集まるのが分かった。浅永でさえ首を巡らしてびっくりしたような目で見てくる。
美津亜ちゃんがぼくの服の裾を掴んだ。
(流時くんが終わらせて)
そんな美津亜ちゃんの言葉がもう一度、頭に蘇った。できるかどうかは分からない。
でも、やってみよう。少なくとも精一杯。




