19話 逃走の果てに
結果的に考えると、ぼくのもくろみはあまり上手くいかなかった。行く先、行く先で人の鎖を目の当たりにし、迂回し、遠回りし、逃げ回っているうちに西符神社からは逆にどんどんと遠ざかっていってしまった。
美津亜ちゃんは頑張ってくれていた。
狭い抜け道や人の家の庭先など様々な経路を通ってぼくを目的の場所まで案内してくれようとしたけど、地区中、手つなぎ鬼がうようよ彷徨っている状況下ではどうしても人家の少ない浜辺の方へと降りていくしかなかった。
電動自転車を使って一気に突っ切ろうかとも一瞬、考えたけど、目立つし、手つなぎ鬼たちの注意を引き付けてしまうリスクも高かったのですぐに諦めた。
結局、ぼくたちはダイビングショップ・サキの営業店に隠れ潜むことになった。
美津亜ちゃんが合鍵を持っていたので、
「行く」
と、宣言したのだ。ぼくとしてはもう少し西符神社に近い位置に位置取りながらスティーブンとコンタクトを取るチャンスを伺いたかったけど、なぜか美津亜ちゃんは頑なだった。
「いいから、行く」
そしてショップに入ってすぐに理由が分かった。美津亜ちゃんは無言で真っ直ぐにトイレへと向かったのだ。
(あ、な、なるほど)
ぼくは手持ち無沙汰なそわそわした気分になって、店内を見回した。自分たちの居場所を知らせる訳にはいかないので当然、明かりはつけていない。
それでも柔らかい月明かりが差し込んでいて、おおよその様子は分かった。
昨日、ここでウエットスーツに着替えたり、ログ付けをしたのが遠い昔のようだった。
念のため窓の外を確認する。
とりあえず近くに手つなぎ鬼の気配はない。それだけで身体の芯から少し力が抜けた。
それと同時に頭の中で先ほど見た光景を検討し始めた。
(あれは……一体なんだったんだろう?)
ぼくは地区内を隠れ潜みながら巡っている最中、奇妙なモノをいくつか目の当たりにしていた。
どう考えても説明のつかない。
奇妙なモノ。
しばらくすると水を流す音が聞こえてきたので、ぼくの思索も自然と止まった。
美津亜ちゃんが扉から出てくる。シンクで手洗いを済ませ、備えつけのタオルで手を拭き、近くの小型冷蔵庫から麦茶っぽい液体が入った容器を取り出し、それを水切りかごに入ったコップに移し、ごくごくと飲む。ふうっと息をつく。それから軽くコップをすすいでまた元の位置に戻し、ぼくの近くの椅子に腰を下ろした。
その間、ずっと無言だった。表情が硬く、なにかを思い詰めているようだった。
「……だいじょうぶ?」
ぼくは心配になってきた。
「お腹でも痛い?」
美津亜ちゃんが冷たい半目になってこちらを見てきた。
「流時くんってさ……」
ちょっとぼくの見当違いに呆れたように首を振ってから、
「ま、いいや。そういうことじゃなくて、わたしもあんな風になるのかなって。さっき、ふとそう思ったの」
「あんな風?」
「つまり――わたしのおばあちゃんみたいに」
「あ」
ぼくは、はっとした。美津亜ちゃんは表情を歪ませる。ぼくは慌てた。
「あ、いや。必ずしもみんなという訳でもないと思うし、それを言うならぼくだって」
「ないんじゃないかな。多分」
美津亜ちゃんが言葉を差し挟んだ。
「捕まったのならともかく、最初の一人になるのは島の人だけな気がする。なんとなく」
「……」
反論しようとして言葉に詰まった。
「これ、治るよね?」
「……」
答えられない。
「おばあちゃん、助けられるよね? 島の人たち、みんな元に戻るよね?」
「……」
「もし、わたしがなったら」
美津亜ちゃんが泣き笑いのような表情になった。
「わたし、流時くんとはそういう形で手をつなぎたくない」
こんな重苦しい雰囲気なのにぼくは思わず吹き出してしまった。
「いや、ぼくだってイヤだよ」
自然と想いが口をついて出る。
「美津亜ちゃんとはもっと違う別の形がいい」
「うん」
なぜか少し嬉しそうな、哀しそうな表情で美津亜ちゃんが小さく呟いた。
「なんか変になったら――わたしがおかしくなったら全力で逃げてね?」
ぼくは答えなかった。自分がなにをすべきなのか頭の中で考え始めた。それからふと思い出し、リュックを降ろすと中からトランシーバーを取り出した。スピーカーはついておらず、本体のみだ。
さっき山口の息子さんが操作するのを横目で見ていた。
なので、おおよその使い方は分かっている。
「美津亜ちゃん。ちょっと音を出すんで窓の外を見張っていてくれない?」
ぼくがそうお願いすると美津亜ちゃんは無言で頷き、窓際へと身軽に歩いていった。
外の様子を確認しOKサインを出してくる。
それを待ってからぼくは側面のボタンを押した。
「こんばんは。誰か聞いてますか? こんばんは。どうぞ」
そう呼びかけた。
ざっとホワイトノイズが聞こえる。
どうせダメ元だった。
チャンネルを順番に変えていく。
「こんばんは。誰か聞いてますか? ぼく、石川流時です。こんばんは。どうぞ」
こんな呼びかけでいいのだろうか?
また少し待ってみる。
「こんばんは。石川流時です。どうぞ」
もし、誰かとつながれば少なくとも情報交換はできる。万が一でもスティーブンの近くにいる人とつながれば、特大ラッキーだ。
もう一度、西符神社を目指す前にやれることは全てやっておきたかった。
全く期待はしていない。
けど。
その時、信じられないことが起きた。
『りゅうじ、くん……』
返答があったのだ。小さな音。ノイズ交じりだけどはっきりと聞こえた。
「!」
ぼくは固まっている。美津亜ちゃんが目を思いっきり見開いてこちらを振り返っていた。
驚きのあまり呆然としてしまったぼくがなかなか次のリアクションを起こさないので〝なにやってるんだ!〟というように手で合図を出してきた。
ぼくははっと我に返り、早口で言った。
「流時! 石川流時です! どうぞ!」
すがるようにトランシーバーを握りしめる。数秒の後、
『こちら……イケザキ』
ものすごい雑音の中、か細く小さな声が確かに届いた。
『こちら、イケザキ』
池崎さんだ!
なぜ?
なんで?
美津亜ちゃんは見張りを忘れて、ぼくの真横に飛びついてきたけど、それを咎め立てる余裕はぼくにはなかった。二人、並んで必死に耳を澄ます。
『センパイ、君のお父さんも……いる……』
お父さんも!
一気に喜びが爆発する。またぶつっ、ぶつっと音が切れていき、最後に、
『今……どこに……そちらへ』
それだけ聞こえて完全に声が途絶えた。あとはいくら待っても雑音しか聞こえない。
ぼくはがむしゃらにボタンを押した。
「池崎さん! どうぞ」
また押した。
「池崎さん! どうぞ」
何度も何度も繰り返して叫んだ。折角、つながった細い、細い糸が途切れてしまう。焦りと不安で爆発しそうになった。
「流時くん!」
美津亜ちゃんが肩に手をぐっと置いてきた。
「落ち着いて!」
ぼくははっと我に返った。
「息! 息してないよ! 息! 深呼吸! 深呼吸!」
息?
そう思ったけど、美津亜ちゃんのアドバイス通り、ゆっくりと深呼吸をしていった。
(落ち着け。落ち着くんだ)
必死で自分に言い聞かせる。
(考えよう)
トランシーバーで通話ができたということは少なくともお父さんと池崎さんは無事で、電波が届く範囲に来ているということだ。
なんとかこちらの居場所さえ伝えられれば合流できる可能性だってある。
希望はあるんだ!
しかし、思考をまとめきる前に、最悪なタイミングで邪魔が入った。
「あけろ! あけてくれ!」
今、ぼくたちが潜んでいる建物の引き戸が拳で乱暴に叩かれ始める。曇りガラス越しでも分かった。
突如、現れたのはあのサングラスの男。
浅永貴文だった。
こちらも相手を認識したけど、浅永(この人のことは、もう心の中で呼び捨てにしていた)もこちらが誰か分かったみたいだ。
「な! あの時のガキか!」
別にこれが破れても構わない、というようなやけくそめいた勢いでさらにガラスを拳で叩いた。そのため入り口の枠全体がガタガタ揺れた。
「早く開けろ、バカ! あいつら来ちまうだろう!」
最悪だ、と思った。
きっと手つなぎ鬼たちから逃れて、こっちへやってきたんだろう。もしかしたらもうすでに一群を引き付けてきているのかもしれない。強ばった顔の美津亜ちゃんがこちらを見てくる。
「……どうする?」
ぼくは迷いながらも答えた。
「しかたない。開けよう」
白状すると決して寛容な心から浅永を助けようとした訳じゃなかった。このままだと浅永が出す大声を聞きつけて、手つなぎ鬼たちがやってきてしまうのでないかと心配しただけなんだ。
ぼくは足早に扉まで歩いてロックを外した。浅永は入ってくるなり、
「おせえよ、バカ!」
ぼくへ罵声を浴びせ、奥へと駆けていった。すれ違う時に香水と汗が混じったような饐えた匂いがして気持ちが悪かった。
ぼくは念のため首を巡らせて外を確認してみた。幸い視線の届く範囲では危険な存在は確認できなかった。振り返ると浅永は冷蔵庫を開き、容器から直に口を付けて麦茶を飲み始めるところだった。
こぼれた液体が喉を伝わっていく。よほど喉が乾いていたのだろう。
美津亜ちゃんが嫌悪感たっぷりに眉をひそめ、そっと距離を取っている。
ぼくは浅永を見つめた。
浅永は麦茶を完全に飲み干すと空になった容器を流しに放り投げ、こちらに顔を向けてきた。
「あ? なんだ、ガキ?」
正直なところ早くお父さんたちと連絡を取らなきゃと焦っていたし、新たに危険を呼び込みそうなこの人に対してイライラもしていた。
だけど、ぼくの口をついて出たのはそれと全く関係ないことだった。
「あの、浅永さんってなんでずっとサングラスしてるんですか?」
浅永の口がぽかんと開いた。いきなり本名を呼ばれたことも、質問内容も相当、意外だったみたいだ。ぼくは畳みかけた。
「夜なのに。船の時も思ってたんですけど、見にくくないんですか?」
美津亜ちゃんが一瞬、ぷっと吹き出しかけてから慌てて顔を逸らしている。浅永は唖然としていたが、しばらくすると顔を真っ赤にして怒鳴り始めた。
「う、うるせえよ! てめえのしったことか!」
ぼくは思った。
(この人、やっぱり)
その時、浅永がなにかに気がついたように、
「ちょ、ちょっとまて!」
美津亜ちゃんに対して急に焦ったように指を突きつけ、
「おまえ! そっちの坊主と違ってこの島の人間だよな!」
美津亜ちゃんは答えなかったが、浅永は大股で美津亜ちゃんに近づき、そのか細い手首を掴んで強引に上へと引っ張り上げた。
「出ていけよ! おまえ、出ていけよ! おまえがいたら、あいつらみたいになっちまう可能性があるだろう!」
ヒステリックに喚き、出口へと向かおうとする。美津亜ちゃんが小さく口の中で悲鳴を上げた。ぼくは一瞬も迷わなかった。
怒りで頭が真っ白になりかけたけど妙に冷静だった。リュックサックから池崎さんの私物であるサバイバルナイフを取り出し、厚みのある刃を引っ張り出すと、
「止めろ!」
声が裏返ってしまったが、
「美津亜ちゃんを離せ!」
ようやくこちらに気がついた浅永がぎょっとしたように足を止める。
「な! お、おまえ」
ぼくはナイフを両手で握り、なるべく感情を表に出さないようにして告げた。
「二回は言わない。美津亜ちゃんを離さないなら本当に本気で刺す。子供のぼくでもじゅうぶん、あなたを殺せるよ」
「い、いや、おまえ、落ち着けって。こいつがいたらリスクがあるのはおまえも一緒」
ぼくはなにも言わずナイフを持ったまま、ゆっくりと浅永に近づいていった。
ずっと相手に向けていた刃先をわざと大きく震わせてみせる。
「わ、わかった! わかったから!」
浅永は急に美津亜ちゃんの手を離し、
「なんだ、お、おまえ。もっと、まともなヤツだと思っていたけど、信じらんねえ! ったく、最近のガキはよ!」
捨て台詞を吐く。それから逃げるように奥の事務所スペースに入っていった。
浅永の姿が完全に見えなくなってから、ぼくは天井を仰いでふうっと息をつく。
脂汗がひどかった。
(あの人はきっとサングラスで常に自分の視線を隠し続けていないと人と接することができないくらい臆病者なんだろうな。強そうに見せてるけど、それはただ虚勢を張っているだけ)
それが分かったから似合わない芝居なんかしてみた。少し震える手でちゃんとナイフの刃をしまい、またリュックの中にしまった。美津亜ちゃんがちょこちょこと近づいてきて、
「こっわ」
からかってるのか、真剣なのかよく分からない表情でそう言ってきた。
「でも、ありがとうね。船の時みたいにまた助けてくれたね」
少し照れたように笑い、
「……ちょっと本気だった?」
ぼくはなにも答えず、ただにっこりと微笑み返した。
「へへ」
美津亜ちゃんはなぜかぼくの肩に自分の額をちょんちょんと二回くらいくっつけた。
その時、事務所スペースから悲鳴が沸き起こった。
「やば! きやがった! きやがった!」
ぼくは一気に身体を強ばらせた。少しだけ躊躇があったけど事務所スペースになっている小部屋へ足を踏み込んでみる。
「バカ! あいつらほんとバカだ!」
浅永が悪態をつきながら掃除用具などが入ったロッカーに身をねじ込んでいるところだった。ぼくは事務所スペースの窓から外を眺めて理解した。
街灯に照らされた少し先の坂道を数人の若い男女が駆け下りてきていて、その後ろから二列の手つなぎ鬼たちが追いかけているのだ。
女性の一人が転び、男性たちが助け起こそうとしている。
どうやら観光客たちが逃げ回っているうちにこちらの方までやってきたらしい。
「ちくしょう! 捕まるならてめえらだけで掴まれ!」
浅永はロッカーを内側から閉めた。完全に自分一人だけは助かるつもりのようだ。
「どうする?」
美津亜ちゃんがまた聞いてくる。
(手つなぎ鬼がこちらにやってくるのも、もうどっちみち時間の問題だ)
ぼくは一度、目をつむり、覚悟を決めた。
「美津亜ちゃん。ぼく、これから変なことする。失敗したらゴメンだけど、信じて、任せてくれる?」
「……ふふ」
美津亜ちゃんが笑った。小刻みに震えながらも頼もしい声で、
「当たり前だぜ、流時くん。思いっきりゴー!」
ぼくの肩をばしっとげんこつで叩く。
それを合図にぼくは走り出していた。
元いた場所に戻り、リュックサックから花火セットを取り出し、ついでライターも手にした。そのまま入り口まで駆けていき、引き戸を開け、外へ飛び出すと、もどかしい思いで花火の袋を破り、中身にライターの火をつける。
あとからついてきた美津亜ちゃんがすぐにぼくの意図を察して手際よく助けてくれた。
「こっちだ!」
ぼくは打ち上げ花火を思いっきり空に向かって発射した。
「こっちにこい!」
ぱん、ぱん、と破裂音と共に青や赤の眩い光がぼくらの頭上で何発も、何発も輝いた。ぱらぱらと光の粉の余韻が辺りに降りかかっていく。
自分としては強気な笑いを浮かべているつもりだったけど、足下が頼りなくずっと震えていた。




